デポルティーボ・アラベス

スペインのサッカークラブ

デポルティーボ・アラベス, S.A.D.Deportivo Alavés, S.A.D., スペイン語発音: [deporˈtiβo alaˈβes])は、スペインバスク州ビトリア=ガステイスに本拠地を置くサッカークラブ。2023-24シーズンからプリメーラ・ディビシオンに所属している。

デポルティーボ・アラベス
原語表記Deportivo Alavés, S.A.D.
愛称El Glorioso (栄光)
Babazorro (そら豆の袋)
Albiazules (白と青)
クラブカラー   
   
創設年1921年
所属リーグラリーガ
所属ディビジョン1部(2023-24
昨季リーグ順位4位 (2022-23)
ホームタウンバスク自治州 バスク州ビトリア=ガステイス
ホームスタジアム
メンディソローサ
収容人数19,900人
代表者スペインの旗 アルフォンソ・フェルナンデス
監督スペインの旗 ルイス・ガルシア
公式サイト公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

歴史

創設から1980年代

1921年に創設され、8年後の1929年にリーガ・エスパニョーラ(全国選手権)が創設されるとセグンダ・ディビシオン(2部)の初代メンバーとなった。2シーズン目の1929-30シーズンにはセグンダ・ディビシオンで優勝し、プリメーラ・ディビシオン(1部)に昇格。1930-31シーズンからの3シーズンをトップリーグで過ごした。その後はセグンダ・ディビシオンやテルセーラ・ディビシオン(当時3部相当)でプレーしていたが、1953-54シーズンのセグンダ・ディビシオンで優勝して24年ぶりにプリメーラ・ディビシオンに昇格した。1950年代後半からは再び2部以下のカテゴリーで過ごし、1970-71シーズンにはディビシオネス・レヒオナレス(当時4部相当、地域リーグ)落ちも経験した。1973-74シーズン、勝てばセグンダ昇格という試合でヘタフェCFと対戦したアラベスは3-1で勝利し、5シーズンぶりの2部復帰を決めた[1]

1990年代

1992-93シーズンと1993-94シーズンにはセグンダ・ディビシオンB(1977年創設、現3部相当)で2シーズン連続優勝し、1994-95シーズンには13シーズンぶりにセグンダ・ディビシオンに在籍すると、1997-98シーズンにはマネ監督の指揮下、セグンダ・ディビシオンで優勝して42年ぶりのトップリーグに返り咲いた。1995年には、子どものサポーターが使い古したおもちゃを持ち寄ってアフリカの子どもたちに寄贈するという「小さなサンタ計画」をスタートさせ、クラブ規模で児童支援を行っている[2]。1999-2000シーズンにはFCバルセロナに対してホーム&アウェーで2連勝し、シーズンを6位で終えてクラブ史上初の欧州カップ戦出場権を獲得した。

2000年代

2000-01シーズンのUEFAカップ決勝

ルーマニア代表コスミン・コントラオランダ代表ジョルディ・クライフを擁し、2000-01シーズンにはUEFAカップに初出場。1回戦でガズィアンテプスポル(トルコ)を、2回戦でリールストロムSK(ノルウェー)を、3回戦でローゼンボリBK(ノルウェー)を破ると、4回戦ではインテル(イタリア)と対戦し、敵地スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァで勝利するなどして勝ち上がりを決めた。準々決勝ではラージョ・バジェカーノ(スペイン)との同国対決を制し、準決勝では1.FCカイザースラウテルン(ドイツ)に2試合合計9-1で圧勝した。決勝のリヴァプールFC(イングランド)戦は開始16分で2点を先行され、前半終了時にも1-3と劣勢だったが、ハビ・モレーノが後半早々に2得点を挙げて追いつくと、72分のロビー・ファウラーの得点で再び勝ち越されたが、試合終了間際の88分にジョルディ・クライフが4-4となる同点弾を決めて試合を延長に持ち込んだ。延長では残り5分までスコアが動かなかったが、116分にデルフィ・ヘリがゴールデンゴールとなるオウンゴールを喫して4-5で敗れた[3][4]。敗れはしたものの、この試合はUEFAカップ史上屈指の決勝に数えられている[5]。スペイン勢はベスト8に4クラブ(アラベス、FCバルセロナセルタ・デ・ビーゴ、ラージョ)が残り、中小クラブの躍進を印象付けた。そのシーズンのリーグ戦は10位で終えたが、2002-03シーズン終了後にセグンダ・ディビシオンに降格した。

2004年にアメリカ人のディミトリ・ピーターマンがクラブを買収して大型補強に乗り出し、2004-05シーズン終了後にプリメーラ・ディビシオンに再昇格したが、わずか1シーズンでセグンダ・ディビシオンに降格した。ピーターマン会長がクラブ資金を私的に流用していたことが発覚し、裁判沙汰になった。借金は2300万ユーロ(約30億円)を超え、2007年夏にはコンクルサル法(破産法)適用を申請した。2009-10シーズンは19位に終わり、セグンダ・ディビシオンBへ降格。

2010年代

2010年にセグンダBへ降格したアラベスは、その後4シーズンを3部で過ごすことになった。しかし、2012-13シーズンにセグンダB優勝を決め、4年ぶりにセグンダへ復帰した。セグンダ1年目はリーグ18位に終わるも、翌シーズンは13位、2015-16シーズンにはセグンダ優勝を果たし、2005-06シーズン以来となるプリメーラの舞台に戻ってきた。プリメーラ復帰後は毎シーズン中位以下でシーズンを終えている。

2020-21シーズン、アラベスは創設100周年を迎えた。また、これに伴いクラブのエンブレムも一新された。2021年1月23日、この日のレアル・マドリード戦でちょうど100周年ということもあって、試合開始前に小規模なセレモニーが開催され、キックオフにはレアル・マドリードとアラベス両方でプレーしたハビエル・ベラサルセが招かれた。

タイトル

国内タイトル

1929–30, 1953–54, 1997–98
1992-93, 1993-94, 1994-95, 2012-13
1940–41, 1960–61, 1964–65, 1967–68, 1973–74, 1989–90
1946
1929-30
1938-39

成績

近年の成績

シーズンリーグ戦コパ・デル・レイ
ディビジョン順位備考
2013-14セグンダ18位421312175757513回戦敗退
2014-1513位42141117495353ベスト32
2015-161位4221129493575昇格3回戦敗退
2016-17ラ・リーガ9位38141311414355準優勝
2017-1814位3815221405047ベスト8
2018-1911位38131114395050ベスト32
2019-2016位38109193459391回戦敗退
2020-2116位3891118365738ベスト32
2021-2220位388723316531降格2回戦敗退
2022-23セグンダ4位4219149473371昇格ベスト16
2023-24ラリーガ38

過去の成績

シーズンディビジョン順位国王杯
19292セグンダ3位ベスト16
1929-301位ベスト8
1930–311プリメーラ8位ベスト16
1931-329位ベスト8
1932-3310位
1933-342セグンダ10位
1939-408位ベスト16
1940-413テルセーラ1位2回戦敗退
1941-422セグンダ3位
1942-438位ベスト16
1943-443テルセーラ2位5回戦敗退
1944-453位ベスト16
1945-465位
1946-477位
1947-4810位3回戦敗退
1948-4912位1回戦敗退
1949-5010位
1950-512位
1951-522セグンダ9位
1952-534位ベスト16
シーズンディビジョン順位国王杯
1953-542セグンダ1位ベスト16
1954-551プリメーラ10位ベスト16
1955-5614位
1956-572セグンダ5位
1957-587位
1958-5913位1回戦敗退
1959-6013位1回戦敗退
1960-613テルセーラ1位
1961-622セグンダ4位ベスト16
1962-638位ベスト16
1963-6416位ベスト16
1964-653テルセーラ1位
1965-663位
1966-677位
1967-681位
1968-692セグンダ14位
1969-703テルセーラ9位1回戦敗退
1970-714州1部リーグ1位
1971-723テルセーラ7位1回戦敗退
1972-733位2回戦敗退
シーズンディビジョン順位国王杯
1973-743テルセーラ1位2回戦敗退
1974-752セグンダ16位3回戦敗退
1975-7615位2回戦敗退
1976-778位2回戦敗退
1977-7811位ベスト8
1978-799位ベスト8
1979-809位ベスト16
1980-818位ベスト16
1981-8217位3回戦敗退
1982-8317位
1983-843セグンダB3位2回戦敗退
1984-853位3回戦敗退
1985-8615位2回戦敗退
1986-874テルセーラ7位1回戦敗退
1987-888位
1988-892位
1989-901位
1990-913セグンダB2位2回戦敗退
1991-924位3回戦敗退
1992-931位3回戦敗退
シーズンディビジョン順位国王杯
1993-943セグンダB1位3回戦敗退
1994-951位1回戦敗退
1995-962セグンダ7位2回戦敗退
1996-9713位2回戦敗退
1997-981位ベスト4
1998-991プリメーラ16位3回戦敗退
1999-006位ベスト16
2000-0110位ベスト32
2001-027位ベスト16
2002-0319位ベスト16
2003-042セグンダ4位ベスト4
2004-053位3回戦敗退
2005-061プリメーラ18位3回戦敗退
2006-072セグンダ17位2回戦敗退
2007-0817位2回戦敗退
2008-0919位2回戦敗退
2009-103セグンダB5位1回戦敗退
2010-113位1回戦敗退
2011-126位3回戦敗退
2012-131位ベスト16
シーズンディビジョン順位国王杯
2013-142セグンダ18位3回戦敗退
2014-1513位ベスト32
2015-161位1回戦敗退
2016-171ラ・リーガ9位準優勝
2017-1814位ベスト8
2018-1911位ベスト32
2019-2016位1回戦敗退
2020-2116位ベスト32
2021-2220位2回戦敗退
2022-232セグンダ4位ベスト16
2023-241ラリーガ

欧州の成績

シーズン大会ラウンド対戦相手ホームアウェー合計
2000-01 UEFAカップ 1回戦 ガズィアンテプスポル0-04-34-3
2回戦 リールストロム2-23-15-3
3回戦 ローゼンボリ1-13-14-2
4回戦 インテル3-32-05-3
準々決勝 ラージョ・バジェカーノ3-01-24-2
準決勝 カイザースラウテルン5-14-19-2
決勝 リヴァプール4-5 (a.e.t.)
2002-03 UEFAカップ 1回戦 アンカラギュジュ3-02-15-1
2回戦 ベシクタシュ1-10-11-2

現所属メンバー

2024年2月1日現在[6]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
1GK アントニオ・シベラ
2DF アンドニ・ゴロサベル
3DF ルベン・ドゥアルテ (副主将)
4DF アレクサンダル・セドラル
5DF アブデル・アブカル
6MF アンデル・ゲバラ
7DF アレックス・ソラ
8MF アントニオ・ブランコ
10MF ヤニス・ハジ
11MF ルイス・リオハ
14DF ナウエル・テナグリア
15FW キケ・ガルシア
16DF ラファ・マリン
No.Pos. 選手名
17MF シェベル・アルカイン
18MF ホン・グリディ
20FW ジュリアーノ・シメオネ ( )
21MF アブデ・レバシュ ( )
22FW カルロス・ビセンテ
23MF カルロス・ベナビデス ( )
26DF ホセダ・アルバレス
27DF ハビ・ロペス
29FW ホアキン・パニチェッリ ( )
31GK ヘスス・オウォノ
32FW サム・オモロディオン ( )
33GK アドリアン・ロドリゲス

リザーブチーム

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
28MF アンデル・サンチェス
30MF トマス・メンデス
34FW ギオルギ・ガグア
35MF セル・ディアロ
36DF エゴイス・ムニョス
37FW ホセ・デ・レオン
No.Pos. 選手名
39DF エネコ・オルティス
41GK ガイスカ・ガルシア
42MF ウナイ・ロペーロ
43GK ルベン・モンテロ
44DF ビクトル・パラダ

ローン移籍選手

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
7DF アレックス・ソラ (レアル・ソシエダ)
10MF ヤニス・ハジ (レンジャーズ)
16DF ラファ・マリン (レアル・マドリード)
No.Pos. 選手名
20FW ジュリアーノ・シメオネ (アトレティコ・マドリード)
32FW サム・オモロディオン (アトレティコ・マドリード)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
--DF ニコラ・マラシュ (レバンテ)
MF アレックス・バルボア (SDウエスカ)
--MF アブダライ・マフムード (ベッリンツォーナ)
No.Pos. 選手名
FW アラン・ゴドイ (CDミランデス)
--FW ミゲル・デ・ラ・フエンテ (レガネス)

スタッフ

役職氏名
監督 ルイス・ガルシア・プラサ
助監督 ペドロ・ロストル
GKコーチ ハビエル・バルベロ

歴代監督

歴代所属選手

GK

DF

MF

FW

傘下・提携クラブ

デポルティーボ・アラベスB

デポルティーボ・アラベスBは1961年に創設され、23-24シーズンはセグンダ・フェデラシオン(4部相当)に所属している。2,500人収容のエスタディオ・インスタラシオネス・デ・イバイアをホームスタジアムとしている。トップチームと同じく青色と白色の縦縞のシャツ、青色のパンツ、白色のソックスを着用する。

カリフォルニア・ビクトリー

2007年、アメリカのユナイテッドサッカーリーグ1部(北米2部相当)にカリフォルニア・ビクトリー英語版というクラブを立ち上げた。サンフランシスコケザー・スタジアム英語版をホームスタジアムとし、本家デポルティーボ・アラベスと同色のユニフォームを着用していたが、アラベスの経営陣交代によって支援が打ち切られ、同年後半にカリフォルニア・ビクトリーは解散した。

NKルデシュ

2017年5月、クロアチアNKルデシュと10年間の業務提携を結んだ[7]。NKルデシュは2017年にクロアチア1部リーグへと初昇格したクラブであり、アラベスのリザーブチームのような形で活動する。2018年6月、両者合意の下、提携は解除された[8]

ソショー

2018年4月、リーグ・ドゥFCソショー=モンベリアルと業務提携を結んだが[9]、数か月でこの提携は終了した[10]

イストラ

2018年6月、アラベスがNKイストラ1961の株式85%を買収し、イストラを傘下に置いた。イストラの負債約300万ユーロを肩代わりしてイストラの経営健全化に貢献すると、アラベスの若手選手やコーチをイストラに派遣した[11]。また、両者の間では原大智がイストラからアラベスへと引き抜かれている。

関連項目

脚注

外部リンク