ヒロヨシ

ヒロヨシ1963年4月6日 - 1974年6月)は、日本中央競馬会に所属していた競走馬繁殖牝馬1966年オークスを優勝。

ヒロヨシ
欧字表記Hiroyoshi
品種サラブレッド
性別
毛色鹿毛
生誕1963年4月6日
死没1974年6月
ガーサント
キヨ
母の父タークスリライアンス
生国日本の旗 日本
北海道静内郡静内町
生産者キヨタケ牧場
馬主勝川玉子
調教師久保田彦之(東京
競走成績
生涯成績13戦6勝
獲得賞金1875万6700円
勝ち鞍優駿牝馬(1969年)
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社台ファーム初期の活躍馬で、ガーサントの代表産駒の一頭。

デビューから引退まで全て古山良司が騎乗した。

馬齢2000年まで使用されていた旧表記(数え年)を用いる。

経歴

父ガーサントはフランスの競走馬で、フランス2000ギニーなどGI級を4勝し、1961年には種牡馬として日本に輸出され、1970年日本リーディングサイアーに輝くなど多くの活躍馬を輩出した。

1965年(3歳)12月中山でデビューし9番人気ながら2着に入ると、2戦目の新馬戦から1966年(4歳)1月東京オープンまで3連勝。桜花賞を目指して関西に遠征し、前哨戦の阪神オープンは5着であったが、本番では後にテンポイントの母となるワカクモの2着に入る。その後はぶっつけで優駿牝馬に出走し、当日はトライアルを勝った朝日杯3歳S覇者で桜花賞3着メジロボサツが桜花賞馬ワカクモを抑えて圧倒的1番人気に推され、ヒロヨシは4番人気であった。レースではヒロヨシが不良馬場を快調に逃げ、メジロボサツに9馬身差を付ける圧勝。ワカクモは7着に終わった。秋は菊花賞を目指して入洛し、前哨戦のオープンで2着に好走。本番は10番人気で13着に敗れており、ナスノコトブキスピードシンボリリュウファーロスら強力な牡馬に歯が立たなかったが、皐月賞ニホンピローエース東京優駿テイトオーには先着を果たす。ちなみに3着はもう1頭の牝馬ハードイツトであった。この年、ヒロヨシを送り出した父ガーサントは、種牡馬ランキングで5位につけて注目を浴びる。1967年(5歳)は金杯 (東)3着、AJCC4着と古牡馬相手の重賞で好走し、オープンで2着、1着として引退。

引退後は1968年から繁殖入りし、5頭を産んだが活躍馬は送り出せなかった。

競走成績

  • 1968年(5戦3勝)
    • 1着 - 3歳特別
  • 1969年(12戦1勝)
    • 1着 - 優駿牝馬
    • 2着 - 4歳牝馬特別(東)
    • 3着 - 牝馬東京タイムズ杯、フラワーカップ
  • 1970年(6戦1勝)
    • 1着 - ライラックステークス

太字八大競走を含むGI級レース。

脚注

外部リンク