タカオー

タカオー日本競走馬種牡馬。1955年春の天皇賞などに優勝。月間平均3走というペースで出走を続けた頑健さから、「走る精密器械」との異名を取った。同郷、同父の同期馬にダイナナホウシュウがおり、同馬ほかとともに中央競馬の連勝タイ記録を保持する一頭である。引退後は種牡馬としてビルマ(現:ミャンマー)に輸出された。

タカオー
菊花賞出走時(1954年11月23日)
欧字表記Taka O
品種サラブレッド
性別
毛色鹿毛
生誕1951年4月8日
死没不明
シーマー
タカマサ
母の父クモハタ
生国日本の旗 日本北海道伊達市
生産者飯原農場
馬主高須銀次郎
調教師上村大治郎(東京
競走成績
生涯成績64戦31勝
中央競馬46戦27勝)
地方競馬18戦4勝)
獲得賞金1178万5760円(中央競馬のみ)
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経歴

1951年、北海道伊達市の飯原農場に生まれる。父シーマーは1948年春の天皇賞優勝馬。同場の経営者・飯原盛作はスパルタ方式で馬を育成したことで知られ、タカオーは同期のタマサン(後のダイナナホウシュウ)と共に厳しい鍛錬を課され、頑健な体質を身に付けた。しかし馬体の成長は阻害され、タマサンともども体高(キ甲=首と背の境から足元まで)は5尺1寸(約154.5cm)と、当時としても小柄な馬体をもって競走馬となった。

戦績

3歳(1953年)

競走年齢の3歳となった1953年7月、福島開催の新馬戦でデビュー、3戦目で初勝利を挙げる。その4日後に優勝戦も制した後、所属厩舎のある東京競馬場に入ると、緒戦のオープン戦を6馬身差で勝利。続く優勝戦では2着と敗れたが、以後連戦連勝を続け、12月13日には関東の3歳王者戦・朝日盃3歳ステークスを迎える。当日は8戦6勝という成績で臨んでいたカネリューが1番人気に支持され、タカオーは前走で同馬を退けていたにもかかわらず、小柄な馬体が嫌われて2番人気となった。しかしレースでは逃げたカネリューを見る形で好位を進むと、直線で失速した同馬を一気に交わして独走態勢となり、2着ゴールデンゲートに3馬身半差を付けての圧勝を収めた。

4歳(1954年)

翌1954年も正月3日の初開催から始動。オープン戦勝利から、クラシック初戦の皐月賞に向けて連勝を続ける。4月4日、通算17戦目となるオープン戦勝利に至り、クリフジトサミドリウイザートに続く11連勝を達成。そして4月18日、新記録の12連勝を懸け、本命馬として皐月賞に臨んだ。本競走で、関西に入厩していたダイナナホウシュウと初対戦となる。ダイナナホウシュウもまたデビュー以来の10連勝を続けており、同郷の東西両雄対決と注目された。当日の単勝人気はタカオー1番人気、ダイナナホウシュウ2番人気の順であったが、投じられた票数は4799対4668と、ごく僅差であった。スタートが切られるとダイナナホウシュウが先頭に立って馬群を先導、タカオーは先行集団の中を進んだ。最終コーナーにかけてタカオーは先頭を窺い進出して行ったが、直線に入りダイナナホウシュウがタカオー以下を突き放し、2着オーセイに8馬身差の圧勝。タカオーは失速し、13馬身余り離された4着に終わった。タカオーは重馬場上手の馬と見られていたが、競走後、高橋英夫は敗因として重馬場に手間取っていたと述べた。

続いて東京優駿(日本ダービー)を控え、トライアル競走NHK盃に出走。再度の対戦となったダイナナホウシュウから離れた3番人気と評価を落としたが、スタートで出遅れた同馬を3着に退け、皐月賞の雪辱を果たす。次走のオープン戦にも勝利して東京優駿に臨み、当日はダイナナホウシュウに次ぐ2番人気に支持された。レースは重馬場の中を好位追走から、直線でダイナナホウシュウを交わして先頭に立った。しかし直後に重馬場得意のゴールデンウエーブに大外から交わされ、同馬から3馬身差の2着に終わった。

競走後、秋に備えて休養に入ったダイナナホウシュウに対し、タカオーは休みなく出走を続け、ダービー2週間後のオープン戦から8月15日の函館記念まで、3ヶ月足らずの間に9戦6勝という成績で進み、函館記念では66kgの斤量を背負いながら、コースレコードで走破した。しかし秋に入ると調子を落として連敗し、秋シーズン5戦目に出走したクラシック最後の一冠・菊花賞(11月23日)は、勝ったダイナナホウシュウから約7馬身差の4着に終わった。その後は次走の中山特別に勝利、年末のクモハタ記念を2着として4歳シーズンを終える。年頭の初開催から年末の最終開催までを走破し、当年のみで26戦15勝という成績を残した。

5-7歳(1955-1957年)

天皇賞優勝時

古馬となった1955年も初開催から始動、ニューイヤーステークスを4着とした後、徐々に復調し、4月29日に天皇賞(春)を迎えた。ダイナナホウシュウが脚部不安のため出走しておらず、当日は1番人気に支持されると、2着セカイイチに4馬身差・コースレコードで圧勝し、八大競走初制覇と同一競走父子制覇を果たした。

次走の東京盃も連勝したが、続くオープン2戦ではそれぞれ72kg、70kgという斤量で4、2着と敗れた。タカオーはすでに一般競走では70kgを超える斤量が不可避となっており、また、当時の天皇賞は一度勝利すると出走権を失う「勝ち抜け制」であったため、目標とするレースもなくなっていた。このため、タカオーはこれを最後に中央競馬の競走登録を抹消し、公営南関東競馬に移籍した。天皇賞優勝馬の地方転出は物議を醸したが、小柄な馬体が嫌われて種牡馬としての受け入れ先がないといった事情もあった。

地方ではA級に編入されたが、往時の能力を発揮することはできず、7歳までに18戦4勝。最後は大井競馬のB級特別戦を制して競走生活を終えた。天皇賞を含む13戦で手綱を執った古山良司によれば、天皇賞当時すでにタカオーの状態は「すっかりガタガタ」だったという。

引退後

引退後はビルマ(ミャンマー)に種牡馬として寄贈された[注釈 1]。当時ビルマの競馬には体高制限があり、小柄なタカオーが適格と判断されたものだった。しかし、1962年に同国でネ・ウィンによる軍事クーデターが起こり、以後の混乱の中でタカオーの消息は不明となった。

全成績

年月日開催場競走名頭数人気着順距離(状態タイム着差騎手斤量勝ち馬/(2着馬)
19537.18福島新馬553着芝800m(良)古山良司51ゴールデンゲート
7.25福島新馬312着芝800m(重)クビ古山良司51グローブタカヨシ
7.29福島新馬511着芝800m(良)49.0ハナ大久保末吉51.5(セルテート)
8.2福島優勝521着芝1000m(不)1:02.13 1/2身高橋英夫51(サツマムスメ)
9.13東京オープン521着芝1000m(不)1:01.26身古山良司51(ゴールデンゲート)
10.4東京優勝1022着芝1200m(良)クビ古山良司51ハマウタ
10.17中山オープン1111着芝1000m(良)1:01.21 1/2身古山良司51(アサゴー)
11.1中山優勝711着芝1100m(良)1:08.01/2身古山良司51(ホマレオー)
11.15東京オープン1121着芝1200m(良)1:13.13身古山良司52(ハマウタ)
12.5中山オープン521着芝1100m(稍)1:08.21 1/2身高橋英夫53(カネリュー)
12.13中山朝日盃三歳S1121着芝1100m(良)1:07.43 1/2身高橋英夫52(ゴールデンゲート)
19541.3中山オープン511着芝1100m(不)1:10.1ハナ高橋英夫55(グローブタカヨシ)
1.23中山オープン311着芝1100m(稍)1:10.11/2身浅野武志55(セルテート)
3.7中山優勝511着芝1700m(不)1:57.16身高橋英夫57(サツマムスメ)
3.14東京オープン611着芝1600m(良)1:40.14身小林総介55(ゴールデンゲート)
3.21東京スプリングS511着芝1800m(良)1:53.11 1/4身高橋英夫54(ハマウタ)
4.4中山オープン511着芝1800m(良)1:54.22身小林総介57(メイヂホマレ)
4.18中山皐月賞1314着芝2000m(不)高橋英夫57ダイナナホウシュウ
5.5東京NHK盃1131着芝2000m(良)2:05.1クビ高橋英夫57(ミネマサ)
5.15東京オープン811着芝1800m(稍)1:55.41 3/4身小林総介59(カズチカラ)
5.23東京東京優駿1822着芝2400m(稍)3身高橋英夫57ゴールデンウエーブ
6.6東京優勝511着芝1800m(重)1:57.2クビ古山良司62(メイヂホマレ)
6.13中山特ハン722着芝1800m(良)クビ古山良司59トキノメイヂ
6.19中山オープン521着芝2000m(良)2:05.44身小林総介63(タカニシキ)
7.4中山優勝613着芝2000m(良)小林総介63ホマレオー
7.14福島オープン511着芝1800m(稍)1:58.11 1/4身小林総介64(マイルービー)
7.18福島福島記念934着芝2000m(重)高橋英夫65ビクトリー
7.25福島優勝711着芝1800m(良)1:52.12身小林総介64(トキノメイヂ)
8.7函館オープン611着芝1800m(良)1:53.32 1/2身小林総介65(マイルービー)
8.15函館函館記念921着芝2400m(良)R2:33.1クビ浅野武志66(ダイコロンブス)
9.25東京オープン422着芝2000m(良)クビ渡辺安三65ミネノスガタ
10.3東京毎日王冠525着芝2500m(良)浅野武志56ハクリョウ
10.24中山特ハン912着芝1800m(良)2 1/2身古山良司65トキノメイヂ
11.14京都特ハン954着芝2200m(良)服部正利66ミツサクラ
11.23京都菊花賞944着芝3000m(良)近藤武夫57ダイナナホウシュウ
12.19中山中山特別1171着芝2400m(良)2:33.11 1/4身浅野武志64(ホマレオー)
12.26中山クモハタ記念1312着芝2000m(良)1 1/4身浅野武志64オーセイ
19551.3中山ニューイヤーS1344着芝1800m(良)浅野武志66トキノメイヂ
1.16中山金盃1072着芝2600m(良)2 1/2身浅野武志65ハクリョウ
3.6東京特ハン1051着芝1800m(稍)1:52.31 1/4身古山良司66(イダテン)
3.27東京優勝621着芝1800m(重)1:56.23/4身浅野武志66トキノメイヂ
4.16京都オープン533着芝2000m(不)粕谷重雄68セカイイチ
4.29京都天皇賞(春)1111着芝3200m(良)R3:22.34身古山良司58(セカイイチ)
5.15東京東京盃611着芝2400m(良)2:30.11 1/2身古山良司60(トキノメイヂ)
5.28東京オープン612着芝2000m(良)2 1/2身小野定夫72クリチカラ
6.11東京オープン624着芝1800m(良)柴田欽也70ハヤオー
7.1大井AB1特別613着1800m(良)須田茂63キヨストロング
7.10川崎川崎記念725着ダ2200m(良)須田茂61イチサキホマレ
10.4大井オープン特別931着ダ1800m(良)1:54.0須田茂61(ハクゲキ)
10.25浦和浦和記念611着ダ2000m(良)2:08.0須田茂62(トキノダイゴ)
10.30大井オープン特別1015着ダ2000m(良)須田茂63フェアシンボル
11.20大井オープン特別713着ダ2000m(良)須田茂63ブゼントシユキ
19565.23船橋金の鞍63着ダ2000m(稍)須田茂54イチヨシノ
6.10大井オープン特別824着ダ1800m(良)須田茂54ブゼントシユキ
6.27大井大井記念1018着ダ2400m(良)須田茂53ブゼントシユキ
7.15川崎川崎記念916着ダ2200m(良)須田茂52カネエイカン
7.26船橋金の鞍635着ダ2000m(良)須田茂53スヰートハート
8.5大井A2下特別631着ダ1800m(良)1:54.3須田茂52(ナンシーシャイン)
8.19大井A2下特別815着ダ1800m(良)須田茂57ナンシーシャイン
9.2大井オープン特別433着ダ1800m(良)須田茂53オートネ
19574.24大井特ハン1282着ダ1800m(重)曽根和一55ヒロホマレ
5.3大井特ハン512着ダ1800m(良)須田茂54ヒロホマレ
5.11川崎C1・C2特別512着ダ1700m(良)須田茂57タカギク
5.16大井B1・B2特別711着ダ1800m(良)1:56.0須田茂54ヒロホマレ
  • タイム欄のRはレコード勝ちを示す。

血統表

タカオー血統The Tetrarch系 / 4代までアウトブリード(血統表の出典)

シーマー 1944
鹿毛 日本
父の父
*セフト
Theft 1932
鹿毛 イギリス
TetratemaThe Tetrarch
Scotch Gift
VoleuseVolta
Sun Worship
父の母
秀調 1936
黒鹿毛 日本
大鵬*シアンモア
*フリッパンシー
英楽*チャペルブラムプトン
慶歌

タカマサ 1944
栗毛 日本
クモハタ 1936
栗毛 日本
*トウルヌソル
Tournesol
Gainsborough
Soliste
*星旗
Fairy Maiden
Gnome
Tuscan Maiden
母の母
ベルモント 1935
鹿毛 日本
*アスフォード
Athford
Blandford
Athasi
チェロキー*ダイヤモンドウェッディング
*スクールベル F-No.A39

母の従弟に1958年春の天皇賞優勝馬トサオーがいる。母系アメリカンナンバーと呼ばれる北米由来の系統であり、祖先の正確な素性は詳らかでない。

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 白井透編『日本の名馬』(サラブレッド血統センター、1971年)
  • 中央競馬ピーアール・センター編『日本の名馬・名勝負物語』(中央競馬ピーアール・センター、1980年)

外部リンク