マーティー・マリオン

アメリカ合衆国の野球選手 (1916-2011)
マーティ・マリオンから転送)

マーティン・ホワイトフォード・マリオン(Martin Whiteford Marion、1916年12月1日[1] - 2011年3月15日)は、主に1940年代に活躍したアメリカ合衆国プロ野球選手遊撃手)。右投げ右打ち。ニックネームは"Slats"(スラッツ)、"The Octopus"(ジ・オクトパス)。第二次世界大戦期のセントルイス・カージナルスの名遊撃手で、1944年のナショナルリーグ最優秀選手。

マーティー・マリオン
Marty Marion
基本情報
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地サウスカロライナ州リッチバーグ
生年月日 (1916-12-01) 1916年12月1日
没年月日 (2011-03-15) 2011年3月15日(94歳没)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
170 lb =約77.1 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション遊撃手
プロ入り1936年
初出場1940年4月16日
最終出場1953年7月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物

サウスカロライナ州リッチバーグ出身。1936年にカージナルスと契約、1940年に22歳でメジャーに昇格し1年目から125試合に出場した。身長はおよそ190cmもあったが体重は80kgにも満たない細身で、当時まだ小柄な選手が多かった中では珍しい大型の遊撃手だった。長い手足をのばしてゴロを捌く姿から、マリオンは記者たちから「オクトパス」というあだ名をつけられた。

2年目に155試合に出場、この年の28犠打はリーグ最多であった。3年目の1942年にはリーグ最多の38本の二塁打を記録したが、マリオン自身はむしろ堅実な守備力を買われていた選手であった。リーグの最優秀選手に選ばれ2度目のワールドシリーズ制覇を遂げた1944年には、リーグ最高の守備率.972を記録、3度目のワールドシリーズを制した1946年には、145試合で刺殺・補殺・併殺数いずれもリーグ最多を記録した。オールスターゲームにも1943年以降8年連続で選ばれている。

1950年のシーズンで一度選手を退き、翌1951年にカージナルスの監督を務めたが、1952年からはロジャース・ホーンスビーの後釜としてセントルイス・ブラウンズで選手兼任監督となり現役復帰をしている。その後1954年から3年間ホワイトソックスの監督を務めた。

2011年3月15日、病気の為に死去[2][3]。94歳没。

通算成績

年度別打撃成績

















































O
P
S
1940STL125468435441211813150469--12--210--3412.278.311.345.656
1941155619547501382233175588--28--422--4810.252.308.320.628
1942147555485661343850182548--20--481--509.276.343.375.718
1943129463418381171531141521--11--322--374.280.334.337.671
1944144565506501352626183631--16--430--509.267.324.362.686
1945123477430631192751159592--6--392--395.277.340.370.709
1946146575498511162943162461--15--593--539.233.318.325.643
1947149599540571471964190743--9--491--5816.272.334.352.686
1948144613567701432644189431--9--370--5413.252.298.333.631
1949134571515611403125190700--17--372--4217.272.323.369.692
195010642137236921024118401--4--440--5510.247.327.317.644
1952STB67210186164611026319024--191--176.247.320.339.659
19533770000000000--00--00.000.000.000.000
通算:13年157261435506602144827237361902624352151--47014--537120.263.323.345.668
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

  • シーズンMVP:1944年
  • ワールドシリーズ出場:4回(1942年、1943年、1944年、1946年)
  • オールスターゲーム選出:8回、8年連続(1943年~1950年)
  • リーグ最多二塁打:1942年

監督としての戦績

※順位は年度最終順位

年度チームリーグ試合勝利敗戦勝率順位備考
1951STLNL1558173.5263位
1952STBAL1044261.4087位6月10日~
195315454100.3518位
1954CWS936.3333位9月14日~
19551559163.5913位
19561548569.5523位
通算731356372.489

脚注

外部リンク

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