パティ・フェンディック

パティ・フェンディックPatty Fendick, 1965年3月31日 - )は、アメリカカリフォルニア州サクラメント出身の元女子プロテニス選手。キャリアを通じてダブルスに優れ、1991年全豪オープン女子ダブルスでメアリー・ジョー・フェルナンデスとペアを組んで優勝した。シングルスでは1988年ジャパン・オープンで優勝したことがある。WTAツアーでシングルス3勝、ダブルスで1991年全豪オープンを含む25勝を挙げた。

パティ・フェンディック
Patty Fendick
基本情報
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地同・カリフォルニア州
サクラメント
生年月日 (1965-03-31) 1965年3月31日(59歳)
身長165cm
体重55kg
利き手
ツアー経歴
デビュー年1983年
引退年1995年
ツアー通算28勝
シングルス3勝
ダブルス25勝
生涯通算成績596勝336敗
シングルス249勝183敗
ダブルス347勝153敗
生涯獲得賞金1,574,956 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪ベスト8(1990)
全仏2回戦(1991・95)
全英4回戦(1989・90・92)
全米4回戦(1988)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪優勝(1991)
全仏ベスト4(1995)
全英ベスト4(1986・90)
全米準優勝(1988)
優勝回数1(豪1)
キャリア自己最高ランキング
シングルス19位
ダブルス4位

フェンディックは1982年から選手経歴を始め、1983年全仏オープン4大大会にデビューしたが、スタンフォード大学心理学の学位を取得した後、1987年からプロテニス選手になった。1988年に女子ツアーでシングルス2勝、ダブルス6勝を挙げる。シングルス初優勝は1月末のニュージーランドオークランド大会で、4月の「ジャパン・オープン」ではステファニー・レイヒアメリカ)を破って優勝した。最初期のフェンディックは、ダブルスでジル・ヘザリントンカナダ)とペアを組むことが多かった。フェンディックとヘザリントンの組は、1988年全米オープン1989年全豪オープンで女子ダブルス準優勝がある。全豪オープン終了後、オークランド大会でシングルス2連覇を達成したが、これを最後にフェンディックは女子ツアーでシングルス優勝がなくなった。

1990年全豪オープンで、フェンディックは女子シングルスで自己最高のベスト8に入り、女子ダブルス2年連続準優勝を記録した。シングルス準々決勝ではシュテフィ・グラフに 3-6, 5-7 で敗れ、メアリー・ジョー・フェルナンデスと組んで進出した女子ダブルス決勝でも、ヘレナ・スコバヤナ・ノボトナ組に 6-7, 6-7 で敗れた。1991年全豪オープン女子ダブルス決勝で、フェンディックとM・J・フェルナンデスはジジ・フェルナンデスとノボトナの組を 7-6, 6-1 で破った。こうしてフェンディックは、3年連続進出の全豪オープン女子ダブルスでついに初優勝を達成した。

フェンディックはキャリアを通じていろいろなダブルス・パートナーとペアを組んできたが、最も好成績の多かったパートナーはメレディス・マグラスであった。マグラスとは1990年に初めて組んだが、フェンディックのキャリアの後期には彼女と組んだ優勝が最も多く、1994年に年間5勝を記録している。1994年全豪オープンでは、フェンディックはマグラスと組んで3年ぶり4度目の女子ダブルス決勝に進んだが、ジジ・フェルナンデスナターシャ・ズベレワ組に 3-6, 6-4, 4-6 で敗れ、2度目の全豪女子ダブルス優勝を逃している。マグラスとのダブルスで好成績が多かった1994年、10月第2週のチューリッヒ・オープンで、フェンディックはマルチナ・ヒンギスのプロ・デビュー戦の相手になった。当時14歳になったばかりのヒンギスは、地元の大会でデビュー戦に勝利を収め、ここから急成長を始める。

1995年8月のカナダ・オープンで2回戦敗退に終わった後、フェンディックは両膝の手術を受けたが、この故障から立ち直れなかった。最終的に、カナダ・オープンが彼女の現役最後の試合となった。現役最後の年、彼女は全豪オープンのシングルス2回戦で伊達公子に敗れたことがある。ダブルスでは全仏オープン準決勝進出があった。1987年から1995年までの9年間、彼女はツアーのシングルスで、少なくとも1つの大会で準々決勝に勝ち残る連続記録を残した。選手引退後は全米テニス協会(USTA)の評議員になり、シアトルにあるワシントン大学のコーチを務めている。

外部リンク