レアル・ソシエダ

スペインのサッカークラブ

レアル・ソシエダ・デ・フトボルスペイン語: Real Sociedad de Fútbol) は、バスク州ギプスコア県サン・セバスティアンに本拠地を置くスペインサッカークラブ。プリメーラ・ディビシオンに所属している。レアル・ソシエダードと表記するマスメディアもある[1]

レアル・ソシエダ
原語表記Real Sociedad de Fútbol
愛称La Real
Real
Txuri-urdin(白と青)
Erreala
クラブカラー    青・   
創設年1909年
所属リーグプリメーラ・ディビシオン
所属ディビジョン1部(2022–23
ホームタウンバスク州の旗 バスク州サン・セバスティアン
ホームスタジアム
レアレ・アレーナ
収容人数35,000
代表者スペインの旗 ホキン・アペリバイ
監督スペインの旗 イマノル・アルグアシル
公式サイト公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

名称

チーム名を直訳すると王室公認サッカークラブである。白地に青の縦縞が入ったユニフォームを身に着け、愛称はバスク語で「白・青」を意味する「チュリ・ウルディン(Txuri-urdin)」。クラブ公式アンセムの曲名も同様。

スペインで「レアル(La Real)」と言った場合、レアル・マドリードよりも当クラブを指す。「レアル」を意味する「ラレアル(Erreala)」も愛称として使われる。

ライバル

同じバスク地方にあるアスレティック・ビルバオが最大のライバルで両クラブによるバスクダービーが注目されている。また、サッカー界では珍しく、友好関係があるダービーといわれている[2]

育成

レアル・ソシエダはスペイン国内で育成に定評があり、シャビ・アロンソアントワーヌ・グリーズマンアシエル・イジャラメンディといった選手を輩出。スペインの有力紙「Expansión」では2012年から2015年までに行った育成部門の利益が計算され、1位のサウサンプトンFCに続いて3位にランクインした[3]

歴史

クラブ創設と称号授与

1900年代初頭、イギリスから帰国した学生や労働者によってサン・セバスティアンにサッカーがもたらされた[4]。1903年にはサン・セバスティアン・レクレーション・クラブが作られ、1905年には当時におけるスペイン最高峰の大会であったコパ・デル・レイに初参加。同年5月、レクレーション・クラブからサッカー部門がサン・セバスティアン・フットボール・クラブとして独立した。1909年にはコパ・デル・レイへの出場を申請し、登録認可の問題からスペイン語名のクルブ・シクリスタ・デ・サン・セバスティアンとして参加して、決勝でクルブ・エスパニョール・デ・マドリードを3-1で下して優勝した。1909年9月7日にはソシエダ・デ・フトボルが創立された。1910年、スペインの各クラブはふたつのカップ戦のどちらかで戦っており、ソシエダ・デ・フトボルはバスコニア・デ・サン・セバスティアンとしてコパUECFに出場した。同年にはサン・セバスティアンを夏の首都(summer capital)として使用していたアルフォンソ13世によってレアルの称号が授与され、レアル・ソシエダ・デ・フットボールという名称に変更された[4]

1928年にはリーガ・エスパニョーラ(全国リーグ)が創設され、発足メンバー10クラブに選ばれると、得点王のパコ・ビエンソバスを擁したクラブは4位に食い込んだ。スペイン第二共和政の到来により、1931年にはドノスティア・クルブ・デ・フトボルに名称が変更されたが、1939年のスペイン内戦終結後にレアル・ソシエダ・デ・フトボルに戻った。しばらくはプリメーラ・ディビシオン(1部)とセグンダ・ディビシオン(2部)を行ったり来たりし、1940年代には7度も降格と昇格を繰り返した。1966-67シーズン終了後に昇格すると、それ以後はプリメーラ・ディビシオンに定着した。

1970年代から1980年代の黄金期

アルベルト・オルマエチェア監督はクラブの下部組織で育った若手有望選手を巧みに登用し、1970年代後半から1980年代前半にかけてクラブの全盛期を築いた。1979-80シーズンは32試合連続無敗のリーグ新記録を樹立して2位となり、失点率0.58を記録したルイス・アルコナーダがクラブ史上初のサモラ賞(最少失点率キーパー)受賞者となると、このシーズンから3シーズン連続で同賞を受賞。アルコナーダはファンから絶大な人気を得て、「No pasa nada, tenemos a Arconada」(心配はいらない、我々にはアルコナーダがいる)という有名なチャントが歌われた[4]。アルコナーダに加え、ヘスス・マリア・サトゥルステギアルベルト・ゴリスペリコ・アロンソロベルト・ロペス・ウファルテヘスス・マリア・サモラ、若手のホセ・マリ・バケーロなど、数多くの地元出身選手が主力としてプレーした。1980-81シーズンにはレアル・マドリードと白熱した優勝争いを演じ、最終節のスポルティング・ヒホン戦ではサモラがロスタイムに得点して劇的な優勝を決めた[4]。1981-82シーズンの優勝争いも緊迫した展開となったが、第33節に首位に立つと、最終節(第34節)でビルバオとのバスク・ダービーを制して2連覇を達成。1982年にはスーペルコパ・デ・エスパーニャで優勝し、1982-83シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは最終的に優勝するハンブルガーSV(ドイツ)に敗れたものの、準決勝進出を果たした。

1985年にはジョン・トシャック監督が就任し、1986-87シーズンには2度目のコパ・デル・レイ優勝を果たした。1989年にアルコナーダやサモラが現役引退すると、レアルの成功期は幕を閉じた[4]。同じくバスク地方のクラブであるアスレティック・ビルバオとともにバスク人のみでチームを構成していたが、1989年にリヴァプールFCからアイルランド出身のジョン・オルドリッジを獲得して、長年続けてきた哲学に別れを告げた。このアスレティック・ビルバオとの試合はバスク・ダービー(Derbi vasco、デルビ・バスコ)と呼ばれ、相手チームのファンと肩を組んで応援するなど、友好的なダービーとして知られている。

2000年代前半の躍進

2002-03シーズンにはセルビア代表ダルコ・コバチェビッチトルコ代表ニハト・カフヴェジロシア代表ヴァレリー・カルピンオランダ代表サンデル・ヴェステルフェルトら多国籍の選手を擁し、古参のフランシスコ・デ・ペドロに地元出身のシャビ・アロンソなども加わったチームはプリメーラ・ディビシオンで2位に躍進した。2003年4月にはホームのエスタディオ・アノエタレアル・マドリードを破り、リーグ戦2試合を残して首位に立っていたが、第37節でセルタ・デ・ビーゴに敗れてレアル・マドリードに優勝をさらわれた。しかし、ホームでは無敗を誇り、71得点を挙げたチームは2位でUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。23得点のニハトと20得点のコバチェビッチは得点ランキングで2位と4位につけた。2003-04シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではグループリーグを突破するなど健闘を見せた。

セグンダ降格とプリメーラ復帰

しかし、その後は降格圏付近をさまようシーズンが続き、2006-07シーズン終了後には1967年以来40年ぶりのセグンダ・ディビシオン降格が決定した。ジョン・トシャック元監督の推薦で2007年7月にクリス・コールマン監督を招聘したが、中国系ファンドをバックにイニャキ・バディオラ新会長が就任すると、大規模な補強を進めようとする首脳陣に反対したコールマン監督が辞任し、チームも終盤に昇格圏外の4位に落ちてプリメーラ・ディビシオン復帰はならなかった。2008年12月には理事会の承認を受けられずにバディオラ会長が辞任し、ホキン・アペリバイ新会長に代わった。3000万ユーロ以上あるとされた借金により厳しいクラブ運営を強いられ、2008年7月には地元裁判所に破産を申請して承認された。それにともなって多くの選手を放出したが、若手選手を中心としたチームで2009-10シーズンのセグンダ・ディビシオンを制覇し、4シーズンぶりにプリメーラ・ディビシオンに復帰した。

スタジアム

1913年にエスタディオ・デ・アトーチャ(Estadio de Atotxa)が完成した。アスレティック・ビルバオとのバスクダービーが初開催試合となり、アトレティックのピチーチがスタジアム初の得点者となった[4]。80年以上もアトーチャをホームスタジアムとして使用していたが、1993年以降は32,000人収容のエスタディオ・アノエタをホームスタジアムとして使用している[4]。アノエタはかつてUEFAエリートスタジアムに認定され、UEFAチャンピオンズリーグ決勝を開催する資格を有していた[4]

タイトル

国内タイトル

優勝 (2): 1980-81, 1981-82
2位 (3): 1979-80, 1987-88, 2002-03
優勝 (3): 1909, 1986-87, 2019-20
準優勝 (5): 1910, 1913, 1927-28, 1950-51, 1987-88
優勝 (1): 1982
優勝 (3): 1948-49, 1966-67, 2009-10
準優勝 (2): 1940-41, 1942-43

国際タイトル

なし

成績

近年の成績

シーズンディビジョンコパ・デル・レイ欧州カップ
リーグ順位
1973-74プリメーラ4位3415811464538ベスト16
1974-75プリメーラ4位34121210373236準々決勝敗退UC1回戦敗退
1975-76プリメーラ8位34121012454534準決勝敗退UC2回戦敗退
1976-77プリメーラ8位3413813544134ベスト16
1977-78プリメーラ11位3412913524633準決勝敗退
1978-79プリメーラ4位34185115336414回戦敗退
1979-80プリメーラ2位3416141542046準々決勝敗退UC1回戦敗退
1980-81プリメーラ1位341978522945ベスト16UC3回戦敗退
1981-82プリメーラ1位342077583347準決勝敗退EC1回戦敗退
1982-83プリメーラ7位34121210292736準決勝敗退EC準決勝敗退
1983-84プリメーラ6位3414911433537ベスト16
1984-85プリメーラ7位34111211413334準々決勝敗退
1985-86プリメーラ7位34175126451393回戦敗退
1986-87プリメーラ10位3413813453534優勝
1987-88プリメーラ2位382279613349準優勝CWC2回戦敗退
1988-89プリメーラ11位38111413384736ベスト16UC準々決勝敗退
1989-90プリメーラ5位3815149433544準々決勝敗退
1990-91プリメーラ13位38111413394536ベスト16UC2回戦敗退
1991-92プリメーラ5位381612104438445回戦敗退
1992-93プリメーラ13位3813817465934準々決勝敗退UC1回戦敗退
1993-94プリメーラ11位381212143947365回戦敗退
1994-95プリメーラ11位381214125644384回戦敗退
1995-96プリメーラ7位421712136253632回戦敗退
1996-97プリメーラ8位42189155047632回戦敗退
1997-98プリメーラ3位3816157603763ベスト16
1998-99プリメーラ10位38141212474354ベスト16UCベスト16
1999-00プリメーラ13位381114134249471回戦敗退
2000-01プリメーラ13位38111017526843ベスト64
2001-02プリメーラ13位3813817485447ベスト64
2002-03プリメーラ2位3822106714576ベスト64
2003-04プリメーラ15位38111314495346ベスト32CLベスト16
2004-05プリメーラ14位3813817475647ベスト32
2005-06プリメーラ16位38117204865403回戦敗退
2006-07プリメーラ19位3881119324735ベスト32
2007-08セグンダ4位421814105539682回戦敗退
2008-09セグンダ6位42171694838673回戦敗退
2009-10セグンダ1位42201485337742回戦敗退
2010-11プリメーラ15位3814321496645ベスト32
2011-12プリメーラ12位38121115465247ベスト16
2012-13プリメーラ4位3818128704966ベスト32
2013-14プリメーラ7位38161111625559準決勝敗退CLGL敗退
2014-15プリメーラ12位38111314445146ベスト16ELPO敗退
2015-16プリメーラ9位3813916454848ベスト32
2016-17プリメーラ6位3819712595364準々決勝敗退
2017-18プリメーラ12位3814717665949ベスト32ELベスト32
2018-19プリメーラ9位38131114454650ベスト16
2019-20プリメーラ6位3816814564856優勝
2020-21プリメーラ5位38171110593862ベスト16ELベスト32
2021-22プリメーラ6位38171110403762準々決勝敗退EL決勝プレーオフ敗退
2022-23プリメーラ4位382189513571準々決勝敗退ELベスト16
2023-24プリメーラ38準決勝敗退CLR16

過去の成績

  • レアル・ソシエダ・デ・フットボール
シーズンディビジョン順位コパ・デル・レイ
19291部4位
1929-301部7位
1930-311部3位
  • ドノスティアCF
シーズンディビジョン順位コパ・デル・レイ
1931-321部8位
1932-331部6位
1933-341部5位
1934-351部11位
1935-362部6位
  • レアル・ソシエダ・デ・フトボル
シーズンディビジョン順位コパ・デル・レイ
1939-402部1位
1940-412部1位
1941/421部14位
1942-432部1位
1943-441部13位
1944-452部4位
1945-462部6位
1946-472部3位
1947-481部13位
1948-492部1位
1949-501部8位
1950-511部5位
1951-521部10位
1952-531部10位
1953-541部9位
1954-551部14位
1955-561部8位
1956-571部12位
1957-581部9位
1958-591部10位
シーズンディビジョン順位コパ・デル・レイ
1959-601部14位
1960-611部8位
1961-621部15位
1962-632部4位
1963-642部6位
1964-652部4位
1965-662部10位
1966-672部1位
1967-681部14位
1968-691部7位
1969-701部7位
1970-711部8位
1971-721部8位
1972-731部7位
1973-741部4位
1974-751部4位
1975-761部8位
1976-771部8位
1977-781部11位
1978-791部4位
シーズンディビジョン順位コパ・デル・レイ
1979-801部2位
1980-811部1位
1981-821部1位
1982-831部7位
1983-841部6位
1984-851部7位
1985-861部7位
1986-871部2位
1987-881部2位
1988-891部11位
1989-901部5位
1990-911部13位
1991-921部5位
1992-931部13位
1993-941部11位
1994-951部11位
1995-961部7位
1996-971部8位
1997-981部3位
1998-991部10位
シーズンディビジョン順位コパ・デル・レイ
1999-001部13位
2000-011部13位
2001-021部13位
2002-031部2位
2003-041部15位
2004-051部14位
2005-061部16位
2006-071部19位
2007-082部4位
2008-092部6位
2009-102部1位
2010-111部15位ベスト32
2011-121部12位ベスト16
2012-131部4位ベスト32
2013-141部7位準決勝敗退
2014-151部12位ベスト16
2015-161部9位ベスト32
2016-171部6位準々決勝敗退
2017-181部12位ベスト32
2018-191部9位ベスト16
シーズンディビジョン順位コパ・デル・レイ
2019-201部6位優勝
2020-211部5位ベスト16
2021-221部6位準々決勝敗退
2022-231部4位準々決勝敗退

記録

2022年11月3日現在

欧州での記録

大会勝率
UEFAチャンピオンズカップ / UEFAチャンピオンズリーグ2686122429−5030.77
UEFAカップウィナーズカップ 413031+2025.00
UEFAカップ / UEFAヨーロッパリーグ683116219687+9045.59
総通算98402533123117+6040.82

欧州の成績

現所属メンバー

2024年1月24日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
1GK アレックス・レミロ
2DF アルバロ・オドリオソラ
3DF アイヘン・ムニョス
4MF マルティン・スビメンディ
5DF イゴール・スベルディア (第4主将)
6DF アリツ・エルストンド (副主将)
7FW アンデル・バレネチェア
8MF ミケル・メリーノ (第3主将)
9FW カルロス・フェルナンデス
10FW ミケル・オヤルサバル
11FW シェラルド・ベッカー ( )
12MF アルセン・ザハリャン
13GK ウナイ・マレーロ
No.Pos. 選手名
14FW 久保建英
15MF ウルコ・ゴンサレス・デ・サラテ
16MF ジョン・アンデル・オラサガスティ
17DF キーラン・ティアニー
18DF アマリ・トラオレ
19FW ウマル・サディク
20DF ジョン・パチェコ
21FW アンドレ・シルヴァ
22MF ベニャト・トゥリエンテス
23MF ブライス・メンデス
24DF ロビン・ル・ノルマン ( )
25DF ハビ・ガラン

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

リザーブチーム

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
28MF ジョン・マグナセライア
29MF パブロ・マリン
30GK ガイスカ・アイェサ
36MF ジョン・マルティン
37GK アイトール・フラガ
No.Pos. 選手名
38MF アルベルト・ダディエ
39DF ホン・アランブル
40FW ブライアン・フィアベマ
41DF イニャキ・ルペレス

登録外選手

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
--FW マルティン・メルケランス

ローン移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
17DF キーラン・ティアニー (アーセナル)
21FW アンドレ・シルヴァ (ライプツィヒ)
No.Pos. 選手名
25DF ハビ・ガラン (アトレティコ・マドリード)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
--DF アレックス・ソラ (アラベス)
--DF ディエゴ・リコ (ヘタフェ)
--DF ジョナサン・ゴメス (ミランデス)
No.Pos. 選手名
--MF ロベルト・ナバーロ (カディス)
--MF ロベルト・ロペス (テネリフェ)
--FW ジョン・カリカブル (アンドラ)

歴代監督

  • ホセ・アンヘル・ベラオンド 1918-1923
  • リッポ・ヘルツカ 1923-1926
  • ルイス・オルティスデ・ウルビアナ 1926
  • ベニート・ディアス 1926-1930
  • ハリー・ロウ 1930-1935
  • ガスパル・グルチャガ 1939-1941
  • セバスティアン・シルベティ & フランシスコ・ガンボレーナ 1941-1942
  • ベニート・ディアス 1942-1951
  • ホセ・イグナシオ・ウルビエタ 1951-1955
  • サルバドール・アルティガス 1955-1960
  • ホセバ・エリソンド 1960
  • バルタサル・アルベニス 1960-1962
  • ホセバ・エリソンド 1962
  • ペリコ・トーレス 1962-1963
  • アントニオ・バリオス 1963-1964
  • ロマン・ガララガ 1964-1966
  • アンドニ・エリソンド 1966-1970
  • アンヘル・セグロラ 1970-1971
  • アンドニ・エリソンド 1971-1972
  • ラファエル・イリオンド 1972-1974
  • アンドニ・エリソンド 1974-1976
  • ホセ・アントニオ・イルレギ 1976-1978
  • アルベルト・オルマエチェア 1978-1985
  • ジョン・トシャック 1985-1989
  • マルコ・アントニオ・ボロナト 1989-1991
  • ハビ・エスポーシト 1991


歴代所属選手

スポンサー

2023年10月6日、レアル・ソシエダは安田財閥の一企業『株式会社ヤスダグループ』と3年間の戦略的パートナーシップを締結したことを発表した。今回の契約でユニフォームの胸部に同スポンサーのロゴが入る[5][6]

脚注

外部リンク