マルセロ・シャムスカ

ブラジルのサッカー選手

マルセロ・シャムスカ (Marcelo Chamusca) ことマルセロ・アウグスト・オリヴェイラ・シャムスカMarcelo Augusto Oliveira Chamusca, 1966年10月7日 - )は、ブラジルサルヴァドール出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはMF(守備的ミッドフィールダー)。日本での登録名はマルセロ (Marcelo) 。ペリクレス・シャムスカは実兄。

マルセロ・シャムスカ
名前
本名マルセロ・アウグスト・オリヴェイラ・シャムスカ
Marcelo Augusto Oliveira Chamusca
ラテン文字MARCELO CHAMUSCA
基本情報
国籍ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1966-10-07) 1966年10月7日(57歳)
出身地サルヴァドール
選手情報
ポジションMF (DMF)
ユース
1979-1986ブラジルの旗 バイーア
クラブ1
クラブ出場(得点)
1986-1988ブラジルの旗 バイーア
ブラジルの旗 カマサリポルトガル語版
ブラジルの旗 ガリシア
ブラジルの旗 トレーゼ
0000-1993ブラジルの旗 コラチーナポルトガル語版
監督歴
1993-1998ブラジルの旗 ヴィトーリア U-17
1998-2000ブラジルの旗 スポルチ U-20
2000-2002ブラジルの旗 バイーア U-17
2003ブラジルの旗 パウメイラス・ノルデスチ (pt) (SD)
2004ブラジルの旗 CRB
2004ブラジルの旗 サンカエターノ(アシスタント)
2005ブラジルの旗 バイーア(アシスタント)
2005ブラジルの旗 ゴイアス(アシスタント)
2005ブラジルの旗 ボタフォゴ(アシスタント)
2005-2009日本の旗 大分トリニータ(アシスタント)
2009ブラジルの旗 スポルチ(アシスタント)
2010ブラジルの旗 アヴァイ(アシスタント)
2010アラブ首長国連邦の旗 アル・アラビ(アシスタント)
2011-2012アラブ首長国連邦の旗 アル・ジャイシュ(アシスタント)
2012ブラジルの旗 ヴィトーリア・ダ・コンキスタ
2012-2013ブラジルの旗 サウゲイロ
2013-2014ブラジルの旗 フォルタレーザ
2015ブラジルの旗 アトレチコ・ゴイアニエンセ
2015ブラジルの旗 フォルタレーザ
2015-2016ブラジルの旗 サンパイオ・コヘイア
2016ブラジルの旗 グアラニ
2016-2017ブラジルの旗 パイサンドゥ
2017-2018ブラジルの旗 セアラー
2018ブラジルの旗 ポンチ・プレッタ
2018-2019ブラジルの旗 ヴィトーリア
2019ブラジルの旗 CRB
2019-2020ブラジルの旗 クイアバ
2020-2021ブラジルの旗 フォルタレーザ
2021ブラジルの旗 ボタフォゴ
2021ブラジルの旗 ナウチコ
2022ブラジルの旗 グアラニ
2023-ブラジルの旗 トンベンセ
1. 国内リーグ戦に限る。2021年8月17日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

4部からなるカンピオナート・ブラジレイロの各カテゴリーにおいて、クラブを昇格へ導いた唯一の監督である。

経歴

1979年にECバイーアの下部組織へ加入し、同クラブのトップチームで2年間プレー。U-17及びトップチームのカンピオナート・バイアーノにおいて、それぞれ2度の優勝を経験している。その後下部リーグの複数クラブに所属し、1993年に現役を引退した[1]

現役引退の同年より、バイーアのライバルクラブであるECヴィトーリアにおいてU-17部門の監督に就任する。カンピオナート・バイアーノU-17で5連覇に導き、2つの国際大会を制覇している。1996年にはPSVアイントホーフェンで2か月間コーチングを学んだ。

2000年2月にバイーアへ舞い戻りU-17チームを率いると、5つのタイトルを齎した。中でも2001年のマルセイユ国際トーナメントでは、FCバイエルン・ミュンヘンオリンピック・マルセイユを破って同大会で優勝へ導いている。

2003年にパウメイラス・ノルデスチでディレクターを務め、翌年1月30日からはCRBで自身初となるトップチームの監督に就任する[2]

2004年7月より兄ペリクレスが指揮を執るADサンカエターノでアシスタントコーチを務め、以後複数のクラブで兄を支えた。2005年9月にペリクレスがJ1大分トリニータの監督に就任すると、ヘッドコーチとしてクラブのスタッフに加わる。徹底したスカウティングによる対戦相手チームの分析を担当し、「シャムスカ・マジック」の影の立役者となっていた[3]

2012年9月にはECPPヴィトーリア・ダ・コンキスタの指揮官に就任[4]。同年12月よりサウゲイロACを指揮し[5]、2013年にクラブをセリエCへ復帰させる。同年12月、セリエCのフォルタレーザECと1年契約を締結する[6]

2015年より呂比須ワグナーの後任としてセリエBのアトレチコ・ゴイアニエンセに招聘されるが[7]、同年2月19日に成績不振を理由に辞任した[8]

同年3月2日にフォルタレーザへ復帰するが[9]、10月22日に退任。12月4日よりサンパイオ・コヘイアFCの指揮を執るが[10]、翌年3月3日に解任となった[11]

2016年4月6日にピンタードの後任としてグアラニFCの監督に就任すると[12]セリエB昇格を達成。同年11月30日より、セリエCのパイサンドゥSCを率いる[13]

2017年6月18日、パイサンドゥを去りセアラーSCに招聘される[14]。同年のシーズンでクラブをセリエAへ導き、カンピオナート・ブラジレイロにおける各カテゴリーで昇格を達成した史上初の監督となった。2018年5月20日、成績不振により解任された[15]

2018年9月2日にセリエBのAAポンチ・プレッタの指揮官に就任する[16]。しかし5試合で勝利を挙げられず、同月26日に解任された[17]

12月6日、ECヴィトーリアにトップチームの監督として復帰しカルペジアーニから任を引き継ぐ[18]。翌年3月18日、カンピオナート・バイアーノ敗退後に解任が発表された[19]

4月7日にCRBへ舞い戻る[20]。10月4日に解任されるとクイアバECへ招聘された[21]

2020年11月11日にクイアバを去り、同月13日よりロジェリオ・セニの後任としてフォルタレーザの監督に3度目の就任となる[22]。翌年1月7日、成績不振によりその任を解かれた[23]

2021年2月19日、セリエBへ降格したボタフォゴFRの監督に就任する[24]。アシスタントコーチを務めて以来16年振りに指揮官として同クラブへ帰還したが、セリエBで中位に留まる中で7月13日に解任となった[25]

タイトル

選手時代
バイーア
指導者時代
ヴィトーリア
  • U-17カンピオナート・バイアーノポルトガル語版: 1994, 1995, 1996, 1997, 1998
  • スパルカッセン・カップ : 1996
  • トルネオ・バイエル
スポルチ
バイーア
  • タサ・エスタード・ダ・バイーアポルトガル語版: 2000, 2002
  • タサ・ヴェラン : 2000
  • U-20カンピオナート・バイアーノ : 2001
  • マルセイユ国際トーナメント : 2001
フォルタレーザ
パイサンドゥ
セアラー
  • カンピオナート・セアレンセ : 2018
クイアバ
個人
  • カンピオナート・セアレンセ最優秀監督 : 2015
  • セアラ州最優秀監督 : 2017
  • カンピオナート・セアレンセ最優秀監督 : 2018

脚注

外部リンク