ドン・サットン

アメリカの野球選手 (1945 - 2021)

ドナルド・ハワード・サットンDonald Howard Sutton, 1945年4月2日 - 2021年1月19日)は、アメリカ合衆国アラバマ州バーバー郡クリオ英語版出身の元プロ野球選手投手)、テレビ・ラジオの元スポーツキャスター。右投右打。ニックネームは「Black & Decker」。

ドン・サットン
Don Sutton
現役時代のサットン(1971年)
基本情報
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地アラバマ州バーバー郡クリオ英語版
生年月日 (1945-04-02) 1945年4月2日
没年月日 (2021-01-19) 2021年1月19日(75歳没)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1964年 ロサンゼルス・ドジャースと契約
初出場1966年4月14日
最終出場1988年8月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年1998年
得票率81.6%
選出方法全米野球記者協会による投票

息子ダロン・サットン英語版ロサンゼルス・エンゼルス専属のブロードキャスターである。

経歴

現役時代

1964年9月にロサンゼルス・ドジャースと契約(当時はドラフト制度なし)[1]1966年にメジャーに昇格し、4月14日にメジャーデビュー。この年はサンディ・コーファックスドン・ドライスデールクロード・オスティーン英語版に次ぐ先発ローテーションの4番手として12勝を記録した。以後、1983年まで18年連続10勝以上の活躍だった。

1980年10月にヒューストン・アストロズと契約した[1]

1981年10月2日のドジャース戦で、打席でバントの構えをしているときにジェリー・ロイスから死球を受け、膝蓋骨骨折の重傷を負い、4日後から始まったドジャースとのポストシーズンは出場できなかった[2]

1982年8月にケビン・バス英語版フランク・ディピーノ英語版マイク・マッデン英語版とのトレードでミルウォーキー・ブルワーズに移籍した[1]

1984年12月にレイ・バリス英語版、エリック・バリー、後日発表選手とのトレードでオークランド・アスレチックスに移籍した[1]

1985年9月に後日発表選手2人とのトレードでカリフォルニア・エンゼルスに移籍した[1]

1988年1月にドジャースと契約したが、同年8月に解雇された[1]

通算324勝(歴代14位)、756先発(歴代3位)、5282.1イニング(歴代7位)、3574奪三振(歴代7位)、58完封(歴代10位)などの記録を残した。一時期シカゴ・カブスに弱く、カブス戦に限って13連敗を喫したこともあるが、これは一人の投手による特定チームの連敗のMLB記録である。また、シーズン200イニングを20回記録した唯一の投手であり、仮に1981年のMLBストライキがなければ、21年連続で達成していた可能性が高い。

サイ・ヤング賞とは縁がなく、得票の最高順位は21勝を記録した1976年で、ランディ・ジョーンズジェリー・クーズマンに次ぐ3位だった[3]。ただし、通算324勝は1920年以後の右腕投手としては当時歴代最多だった。他にもドジャースの球団記録歴代1位として、550登板、533先発、3814イニング、233勝、2696奪三振、52完封などを保持している。

ワールドシリーズには1974年1978年1982年の3回出場したが、いずれも敗退した。ポストシーズン通算では15試合に登板し、6勝4敗、防御率3.68などを記録した。

MLBオールスターゲームには4回出場し、1977年のMLBオールスターゲームでは先発登板を果たし、MVPを獲得した。通算では8イニングで被安打5、無失点の好投だった。

引退後

ナショナルズ解説者当時(2008年)

現役引退の翌1989年からアトランタ・ブレーブスのテレビ中継解説・アナウンサーを2006年まで務め、2007年から2008年までの2年間はワシントン・ナショナルズで解説者及び実況アナウンサーを務めた。2009年からは再びブレーブスのラジオ中継の解説者を務めている。他にもゴルフなどのリポーターとしても活動している。

サットンのドジャース在籍時の背番号「20」。
ロサンゼルス・ドジャースの永久欠番1998年指定。

資格初年度である1994年から殿堂入りできるか注目されたが、僅差での落選が続いた。そして1998年アメリカ野球殿堂の投票で81.6%の票を集め、殿堂入りを果たす。これを記念して古巣ドジャースは同年8月14日、サットンの在籍時の背番号20』を永久欠番に指定した。

ブレーブスでは現役時代に選手として在籍していなかったが地元局の顔として定着し[4]2015年にはブレーブス球団殿堂入りを果たした。

2007年9月11日、ドジャースの本拠地ドジャー・スタジアムで行われたサンディエゴ・パドレス戦の試合前の始球式を務めた。これは30年前の8月28日にドン・ドライスデールの持つ球団記録の187勝を抜いたことを記念としたものであった。

2021年1月19日、がんによって自宅で亡くなった[5]。75歳没。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1966LAD373562012120--.500916225.21921952632095082752.991.08
19673734113411151--.423962232.2223185796169301061023.951.20
1968352772011151--.423847207.21796591421624364602.601.15
19694141114217180--.4861226293.1269259163217911231133.471.23
19703838104115130--.5361109260.12513878710201921271184.081.26
19713837124217121--.5861059265.12311055551945085752.541.08
1972333318921990--.6791061272.21861363142079178632.080.91
19733333143318100--.6431006256.119618564520010078692.420.98
1974404010501990--.6791148276.024123802617942111993.231.16
19753535114316130--.5521031254.12021762531757087812.871.04
19763534154421100--.6771093267.22312282631614198913.061.17
197733339301480--.636979240.12072369231505193853.181.15
19783434122115110--.577990238.122829547515460109943.551.18
1979333261112151--.444927226.020121616114641109963.821.16
198032314211351--.722833212.11632047521280156522.200.99
1981HOU23236321190--.550624158.2132629311040151462.611.01
198227274011380--.619784195.01691046211393175653.001.10
MIL77211410--.80022854.25581800360021203.291.34
'82計34346121790--.6541012249.22241864211753196853.061.15
198331314018130--.381925220.1209215425134201091004.081.19
1984333310014120--.538912212.222424512314341103893.771.29
1985OAK29291101380--.619819194.1194195100916088843.891.26
CAL55000220--.50012431.2276800160013133.691.11
'85計343411015100--.600943226.022125590010760101973.861.24
1986343431115110--.577853207.01923149231164193863.741.16
1987353410011110--.500795191.219938410799701011004.701.25
1988LAD1616000360--.33338087.19173061442444383.921.39
MLB:23年77475617858303242565--.559216315282.14692472134310282357411221210419143.261.14
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



投手(P)












1966LAD3783223.952
19673773112.974
196835122510.974
196941194313.984
197038212831.942
197138272625.964
197233183412.981
197333123412.979
1974401733011.000
197535242520.961
19763553112.973
197733152913.978
1978341323021.000
197933162412.976
198032242523.961
1981HOU23112423.946
198227162012.973
MIL768011.000
'82計34222813.980
198331132311.973
198433111911.968
1985OAK2973141.905
CAL511001.000
'85計3483241.909
198634181421.941
198735818011.000
1988LAD1651210.944
MLB7743346133142.968
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

記録

背番号

関連項目

脚注

外部リンク

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