ジュスティーヌ・エナン

ジュスティーヌ・エナンJustine Henin, 1982年6月1日 - )[1]は、ベルギーリエージュ出身の女子プロテニス選手[2]WTAツアーで4大大会7勝を含むシングルス43勝、ダブルス2勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス1位で、通算117週在位は歴代7位の記録である。身長167cm、体重57kg(2011年時点[3])。比較的小柄な身体から飛び上がって打つ独特な片手打ちバックハンド・ストロークと、類い稀なフットワークを最大の武器にした。2002-2006年の選手登録名は、「ジュスティーヌ・エナン=アーデン」(Justine Henin-Hardenne)。また、2001年全仏オープンまでは、日本の新聞一般表記は「ジャスティン・ヘニン」であった。

ジュスティーヌ・エナン
Justine Henin
ジュスティーヌ・エナン
基本情報
愛称ジュジュ(JuJu)
国籍ベルギーの旗 ベルギー
出身地同・リエージュ
生年月日 (1982-06-01) 1982年6月1日(41歳)
身長167cm
体重57kg
利き手
バックハンド片手打ち
殿堂入り2016年
ツアー経歴
デビュー年1999年
引退年2008年
(2010年-2011年復帰)
ツアー通算45勝
シングルス43勝
ダブルス2勝
生涯通算成績572勝150敗
シングルス525勝115敗
ダブルス47勝35敗
生涯獲得賞金$20,863,335
4大大会最高成績・シングルス
全豪優勝(2004)
全仏優勝(2003・05-07)
全英準優勝(2001・06)
全米優勝(2003・2007)
優勝回数7(豪1・仏4・米2)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪3回戦(2003)
全仏ベスト4(2001)
全英3回戦(2001)
全米2回戦(2001・02)
国別対抗戦最高成績
BJK杯優勝(2001年)
ホップマン杯準優勝(2011年)
キャリア自己最高ランキング
シングルス1位(2003年10月20日)
ダブルス23位(2002年1月14日)
獲得メダル
テニス
オリンピック
2004 アテネ女子シングルス
2011年8月23日現在

選手経歴

エナンは、2歳の時に初めてテニスのラケットを握り、6歳から専門的な指導を受け始めた。彼女はちょうど10歳になった時、母親と一緒に1992年全仏オープンの女子シングルス決勝を会場で観戦し、グラフとモニカ・セレシュの熱闘に深い感動を受けた。この試合を一緒に見た母親は、1995年2月に癌で死去してしまい、ジュスティーヌは父子家庭で育つことになる。14歳の時にコーチのカルロス・ロドリゲスと出会い、ずっと彼の指導を受けていた。

1997年、ジュニアテニス選手の登龍門と言われる「オレンジボウル選手権」に15歳で優勝。同年の全仏オープン女子ジュニアシングルスでカーラ・ブラックジンバブエ)を 4–6, 6–4, 6–4で破り優勝。1999年、プロ入り。5月に故国のアントワープで開催された「ベルギー・オープン」で、ツアー初優勝を遂げた。この後、全仏オープン4大大会にデビューし、予選3試合を勝ち抜いた後、2回戦で第2シードのリンゼイ・ダベンポートアメリカ)に初挑戦した。

エナンが最初に注目を集めたのは、2000年全米オープンの4回戦進出であった。この時、彼女は3回戦で人気選手のアンナ・クルニコワロシア)を 6-4, 7-6 で倒した後、次の4回戦でリンゼイ・ダベンポートに 0-6, 4-6 で敗れた。2001年1月、年頭のオーストラリアゴールドコースト大会の決勝でシルビア・ファリナ・エリアイタリア)を破り、ツアー2勝目を獲得する。

2001年全仏オープンにおいて、エナンはシングルス・ダブルスの2部門で準決勝に進出した。シングルス準決勝では1歳年下のキム・クライシュテルスとの「ベルギー対決」に敗れ、ダブルスではエレナ・タタルコワウクライナ)とパートナーを組んだ。続く2001年ウィンブルドンでは第8シードから決勝に進出し、前年度優勝者のビーナス・ウィリアムズアメリカ)に 1-6, 6-3, 0-6 で敗れて、準優勝になった。[4] この一連の活躍で世界的な注目を浴び、世界トップ10選手に定着する。こうして、エナンとクライシュテルスのベルギー女子2強豪がテニス界を席巻し始めた。

2002年11月16日、ジュスティーヌ・エナンは、ピエール=イブ・アーデンと結婚。結婚後は、2つの姓を併用して「ジュスティーヌ・エナン=アーデン」(Justine Henin-Hardenne)と名乗るようになる。2003年全仏オープン2003年全米オープン2004年全豪オープンで、それぞれ初優勝を達成。この3大会ではすべてキム・クライシュテルスとの「ベルギー対決」の決勝を制し、ベルギーのテニス選手として最初の4大大会優勝者に輝いた。

2004年アテネ五輪で女子シングルスの金メダルを獲得した時は、決勝でアメリ・モレスモフランス)を 6-3, 6-3 で圧倒した。2004年のシーズンはウイルス性疾患などに悩まされたが、2005年全仏オープンで2年ぶり2度目の優勝を飾り、4大大会通算4勝目を挙げる。その決勝戦では地元フランスの30歳マリー・ピエルスを 6-1, 6-1 で圧倒した。

2006年

2006年全豪オープンでは、2年ぶり2度目の決勝戦でアメリ・モレスモとの対戦中に体調を崩し、1-6, 0-2 で途中棄権に追い込まれたため、2度目の全豪優勝はならなかった。続く2006年全仏オープンでは、2004年全米オープンの優勝者スベトラーナ・クズネツォワを 6-4, 6-4 で圧倒し、大会2連覇を達成する。2006年度の4大大会はすべて決勝に進んだが、全仏以外は準優勝に終わった。

2007年から、彼女は選手登録名を旧姓の「ジュスティーヌ・エナン」に戻した。2007年全豪オープンを「個人的な理由で」欠場し、全豪開催期間中の1月23日に公式サイトで夫のピエール=イブ・アーデンと離婚したことを明らかにした。この年、エナンは全仏オープンで大会3連覇を達成した。全仏オープンの女子シングルス3連覇は、1990年から1992年にかけて3連覇したモニカ・セレシュ以来の偉業となった。2007年全米オープンでは、2002年セリーナ・ウィリアムズ以来となる全試合ストレート勝ちの完全優勝を成し遂げた。

2008年5月14日、母国ベルギーで記者会見し、シーズン途中での現役引退を発表。テニス選手が世界ランキング1位のままで現役を退いたのは史上初めての出来事であった。同国のライバル、クライシュテルスも前年の2007年5月に現役引退を発表し、その1年後にエナンが世界1位のまま女子テニス界を去ったことにより、いったんはベルギーの女子2強豪の姿がテニスコートから消えた。(クライシュテルスは2009年8月から現役復帰し、2009年全米オープンで復活優勝した。)

2009年8月には、年末にベルギーとドバイで行われるエキシビジョン・マッチへの参加のためにトレーニングを再開したことが報道され[5]、この報道から約1ヶ月後の9月22日、エナン側から正式に2010年の1月からツアーに復帰するとの発表が行われた[6][7]。正式なツアー復帰に先立ち、2009年12月6日に母国ベルギーのシャールロアで行われたエキシビション・マッチの決勝でフラビア・ペンネッタイタリア)に 6-4, 6-4 のストレート勝ちを収める。

2010年

2010年年頭のオーストラリアゴールドコースト大会から現役復帰したエナンは、復帰初戦で決勝戦に進み、キム・クライシュテルスに 3-6, 6-4, 6-7(6-8) で敗れて準優勝になる。それから2010年全豪オープンで現役復帰後初の4大大会に出場し、4年ぶり3度目の決勝まで進出したが、第1シードのセリーナ・ウィリアムズに 4-6, 6-3, 2-6 で敗れて準優勝になった。3年ぶりの出場になった全仏オープンでは4回戦でサマンサ・ストーサーに6-2, 1-6, 4-6で敗れ、全仏の連勝が24で止まった。唯一優勝のないウィンブルドンでは4回戦でクライシュテルスに6-2, 2-6, 3-6で敗れ、この試合で転倒して肘を痛め2010年の残り試合を欠場した。

怪我から復帰した2011年全豪オープンでは、3回戦で過去16勝2敗と相性のよかったスベトラーナ・クズネツォワに 4-6, 6-7(8) で敗れた。2011年1月26日、エナンは2度目の現役引退を発表した[8]

エナンは2013年3月に第1子である長女を出産した。2015年3月に再婚している[9]。2016年にベルギー人として初めての国際テニス殿堂入りを果たした[10]

プレースタイル

フォアもバックもチャンスを逃さない攻撃力があり、それに加えて守備力も非常に高いオールラウンダー。とくにバックのスライスで広いリーチを確保し、そのスライスの質も高いため、攻められてもペースを変えられるというのが大きなアドバンテージになっている。

フォアハンドは力強く、フラットに叩いてエースを狙うこともできる。また、フォアハンドのヘビートップスピンで相手の攻撃をかわすこともでき、守備力は女子で随一と言える。攻撃にも多彩なパターンがあり、相手によって使い分けられる引き出しが非常に多いのが、最大の強み[11]

オールラウンドなバックハンドを持っている選手であり、攻めも守りも良く、欠点がなく、全体的な質の高い。グリップは厚いが、フラットのボールを打つことができ、さらにスライス感覚に優れているため、攻められてもイーブンに戻すことができ、ドロップショットもうまい。サーブは非常に完成度の高いフォームを持っており、しっかりしたスピンサーブを打つことができる[12]

記録

※オープン化以降

全仏オープン「3連覇」
モニカ・セレシュとタイ記録。
全仏オープンを1セットも落とさずに優勝「2回」
2006,2007
全仏オープン40セット連続獲得
2005–2010
年間で全てのグランドスラム決勝に進出
2006。マーガレット・カーターらも記録。
同じ年に1セットも落とさずに優勝「2回」
2007。ビリー・ジーン・キングらとタイ記録。

WTAツアー決勝進出結果

シングルス: 61回 (43勝18敗)

大会グレード
2008年以前2009年以後
グランドスラム (7–5)
オリンピック (1-0)
WTAファイナルズ (2–0)
ティア I (10–4)プレミア・マンダトリー (0-0)
プレミア5 (0-0)
ティア II (17–5)プレミア (1–0)
ティア III (3–2)インターナショナル (1-1)
ティア IV & V (1–1)
結果No.決勝日大会サーフェス対戦相手スコア
優勝1.1999年5月10日 アントワープクレー サラ・ピトコフスキ6–1, 6–2
優勝2.2001年1月1日 ゴールドコーストハード シルビア・ファリナ・エリア7–6(5), 6–4
優勝3.2001年1月8日 キャンベラハード サンドリーヌ・テスチュ6–2, 6–2
優勝4.2001年6月18日 スヘルトーヘンボス キム・クライシュテルス6–4, 3–6, 6–3
準優勝1.2001年7月8日 ウィンブルドン ビーナス・ウィリアムズ1–6, 6–3, 0–6
準優勝2.2001年9月16日 ワイコロアハード サンドリーヌ・テスチュ3–6, 0–2 途中棄権
準優勝3.2001年9月16日 フィルダーシュタットハード リンゼイ・ダベンポート5–7, 4–6
準優勝4.2002年1月5日 ゴールドコーストハード ビーナス・ウィリアムズ5–7, 2–6
準優勝5.2002年2月17日 アントワープカーペット (室内) ビーナス・ウィリアムズ3–6, 7–5, 3–6
準優勝6.2002年4月14日 アメリアアイランドカーペット (室内) ビーナス・ウィリアムズ6–2, 5–7, 6–7(5)
優勝5.2002年5月6日 ベルリンクレー セリーナ・ウィリアムズ6–2, 1–6, 7–6(5)
準優勝7.2002年5月19日 ローマクレー セリーナ・ウィリアムズ6–7(6), 4–6
優勝6.2002年10月21日 リンツカーペット (室内) アレクサンドラ・スティーブンソン6–3, 6–0
優勝7.2003年2月17日 ドバイハード モニカ・セレシュ4–6, 7–6(4), 7–5
優勝8.2003年4月7日 チャールストンクレー セリーナ・ウィリアムズ6–3, 6–4
優勝9.2003年5月5日 ベルリンクレー キム・クライシュテルス6–4, 4–6, 7–5
優勝10.2003年5月26日 全仏オープンクレー キム・クライシュテルス6–0, 6–4
準優勝8.2003年6月21日 スヘルトーヘンボス キム・クライシュテルス7–6(4), 0–3 途中棄権
優勝11.2003年7月28日 サンディエゴハード キム・クライシュテルス3–6, 6–2, 6–3
優勝12.2003年8月11日 トロントハード リナ・クラスノルツカヤ6–1, 6–0
優勝13.2003年8月25日 全米オープンハード キム・クライシュテルス7–5, 6–1
準優勝9.2003年9月28日 ライプツィヒカーペット (室内) アナスタシア・ミスキナ6–3, 3–6, 3–6
準優勝10.2003年10月6日 フィルダーシュタットハード キム・クライシュテルス7–5, 4–6, 2–6
優勝14.2003年10月13日 チューリッヒカーペット (室内) エレナ・ドキッチ6–0, 6–4
優勝15.2004年1月12日 シドニーハード アメリ・モレスモ6–4, 6–4
優勝16.2004年1月31日 全豪オープンハード キム・クライシュテルス6–3, 4–6, 6–3
優勝17.2004年2月23日 ドバイハード スベトラーナ・クズネツォワ6–3, 7–6(3)
優勝18.2004年3月8日 インディアンウェルズハード リンゼイ・ダベンポート6–1, 6–4
優勝19.2004年8月16日 アテネ五輪ハード アメリ・モレスモ6–3, 6–3
優勝20.2005年4月17日 チャールストンクレー エレーナ・デメンチェワ7–5, 6–4
優勝21.2005年5月1日 ワルシャワクレー スベトラーナ・クズネツォワ3–6, 6–2, 7–5
優勝22.2005年5月8日 ベルリンクレー ナディア・ペトロワ6–3, 4–6, 6–3
優勝23.2005年6月4日 全仏オープンクレー マリー・ピエルス6–1, 6–1
準優勝11.2005年8月21日 トロントハード キム・クライシュテルス5–7, 1–6
優勝24.2006年1月13日 シドニーハード フランチェスカ・スキアボーネ4–6, 7–5, 7–5
準優勝12.2006年1月29日 全豪オープンハード アメリ・モレスモ1–6, 0–2 途中棄権
優勝25.2006年2月25日 ドバイハード マリア・シャラポワ7–5, 6–2
優勝26.2006年6月10日 全仏オープンクレー スベトラーナ・クズネツォワ6–4, 6–4
準優勝13.2006年5月14日 ベルリンクレー ナディア・ペトロワ6–4, 4–6, 5–7
優勝27.2006年6月24日 イーストボーン アナスタシア・ミスキナ4–6, 6–1, 7–6(5)
準優勝14.2006年7月9日 ウィンブルドン アメリ・モレスモ6–2, 3–6, 4–6
優勝28.2006年8月26日 ニューヘイブンハード リンゼイ・ダベンポート6–0, 1–0 途中棄権
準優勝15.2006年9月10日 全米オープンハード マリア・シャラポワ4–6, 4–6
優勝29.2006年11月9日 マドリードハード (室内) アメリ・モレスモ6–4, 6–3
優勝30.2007年2月24日 ドバイハード アメリ・モレスモ6–4, 7–5
優勝31.2007年3月3日 ドーハハード スベトラーナ・クズネツォワ6–4, 6–2
準優勝16.2007年4月1日 マイアミハード セリーナ・ウィリアムズ6–0, 5–7, 3–6
優勝32.2007年5月7日 ワルシャワクレー アリョーナ・ボンダレンコ6–1, 6–3
優勝33.2007年6月9日 全仏オープンクレー アナ・イバノビッチ6–1, 6–2
優勝34.2007年6月23日 イーストボーン アメリ・モレスモ7–5, 6–7(4), 7–6(2)
優勝35.2007年8月19日 トロントハード エレナ・ヤンコビッチ7–6(3), 7–5
優勝36.2007年9月8日 全米オープンハード スベトラーナ・クズネツォワ6–1, 6–3
優勝37.2007年10月7日 シュトゥットガルトハード タチアナ・ゴロビン2–6, 6–2, 6–1
優勝38.2007年10月21日 チューリッヒハード (室内) タチアナ・ゴロビン6–4, 6–4
優勝39.2007年11月11日 マドリードハード (室内) マリア・シャラポワ5–7, 7–5, 6–3
優勝40.2008年1月11日 シドニーハード スベトラーナ・クズネツォワ4–6, 6–2, 6–4
優勝41.2008年2月17日 アントワープハード (室内) カリン・クナップ6–3, 6–3
準優勝17.2010年1月9日 ブリスベンハード キム・クライシュテルス3–6, 6–4, 6–7(6)
準優勝18.2010年1月30日 全豪オープンハード セリーナ・ウィリアムズ4–6, 6–3, 2–6
優勝42.2010年5月2日 シュトゥットガルトクレー サマンサ・ストーサー6–4, 2–6, 6–1
優勝43.2010年6月19日 スヘルトーヘンボス アンドレア・ペトコビッチ3–6, 6–3, 6–4

ダブルス: 3回 (2勝1敗)

結果No.決勝日大会サーフェスパートナー対戦相手スコア
準優勝1.2001年10月14日 フィルダーシュタットハード メガン・ショーネシー リンゼイ・ダベンポート
リサ・レイモンド
4–6, 7–6(4), 5–7
優勝1.2002年1月6日 ゴールドコーストハード メガン・ショーネシー アサ・スベンソン
ミリアム・オレマンス
6–1, 7–6(6)
優勝2.2002年10月14日 チューリッヒカーペット (室内) エレーナ・ボビナ エレナ・ドキッチ
ナディア・ペトロワ
6–2, 7–6(2)

4大大会優勝

大会対戦相手試合結果備考
2003年全仏オープン キム・クライシュテルス6-0, 6-4「ジュスティーヌ・エナン・アーデン」の名前で優勝
2003年全米オープン キム・クライシュテルス7-5, 6-1
2004年全豪オープン キム・クライシュテルス6-3, 4-6, 6-3
2005年全仏オープン マリー・ピエルス6-1, 6-1
2006年全仏オープン スベトラーナ・クズネツォワ6-4, 6-4
2007年全仏オープン アナ・イバノビッチ6-1, 6-2旧姓の「ジュスティーヌ・エナン」に戻る
2007年全米オープン スベトラーナ・クズネツォワ6-1, 6-3

4大大会シングルス成績

略語の説明
 W  F SFQF#RRRQ#LQ A Z#PO G  S  B NMS P NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会1999200020012002200320042005200620072008200920102011通算成績
全豪オープンA2R4RQFSFWAFAQFAF3R38–8
全仏オープン2RASF1RW2RWWWAA4RA38–4
ウィンブルドンA1RFSFSFA1RFSFAA4RA30–8
全米オープン1R4R4R4RW4R4RFWAAAA35–7

脚注

外部リンク