ポール・トレーシー

ポール・トレイシーから転送)

ポール・トレーシー (Paul Tracy, 1968年12月17日 - ) は、カナダのレーシング・ドライバー。オンタリオ州スカボロー出身。1991年から2007年までチャンプカー・シリーズに参戦していた。"PT"、"ザ・スリル・フロム・ウェスト・ヒル"(: the Thrill from West Hill)の愛称で呼ばれる。

ポール・トレーシー
Paul Tracy
2009年のインディ500、予選2日目のトレーシー
基本情報
国籍カナダの旗 カナダ
生年月日 (1968-12-17) 1968年12月17日(55歳)
出身地カナダオンタリオ州スカボロー
IRL インディカー・シリーズでの経歴
デビュー2002
所属KVレーシング・テクノロジー
車番15
過去所属チームKOOLグリーン
ヴィジョン・レーシング,
A.J.フォイト・エンタープライズ
出走回数9
シリーズ最高順位22nd (2009)
基本情報
CART / チャンプカー・ワールド・シリーズでの経歴
活動時期1991-2007
所属デイル・コイン・レーシング
ニューマン・ハース・レーシング
マールボロ・チーム・ペンスキー
チームKOOLグリーン
フォーサイス・レーシング
出走回数261
優勝回数31
ポールポジション25
シリーズ最高順位1st (2003)
過去参加シリーズ
1988-1990アメリカン・レーシング・シリーズ(インディ・ライツ)
選手権タイトル
2003チャンプカー・ワールドシリーズ・チャンピオン

レース経歴

初期の経歴

トレーシーは幼少時から自動車に興味を持ち、16歳になると故郷の近くのグッドウッド・カートウェイ英語版カートレースを始めた。1985年、16歳で最年少のカナディアン・フォーミュラフォードチャンピオンとなる。17歳ではCan-Am 1986年シーズン英語版の最終戦モスポートで優勝し、Can-Am最年少優勝者の記録を更新した。

トレーシーは北米におけるオープンホイール・レースで徐々にステップアップし、1990年のインディ・ライツ・シーズンでは9勝を挙げ、その年のシリーズチャンピオンとなった。

ペンスキー (第1期)

1991年ラグナ・セカペンスキー・レーシング

1991年 - 1994年に在籍

ニューマン・ハース

1995年に在籍

ペンスキー (第2期)

1996年 - 1997年に在籍

チーム・グリーン

1998年 - 2002年に在籍

2002年のインディ500

フォーサイス・レーシング

2003年 - 2008年に在籍

2007年トロント

インディカー・シリーズ

2008年 - 2011年、レギュラーシートは獲らず、スポット参戦を行っていた。

フレンチ・ヘルメット論争

そのレース経歴において、トレーシーは度々トラブルに捲き込まれた。数人のドライバーがトレーシーは攻撃的であり、しばしば危険な振る舞いを犯したと主張し、過去には何度かのアクシデントと論争を引き起こしている。しかしながら近年に起こったトラブルとしては、フレンチ・ヘルメット論争と呼ばれるフランス人ドライバーとのトラブルが挙げられる。

フレンチ・ヘルメット論争は2006年シーズンにおけるサンノゼ戦とデンバー戦での2件の事故の後に巻き起こった。サンノゼ戦でトレーシーは右カーブにおいてミスを犯しコースアウトし、コースに戻ろうとした際にアレックス・タグリアーニと接触、タグリアーニ車の前部を破損した。事故の後フランス系カナダ人であるタグリアーニは激怒しピットにおいてトレーシーに詰め寄り、損害の償いを要求した。トレーシーはタグリアーニに「触るな」と言い、オフィシャルが止めに入るまで2人はつかみ合いとなった。この間、トレーシーはタグリアーニがヘルメットをかぶっていたことを注意した。2人は罰金を科され(金額は公表されていない)、トレーシーは3戦の執行猶予と7ポイントを失うこととなった[1]

次戦のデンバーでトレーシーはフランス人ドライバーのセバスチャン・ボーデとラストラップにおいて2位を争っていた。トレーシーは燃料とブレーキに問題を抱え、最終コーナーでボーデの後に接近した。トレーシーは十分な減速を行わずコントロール不能となり、ボーデ車に接触した。ボーデは逆にトレーシー車を押し返した。レース後トレーシーはボーデを挑発したが、ボーデはやり過ごした。トレーシーは3ポイントを失い、2万5,000ドルの罰金を科された。運営側は「トレーシーのデンバーにおけるアクシデントはサンノゼの執行猶予に違反している」[2]と発表した。ボーデはトレーシーのチームメイトで、チャンピオンシップを争っていたA.J.アルメンディンガーを有利にするためトレーシーが故意に接触したとして、トレーシーの出場停止を要求した。

レース後のインタビューでトレーシーは、事故後に挑発に応じなかったボーデを非難した。「彼がヘルメットを脱がなかったのは残念だね。しかし、フランス人の奴らはいつもヘルメットをかぶったままだ。」トレーシーはそれが冗談だと言ったものの、1週間後に付け加えた。「あれは冗談だと言ったけど、事実だよ。もし事実じゃないことと言ったんなら謝るけれど、どっちもヘルメットをかぶったまま言い寄ってきたんだ。後悔はしてないけれど、冗談だと言ったんだ。」ボーデ、タグリアーニに加えてケベック出身のドライバーであるアンドリュー・レンジャーは週末の8月26日、次戦のモントリオールでトレーシーに野次を飛ばすよう群衆に話した。

またこの一件は、トレーシーがデンバー事件は過去の数レースの報復であったとボーデを非難したことで、トレーシーとボーデの間の論争を再開させた。ヘルメットに関してボーデは「僕はホッケー選手じゃないと思うし、彼もお互いにヘルメットを脱いでいるのは見なかった。もし彼が誰かと戦いたかったなら、彼は間違ったスポーツをしていると思う。」と語ってトレーシーを非難した。ボーデはまた「ポール・トレーシーは自分自身でレースを馬鹿げたものにしている。」とも語った[3]

タグリアーニは「彼(トレーシー)は拘束衣を着るべきだ。なぜならそれが彼を押さえることができる唯一のものだからだ。セバスチャン(ボーデ)は『一緒に運転することはできない』と言ったので、多分それが唯一のトラブルに巻き込まれない方法なんだろう。」と付け加えた。

モントリオールのウォーム・アップと予選セッション時、ジル・ヴィルヌーヴ・サーキットの群衆はトレーシーに対して盛大に野次を飛ばした。しかしながら、レース前の伝統的なドライバーによるプレゼンテーション時、トレーシーは青いマスクを付けケベック州の旗をケープのようにまとい、プロレスのジェスチャーを行った[4]RDSは「ポール・トレーシー:狂ったケベック人 (le Crazy Québécois) 」[5]の見出しで、TSNは「キャプテン・ケベック」とのキャプションでその様子を報じた。トレーシーは雨で開始が遅れたレースをボーデに次ぐ2位で終え、ファンはケベック州の旗を身に付けて表彰台に上がったトレーシーに声援を送った[6]

個人

トレーシーはネバダ州ラスベガスに在住し、2人の子供(アリーシャとコンラッド)がいる。また、ジェレミー・マクグラスらと共同出資して設立したアイウェアメーカー・SPYの経営にも参画している。

レース成績

太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)

Can-Am

チーム1234順位ポイント
1986年ホースト・クロール・レーシングMOS1SUMSTLMOS2
1
8位120
1 Three-way tie.

アメリカン・オープンホイール

アメリカン・レーシング・シリーズ(インディ・ライツ)

チーム1234567891011121314順位ポイント
1988年ヘメルガーン・レーシングPHX
1
MIL
15
POR
4
CLE
11
TOR
14
MWL
13
POCMDO
5
ROA
14
NAZ
6
LAG
8
MIA
14
9位58
1989年メイプルリーフ・レーシングPHX
2
LBH
13
MIL
14
DET
11
POR
2
MWL
4
TOR
16
POC
12
MDO
3
ROA
10
NAZ
15
LAG8位65
1990年ランドフォード・レーシングPHX
1
LBH
1
MIL
1
DET
8
POR
1
CLE
1
MWL
1
TOR
1
DEN
15
VAN
5
MDO
1
ROA
1
NAZ
10
LAG
12
1位214
チーム出走回数ポールポジション勝利数入賞数
(Non-win)
トップ10
(Non-podium)
シリーズチャンピオン
3236710371

CART,チャンプカー・ワールド・シリーズ

チームシャシーエンジン123456789101112131415161718192021順位ポイント
1991年デイル・コイン・レーシングローラコスワースSRFLBH
22
PHXIND
Wth
MILDETPORCLEMDWTOR21位6
ペンスキー・レーシングペンスキー・PC-20シボレーMIC
21
DENVANMDOROANAZ
7
LS
25
1992年ペンスキー・PC-21SRFPHX
4
LBHIND
20
DET
16
PORMILNHA
TOR
21
MIC
2
CLE
19
ROA
17
VAN
23
MDO
2
NAZ
3
LS
16
12位59
1993年ペンスキー・PC-22SRF
21
PHX
16
LBH
1
IND
30
MIL
20
DET
9
POR
3
CLE
1
TOR
1
MIC
19
NHA
2
ROA
1
VAN
13
MDO
25
NAZ
3
LS
1
3位157
1994年ペンスキー・PC-23メルセデスSRF
16
PHX
23
LBH
20
IND
23
MIL
3
DET
1
POR
3
CLE
3
TOR
5
MIC
16
MDO
2
NHA
2
VAN
20
ROA
18
NAZ
1
LS
1
3位152
1995年ニューマン・ハース・レーシングローラコスワースMIA
27
SRF
1
PHX
4
LBH
28
NAZ
26
IND
24
MIL
1
DET
8
POR
18
ROA
2
TOR
8
CLE
26
MIC
23
MDO
2
NHA
23
VAN
8
LS
2
6位115
1996年ペンスキー・レーシングペンスキー・PC-25メルセデスMIA
23
RIO
19
SRF
22
LBH
4
NAZ
5
500
7
MIL
3
DET
17
POR
27
CLE
9
TOR
5
MIC
Wth
MDOROA
12
VAN
18
LS
29
13位60
1997年ペンスキー・PC-26MIA
2
SRF
19
LBH
7
NAZ
1
RIO
1
GAT
1
MIL
6
DET
Wth
POR
7
CLE
7
TOR
10
MIC
4
MDO
27
ROA
28
VAN
28
LS
26
FON
26
5位121
1998年チームKOOLグリーンレイナード・98iホンダMIA
27
MOT
5
LBH
25
NAZ
5
RIO
25
GAT
26
MIL
7
DET
7
POR
28
CLE
19
TOR
14
MIC
9
MDO
5
ROA
6
VAN
11
LS
8
HOU
20
SRF
23
FON
14
13位61
1999年レイナード・99iMIA
MOT
11
LBH
21
NAZ
3
RIO
15
GAT
19
MIL
1
POR
5
CLE
4
ROA
11
TOR
2
MIC
3
DET
2
MDO
2
CHI
23
VAN
18
LS
4
HOU
1
SRF
7
FON
18
3位161
2000年レイナード・2KiMIA
3
LBH
1
RIO
3
MOT
6
NAZ
10
MIL
15
DET
20
POR
18
CLE
19
TOR
3
MIC
7
CHI
19
MDO
16
ROA
1
VAN
1
LS
11
GAT
18
HOU
4
SRF
17
FON
24
5位134
2001年レイナード・01iMTY
3
LBH
4
FTW
NH
NAZ
3
MOT
18
MIL
24
DET
14
POR
21
CLE
24
TOR
6
MIC
7
CHI
12
MDO
4
ROA
26
VAN
26
LAU
10
ROC
6
HOU
24
LS
18
SRF
14
FON
24
14位73
2002年レイナード・02iMTY
8
LBH
7
MOT
19
MIL
1
LS
17
POR
17
CHI
9
TOR
16
CLE
3
VAN
2
MDO
18
ROA
13
MTL
4
DEN
8
ROC
19
MIA
12
SRF
3
FON
17
MXC
16
11位101
2003年プレイヤーズ・フォーサイス・レーシングローラ B02/00コスワースSTP
1
MTY
1
LBH
1
BRH
17
LAU
12
MIL
12
LS
3
POR
2
CLE
2
TOR
1
VAN
1
ROA
15
MDO
1
MTL
6
DEN
4
MIA
16
MXC
1
SRF
13
FON
NH
1位226
2004年フォーサイス・チャンピオンシップ・レーシングLBH
1
MTY
7
MIL
17
POR
3
CLE
17
TOR
5
VAN
1
ROA
12
DEN
2
MTL
4
LS
10
LAS
18
SRF
4
MXC
10
4位254
2005年LBH
2
MTY
15
MIL
1
POR
3
CLE
1
TOR
16
EDM
3
SAN
2
DEN
16
MTL
8
LAS
17
SRF
17
MXC
3
4位246
2006年LBH
17
HOU
2
MTY
4
MIL
16
POR
7
CLE
16
TOR
2
EDM
5
SAN
15
DEN
6
MTL
2
ROA
10
SRF
4
MXC7位209
2007年パノス・DP01LAS
3
LBH
Wth
HOUPOR
10
CLE
1
MTT
15
TOR
14
EDM
5
SAN
11
ROA
12
ZOL
10
ASS
17
SRF
9
MXC
5
11位171
チーム出走回数ポールポジション勝利数入賞数
(Non-win)
トップ10
(Non-podium)
シリーズチャンピオン
175261253143661

インディカー・シリーズ

チームシャシーエンジン12345678910111213141516171819順位ポイント
2002年チーム・グリーンダラーラホンダHMSPHXFONNZRINDY
2
TXSPPIRRIRKANNSHMISKTYSTLCHITX234位40
2008年フォーサイス・ペティット・レーシングパノス・DP01コスワースHMSSTPMOT1LBH1
11
KANINDYMILTXSIOWRIRWGLNSHMDO33位51
ヴィジョン・レーシングダラーラホンダEDM
4
KTYSNMDETCHISRF2
2009年KVレーシング・テクノロジーSTPLBHKAN
INDY
9
WGL
20
TOR
19
EDM
6
KTYMDO
7
SNM
CHI
MOT
HMS
23位113
A.J.フォイト・エンタープライズMIL
17
TXSIOWRIR
2010年KVレーシング・テクノロジーSAOSTPALALBHKANINDY
DNQ
TXSIOWTOR
13
EDM
6
MDOSNMCHI27位91
ドレイヤー&レインボールド・レーシングWGL
14
KTY
12
MOT
22
HMS
2011年ドラゴン・レーシングSTPALALBH
16
SAOTXS1
12
TXS2
13
MILIOWTOR
16
EDM
26
MDONHMSNMBALMOTKTYLVS3
C
29位68
ドレイヤー&レインボールド・レーシングINDY
25
1 Run on same day. MOT as Round 3A, LBH as Round 3B.
2 Non-points-paying, exhibition race.
チーム出走回数ポールポジション勝利数入賞数
(Non-win)
トップ10
(Non-podium)
シリーズチャンピオン
35900140

インディ500

シャシーエンジンスタートフィニッシュチーム備考
1991年ローラ T9000コスワースWthデイル・コイン・レーシングルーキー・オリエンテーション参加のみで撤退
1992年ペンスキー PC-21シボレー B1920ペンスキー・レーシングエンジントラブル
1993年ペンスキー PC-22シボレー C730クラッシュ
1994年ペンスキー PC-23イルモア-メルセデス2523ターボトラブル
1995年ローラ T9500フォードコスワース XB1624ニューマン・ハース・ラニガン・レーシングスロットル故障
2002年ダラーラシボレー292チーム・グリーン7年ぶりの参戦
2009年ホンダ139KVレーシング・テクノロジー7年ぶりの参戦
2010年DNQ予選落ち
2011年2525ドレイヤー&レインボールド・レーシング

参照

外部リンク

タイトル
先代
マイク・グロフ
アメリカン・レーシング・シリーズ・チャンピオン
1990
次代
エリック・バシェラール
先代
クリスチアーノ・ダ・マッタ
CARTシリーズ・チャンピオン
2003
次代
セバスチャン・ボーデ
(as Champ Car World Series Champion)