シンハラ人

スリランカの民族

シンハラ人(シンハラじん、シンハラ語: සිංහල ජාතිය; Sinhala Jathiya、英語: Sinhalese)は、スリランカ民族シンハリ人とも呼ばれる。先住民のドラヴィダ人インド・アーリア人が混合した民族である。

シンハラ


1行目: Anagarika Dharmapala英語版 · Gangodawila Soma Thero英語版 · K. Sri Dhammananda英語版 · マーティン・ウィクラマシンハ · Prof.Gunapala Piyasena Malalasekera英語版

2行目: King Maha Dutugamunu英語版 · King Parākramabāhu I the Great英語版 · ニッサンカ・マッラ · King Rajasingha II英語版 · D.S.セーナーナーヤカ英語版

3行目: Kumar Sangakkara英語版 · Nadeeka Perera英語版 · Sanath Jayasuriya英語版 · スサンティカ・ジャヤシンゲ
(~ 15,568,750(推計)[1])
居住地域
スリランカの旗 スリランカ       13,876,245 (18[2]
イギリスの旗 イギリス~100,000 (2010)[3]
オーストラリアの旗 オーストラリア73,849 (2008)[4]
イタリアの旗 イタリア68,738 (2008)[5]
カナダの旗 カナダ19,830 (2006)[6]
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国13,890 (2006)[7]
シンガポールの旗 シンガポール12,000 (1993)[8]
マレーシアの旗 マレーシア10,000 (2009)[9]
ニュージーランドの旗 ニュージーランド7,257 (2006)[10]
インドの旗 インド少なくとも3,500[11][12]
言語
シンハラ語, 英語, タミル語, ヴェッダ語
宗教
大多数は仏教(主に上座部仏教), 一部にキリスト教ヒンドゥー教
関連する民族
タミル人, インド・アーリア人, ベンガル人, ヴェッダ人, Rodiya英語版
県別のシンハラ人のパーセンテージ(1981年または2001年の国勢調査より)

詳細

スリランカの総人口のうち約7割を占める民族集団で、大半は仏教徒(上座部仏教)であるが、一部にはキリスト教徒もいる。シンハラとはシンハラ語で「ライオン(獅子)の子孫」の意味である。

年代記の『ディーパワンサ』(島史、4-5世紀)、『マハーワンサ』(大史、6世紀初頭)に記されている建国神話によれば、初代の王のウィジャヤ (Vijaya)は北インドからランカー島(スリー・ランカー)にやってきて王位についたが、両親は人間とライオンの間に生まれたとされるシーハバーフとシーハシーウァリーであったので、シーハ(シンハ)の子孫と呼ばれることになったという。この神話を生み出す根底には、百獣の王たるライオンを人間の王を表す隠喩とする思考と、古代インドに広く見られたライオンを始祖とする神話的出自によって王権の権威を誇示するという主張が重なっていると見られる。なお、紀元410年から411年にアヌラーダプラに滞在した法顕の記録である『仏国記』には、「師子国」として登場する。シンハラという名称は時代と共に意味内容を変え、王朝→王国→王国民→民族へと変化してきたという見解もある(Gunawardana,R.A.L.H."The People of the Lion",In Ethnicity and Social Change in Sri Lanka.Colombo:Karunaratna & Sons.1984)。

18世紀以降の比較言語学の展開の中で、シンハラ語インド・ヨーロッパ語族に属するという学説が展開し、イギリス植民地支配下(1796-1948)で仏教復興運動が起こり、北インド出自と仏教を基本的要素とするシンハラ人の民族意識が高まった。いわゆるシンハラ仏教ナショナリズムの登場であり、アナガーリカ・ダルマパーラ(1864-1933)の仏教改革運動とも相俟って、広く民衆の間に広がった。この結果、ドラヴィダ系の言語に属するとされるタミル人との差異化が拡大されることになった。

これが独立後に1956年のソロモン・バンダラナイケ政権の主張に取り込まれ、シンハラ語を公用語とする「シンハラ・オンリー」政策が引き金になって、シンハラ人と少数派タミル人の対立を引き起こす動因となった。民族間の紛争は仏教とヒンドゥー教という宗教の対立に結び付けられ、古代以来、シンハラとタミルの長い歴史上の対立が続いてきたという解釈さえ生まれた。

何度かの民族紛争を経て、1983年にその対立は激化して内戦状態となり、外部からの干渉や内部対立で泥沼化して、2009年5月まで続いた。元々シンハラと呼ばれる人々は南インド起源の人々も含む多様なものであったが、近代の学問の言説、植民地状況、ナショナリズムの展開、政治経済の変動などの要因によって、国民国家の中の「国民」となることで、「民族」として再編成され、固定化されることになった。

また歴史的な経緯から、内陸部に住むウダラタ(高地)シンハラとパハタラタ(低地)シンハラに分かれており、言語習慣慣習法の違いがある。社会構成は、クラヤと呼ばれる世襲的な階層が基本にあり、インドのカーストと類似するが、上位のゴイガマが半数を占め、規制もインドほど強くはないという特徴がある。

脚注

関連項目

参考文献

  • De Silva, K.M. History of Sri Lanka (Univ. of Calif. Press, 1981)
  • Gunasekera, Tamara. Hierarchy and Egalitarianism: Caste, Class, and Power in Sinhalese Peasant Society (Athlone 1994).
  • Roberts, Michael. Sri Lanka: Collective Identities Revisited (Colombo-Marga Institute, 1997).
  • Wickremeratne, Ananda. Buddhism and Ethnicity in Sri Lanka: A Historical Analysis (New Dehli-Vikas Publishing House, 1995).
  • 杉本良男(編)『もっと知りたいスリランカ』(弘文堂、1987)
  • 杉本良男(編)『アジア読本ースリランカー』(河出書房新社、1998)
  • 澁谷利雄・高桑史子(編)『スリランカー人々の暮らしを訪ねてー』(段々社、2003)
  • 鈴木正崇『スリランカの宗教と社会ー文化人類学的考察ー』(春秋社、1996)
  • 川島耕司『スリランカと民族ーシンハラ・ナショナリズムの形成とマイノリティ集団ー』(明石書店、2006)
  • 高桑史子『スリランカ海村の民族誌ー開発・内戦・津波と人々の生活ー』(明石書店、2008)
  • ゴンブリッチ・リチャード、オベーセーカラ・ガナナート『スリランカの仏教』(法蔵館、2002)

オンライン