チャールズ・セシル (聖職者)

チャールズ・セシル英語: Charles Cecil1695年ごろ – 1737年5月29日/6月15日)は、グレートブリテン王国期のイングランド国教会の聖職者。ブリストル主教英語版(1733年 – 1734年)、バンガー主教英語版(1734年 – 1737年)を務めた[1]

略歴

庶民院議員ロバート・セシル閣下英語版第3代ソールズベリー伯爵ジェームズ・セシルの次男)と妻エリザベス(アイザック・メイネルの娘、リチャード・ヘイルの未亡人)の息子として生まれた[2]

1712年10月10日、17歳のときにオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1719年にB.C.L.英語版の学位を修得した[1]

1719年10月11日にハットフィールド英語版の教区牧師に就任、以降1737年に死去するまで務めた[3]。1728年にケンブリッジ大学よりD.D.の学位を授与され、1731年にはオックスフォードでの学位に基づきケンブリッジでアド・エウンデム学位英語版が認められた[1]

1733年にブリストル主教英語版に任命された後、1734年にバンガー主教英語版に転じ、在任中に死去した[1]。没日は1737年5月29日とする文献と[1]、1737年6月15日とする文献が存在する[3]

出典

イングランド国教会の称号
先代
ウィリアム・ブラッドショー英語版
ブリストル主教英語版
1733年 – 1734年
次代
トマス・セッカー英語版
先代
トマス・シャーロック英語版
バンガー主教英語版
1734年 – 1737年
次代
トマス・ヘリング英語版