ジェシー・チャベス

アメリカの野球選手 (1983 - )

ジェシー・デビッド・チャベスJesse David Chavez1983年8月21日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡サンガブリエル英語版出身のプロ野球選手投手)。右投右打。アトランタ・ブレーブス傘下所属。愛称はフラーコFlaco)(後述)。

ジェシー・チャベス
Jesse Chavez
アトランタ・ブレーブス(マイナー)
オークランド・アスレチックス時代
(2013年5月10日)
基本情報
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地カリフォルニア州ロサンゼルス郡サンガブリエル英語版
生年月日 (1983-08-21) 1983年8月21日(40歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
160 lb =約72.6 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り2002年 MLBドラフト42巡目
初出場2008年8月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

プロ入り前

2001年MLBドラフト39巡目(全体1158位)でシカゴ・カブスから指名されたが、この時は契約せずにリバーサイド・コミュニティ・カレッジ英語版へ進学した。

プロ入りとレンジャーズ傘下時代

2002年MLBドラフト42巡目(全体1252位)でテキサス・レンジャーズから指名され、翌2003年5月17日に契約した。

2003年、傘下のA-級スポケーン・インディアンス英語版でプロデビュー。17試合(先発8試合)に登板して2勝2敗1セーブ、防御率4.55、48奪三振を記録した。

2004年はA級クリントン・ランバーキングス英語版でプレーし、27試合(先発22試合)に登板して6勝10敗、防御率4.68、96奪三振を記録した。

2005年はまずA+級ベーカーズフィールド・ブレイズ英語版でプレーし、11試合に登板後、5月にAA級フリスコ・ラフライダーズへ昇格。AA級フリスコでは31試合に登板して4勝3敗1セーブ、防御率5.68、27奪三振を記録した。

2006年はAA級フリスコで開幕を迎え、38試合に登板。2勝5敗4セーブ、防御率4.42、70奪三振の成績で、7月にAAA級オクラホマ・レッドホークスへ昇格し、1試合に登板した。

パイレーツ時代

2006年7月31日にキップ・ウェルズとのトレードで、ピッツバーグ・パイレーツへ移籍した。移籍後は傘下のAAA級インディアナポリス・インディアンスでプレーし、12試合に登板して2勝1敗、防御率4.24、15奪三振を記録した。

2007年はAAA級インディアナポリスでプレーし、46試合(先発1試合)に登板して3勝3敗2セーブ、防御率3.92、65奪三振を記録した。

2008年はAAA級インディアナポリスで開幕を迎え、51試合に登板。2勝6敗14セーブ、防御率3.80、70奪三振の成績で、8月27日にパイレーツとメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[1]。同日のカブス戦でメジャーデビュー。2点ビハインドの9回表から登板し、1回を無安打無失点1三振に抑えた[2]。この年メジャーではリリーフとして15試合に登板して0勝1敗、防御率6.60、16奪三振を記録した。

2009年3月4日にパイレーツと1年契約に合意。この年はリリーフに定着し、73試合に登板。1勝4敗、防御率4.01、47奪三振を記録した。

ブレーブス時代

2009年11月3日に岩村明憲とのトレードで、タンパベイ・レイズへ移籍した[3]が、12月10日にラファエル・ソリアーノとのトレードで、アトランタ・ブレーブスへ移籍した[4]

2010年2月24日にブレーブスと1年契約に合意[5]。開幕から17試合に登板していたが、防御率7.33と落ち込み、6月15日にAAA級グウィネット・ブレーブスへ降格したが、16日に再昇格した。ブレーブスでは28試合に登板して3勝2敗、防御率5.89、29奪三振を記録した。

ロイヤルズ時代

2010年7月31日にリック・アンキールカイル・ファーンズワースとのトレードで、グレゴール・ブランコティム・コリンズと共にカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した[6]。移籍後は23試合に登板して2勝3敗、防御率5.88、16奪三振を記録した。

2011年2月18日にロイヤルズと1年契約に合意[7]。3月17日に傘下のAAA級オマハ・ストームチェイサーズへ配属され、そのまま開幕を迎えた。開幕後は19試合に登板して2勝3敗5セーブ、防御率4.94の成績で、6月3日にショーン・オサリバン故障者リスト入りしたためメジャーへ昇格[8]。5日のミネソタ・ツインズ戦でシーズン初登板を果たしたが、1回を3安打2失点と救援に失敗し、試合後にAAA級オマハへ降格した[9]。登録枠が拡大された9月1日にメジャーへ再昇格[10]。この年は4試合の登板にとどまり、防御率10.57だった。オフの10月11日にDFAとなった[11]

ブルージェイズ時代

2011年10月21日にウェイバー公示を経てトロント・ブルージェイズへ移籍した[12]。12月12日にDFAとなり[13]、12月14日にマイナー契約で傘下のAAA級ラスベガス・フィフティワンズへ降格した。

2012年はAAA級ラスベガスで開幕を迎え、先発として10試合に登板。6勝2敗、防御率3.72とまずまずの成績を残し、5月27日にブルージェイズとメジャー契約を結んだ[14]。昇格後は1試合に登板したが、6月6日にAAA級ラスベガスへ降格[15]。6月18日に再昇格し、先発として2試合に登板したが、計8.2回で10安打10失点、防御率10.38と結果を残せず、リリーフに復帰。しかしリリーフでも救援失敗が目立ち、7月14日にAAA級ラスベガスへ降格した[16]。8月4日に再昇格し、同日のオークランド・アスレチックス戦では、1回を1安打無失点に抑える好投を見せたが、若手有望株のチャド・ジェンキンスとメジャー契約を結ぶため、翌5日にDFAとなった[17]。6日に40人枠へ復帰し、AAA級ラスベガスへ降格した。ブルージェイズでは9試合の登板にとどまり、1勝1敗、防御率8.44だった。

アスレチックス時代

2012年8月24日に金銭トレードで、アスレチックスへ移籍した[18]。移籍後は傘下のAAA級サクラメント・リバーキャッツで2試合に登板し、9月10日にメジャーへ昇格[19]。アスレチックスでは4試合に登板し、防御率18.90だった。

2013年3月10日にAAA級サクラメントへ配属され[20]、そのまま開幕を迎えた。4月20日にメジャーへ昇格し[21]、3試合に登板したが、防御率6.23と振るわず、29日にAAA級サクラメントへ降格[22]。5月10日にメジャーへ再昇格し[23]、その後はリリーフに定着。この年は35試合に登板して2勝4敗1セーブ、防御率3.92、55奪三振を記録した。

2014年1月7日にアスレチックスと1年契約に合意[24]。先発として開幕を迎え、21試合に登板していたが、8月からリリーフに復帰。9月は2試合の登板にとどまり、プレーオフのロースター入りを逃した。この年は32試合(先発21試合)に登板して8勝8敗、防御率3.45、136奪三振を記録した。

2015年1月12日にアスレチックスと215万ドルの1年契約に合意した[25][26]。同年も先発ローテーションに入り、30試合に登板、うち26試合で先発として投げて防御率4.18をマーク。しかし負けが込み、7勝15敗と大きく負け越した。15敗は、アメリカンリーグワースト2位タイの数字である。

ブルージェイズ復帰

2015年11月20日にリアム・ヘンドリックスとのトレードで、ブルージェイズへ移籍した[27]

2016年5月15日にレンジャーズ戦で、乱闘が起きた直後にプリンス・フィルダーに対して報復死球を行い、退場処分を受けた[28]。17日にMLBから3試合の出場停止処分が科せられたことが発表された[29]。なお、この年からリリーフに再転向しており、移籍までに39試合にリリーフ登板して防御率4.57・1勝2敗を記録していた。

ドジャース時代

2016年8月1日にマイク・ボルシンガーとのトレードで、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[30]。ドジャースでは23試合に登板して1勝、防御率4.21を記録した。ブルージェイズとの合算では、キャリア2位となる62試合に登板して2勝2敗、防御率4.43、WHIP1.33という内容だった。オフの11月3日にFAとなった[31]

エンゼルス時代

2016年11月11日にロサンゼルス・エンゼルスと契約するとMLB公式サイトで報じられ[32]、14日付で契約した[31]

2017年は再び先発でも投げ、先発で21試合・リリーフで17試合に登板したが、7勝11敗、防御率5.35という成績に終わった。オフの11月2日にFAとなった[33]

レンジャーズ時代

2018年2月23日にレンジャーズと1年契約を結んだ[34]。レンジャーズでは30試合に投げ、3勝1敗1セーブ、防御率3.51を記録した。

カブス時代

2018年7月20日にタイラー・トーマス英語版とのトレードで、カブスへ移籍した[35]。移籍後は32試合で2勝1敗4セーブ、防御率1.15の好成績を挙げた。

レンジャーズ復帰

2018年11月30日にレンジャーズと2年契約を結んだ[36]

2020年オフの10月28日にFAとなった[37]

エンゼルス傘下時代

2021年2月25日にエンゼルスとマイナー契約を結んでスプリングトレーニングに招待選手として参加することになったが[38]、3月26日にFAとなった[39]

ブレーブス復帰

2021年4月17日にブレーブスとマイナー契約を結んだ[31]。6月24日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[40]。この年は30試合に登板した。またチームがワールドシリーズ(WS)に進出。第2戦と第5戦の2試合に登板し、自身初となるWS登板を果たした。プレーブスは4勝2敗でヒューストン・アストロズを下して26年ぶり4度目のWS優勝を果たし、自身初めてのWS優勝メンバーとなった[41]。オフの11月3日にFAとなった[42]

カブス復帰

2022年3月14日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結んだ[31]。4月2日にメジャー契約を結びアクティブ・ロースター入りした[31]

プレーブス復帰

2022年4月20日にショーン・ニューカムとの交換(プラス金銭)でアトランタ・ブレーブスにトレード移籍した[31][43]

エンゼルス復帰

2022年8月2日にライセル・イグレシアスとのトレードでタッカー・デービッドソンと共にロサンゼルス・エンゼルスへ移籍した[44]。しかし、移籍後は11試合で防御率7点台と振るわず、8月29日にリリースされた[45]

ブレーブス復帰

2022年8月30日にウェーバー公示を経てアトランタ・ブレーブスに移籍した[46]。オフの11月6日にFAとなった[47]

2023年もブレーブスでプレー。防御率1点台とブルペンを支えていたが、6月14日の試合で打球を足に受けて途中退場[48]。以降は登板機会が激減した。オフの11月3日にFAとなった[49]

ホワイトソックス傘下時代

2024年2月9日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結んでスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。しかし、開幕ロースター入りすることが出来ず、3月23日に自由契約となった[50]。また、ホワイトソックスとマイナー契約を結んだ際に、同年限りで現役を引退することを発表した[51]

ブレーブス復帰

同年3月25日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結び、同日中にAAA級グウィネットに配属された[52]

人物

愛称はフラーコFlaco)で、これはメジャーデビュー前、レンジャーズ傘下所属時の投手コーチが名付けたスペイン語で「痩せこけた」を意味するものである[53]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2008PIT1500000100.0007415.0202920162011116.601.93
200973000014015.20028667.169112231475033304.011.35
2010ATL2800003200.60016236.24061231290024245.891.42
KC2300002306.40011826.02951140162020175.881.54
'10計5100005506.50028062.269112371452044415.891.47
2011400000000----397.21235008009910.572.22
2012TOR920001100.50010221.12561012270022208.441.64
OAK400000000----213.1911013107718.903.00
'12計1320001100.50012324.23471113301029279.851.82
20133500002411.33324857.15032043555027253.921.22
201432210008800.500621146.01421749351367064563.451.31
2015302600071510.318672157.01641848221363078734.181.35
2016TOR3900001207.33317341.14391002421022214.571.28
LAD23000010041.00010925.2283830210014124.211.40
'16計62000022011.50028267.071121832631036334.431.33
2017LAA382100071101.389586138.01482845221191083825.351.40
2018TEX3000003113.75023456.158101210501023223.511.24
CHC3200002144.66714339.02635004200551.150.80
'18計6200005257.71437795.184131710921028272.551.06
2019TEX4890003518.37533778.082122205721048424.851.33
20201800000002----7717.0206701130013136.881.59
2021ATL3040003202.60013333.223011103630982.141.01
2022CHC300000000----245.271200300446.351.59
LAA11000010001.0005010.215240010001297.591.78
ATL46100033010.50021853.04951401612118162.721.19
'22計60100043010.57129269.17182001742134293.761.31
2023361000101141.00014434.2262120339001061.561.10
MLB:16年607850004963977.43845711070.2108515333929299813415565124.301.33
  • 2023年度シーズン終了時

年度別守備成績



投手(P)












2008PIT1513001.000
20097365011.000
2010ATL2815001.000
KC2321001.000
'10計5136001.000
201140000----
201290110.500
OAK401001.000
'12計130210.667
20133577001.000
201432114031.000
201530101020.909
2016TOR3912001.000
LAD2302001.000
'16計6214001.000
2017LAA38411011.000
2018TEX3016001.000
CHC3223001.000
'18計6239001.000
2019TEX4827001.000
20201801001.000
2021ATL301410.833
2022CHC30000----
LAA110000----
ATL4625001.000
'22計6025001.000
2023361411.833
MLB607528256.964
  • 2023年度シーズン終了時

背番号

  • 43(2008年 - 2010年途中、2018年7月21日 - 同年終了、2022年 - 同年4月19日)
  • 57(2010年途中 - 2011年)
  • 20(2012年 - 同年途中)
  • 60(2012年途中 - 2014年、2021年、2022年4月20日 - 同年7月30日、2022年8月30日 - )
  • 30(2015年 - 2016年途中、2020年)
  • 58(2016年途中 - 同年終了)
  • 40(2017年、2022年84日 - )
  • 53(2018年 - 同年7月19日、2019年)

脚注

関連項目

外部リンク

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