メルボルン

オーストラリアの都市

メルボルン: Melbourne豪語発音: En-au-Melbourne.oga [ˈmɛlbn̩][ヘルプ/ファイル], [ˈmælbn̩][1]漢字表記墨尔本」「墨爾本」)は、オーストラリア大陸南東部、ポート・フィリップ湾に面したヤラ川河口の港市。

メルボルン
Melbourne
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メルボルンの市旗メルボルンの市章
市旗市章
位置
オーストラリアでのメルボルンの位置の位置図
オーストラリアでのメルボルンの位置
位置
メルボルンの位置(メルボルン内)
メルボルン
メルボルン
メルボルン (メルボルン)
メルボルンの位置(ビクトリア州内)
メルボルン
メルボルン
メルボルン (ビクトリア州)
メルボルンの位置(オーストラリア内)
メルボルン
メルボルン
メルボルン (オーストラリア)
地図
座標 : 南緯37度49分14秒 東経144度57分41秒 / 南緯37.82056度 東経144.96139度 / -37.82056; 144.96139
歴史
Established1835年8月30日
行政
オーストラリアの旗 オーストラリア
 ビクトリア州の旗 ビクトリア州
 市メルボルン
市長サリー・カップ(無所属)
地理
面積 
  市域8,806 km2 (3,400.0 mi2)
人口
人口(2019年現在)
  市域5,078,193人
    人口密度  508.175人/km2(1,316.17人/mi2
その他
等時帯オーストラリア東部標準時 (UTC+10)
夏時間オーストラリア東部夏時間 (UTC+11)
一般にメルボルンと呼ばれるのはメルボルン都市圏のことであり、面積、人口はメルボルン都市圏のもの。

オーストラリアビクトリア州州都で、シドニーと共にオセアニア地域を代表する世界都市である。

概要

メルボルン都市圏 (: Melbourne Metropolitan area) の推定人口は、2019年6月現在約508万人であり[2]シドニーに次いで同国第2位である。2010年における都市的地域の人口では348万人であり、世界第94位、同国では第2位である[3]。中心市街地(City)はヤラ川に接する北岸の長方形の領域で南北1km東西2km。港はその西1kmからヤラ川河口にかけて広がっている。

近代的で忙しい大都市のイメージのシドニーと比べると、歴史的な建物や文化が残り [注釈 1]、落ち着いて住みやすい印象を持たれている。ヴィクトリア朝時代の建築物がロンドンに次いで多く残っている都市である。メルボルンは世界的な学術都市でもあり、多くの留学生を受け入れている[4]

2002年2004年の2度、『エコノミスト』誌の「世界で最も暮らしやすい都市」で1位を獲得している。2022年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス人材文化政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第8位の都市と評価されており、オーストラリアではシドニー(17位)を抑えて首位となった[5]

歴史

1890年のビクトリア州議事堂
コリンズ通りとキング通りの角にある 19 世紀のグランド ホテル、フェデラル コーヒー パレスは、1971 年に取り壊されました
主要記事:History of MelbourneTimeline of Melbourne history

初期

ポートフィリップヤラ川の辺りは30000年前からその地に住むと思われる先住民族クリン (Kulin) の地であった。彼らは漁業狩猟採集などを行いポートフィリップの豊かな資源によって生活していた。ヨーロッパ移民により持ち込まれた病気に多くが打撃を受け、虐待、誤治療、アルコール、性病、によってクリンの人々の数は急激に減った。クリンは1870年代までに滅びてしまい、今日メルボルンに住むアボリジニーの殆どは他の地域から来た人々である。今日アボリジニーの歴史を残すものは少ない。例えばカヌーに使われた木がメルボルンクリケットグラウンドの近くにある他、ポートフィリップ沿岸にある貝塚くらいである。

1798年ウェスタンポート英語版まで行ったジョージ・バスによって、バス海峡が発見される。レディーネルソン号で1802年ジョン・マレーがポートフィリップを発見すると、マシュー・フリンダースが後に続いた。1803年にチャールズ・グリムズはヤラ川の河口を発見し、今のケイラー地区まで到達。同1803年のちに、NSW総督フランスのバス海峡地域の占領を恐れ、デイヴィッ・コリンズ大佐を300人の囚人とともにポートフィリップ、モーニントン半島(英語: Mornington Peninsulaのソレントに送り居住地を拓かせようとするが、淡水の不足のために断念。1804年タスマニアへ居住地を移しホバートを創る。その囚人のなかには後の開拓者、政治家ジョン・パスコー・フォークナー英語版がいた。

バス海峡の北岸はクジラ狩猟者、アザラシ狩猟者が20年ほどいた。1824年ハミルトン・ヒュームとウィリアム・ホヴェルは陸路でNSWからウェスタンポートを目指してきたが、代わりにコライオ湾に着き、良質な放牧地を発見する。10年後、タスマニアで放牧をしていたエドワード・ヘンティは後のビクトリア州西部、ポートランド(英語: Portland, Victoriaの王領地に違法で羊牧地を設立した。

北タスマニアで成功していた農家ジョン・バットマンは更に放牧地を求めて1835年4月、バス海峡をポートフィリップに渡りヤラ川の河口に着く。6月8日彼の手記に、「そしてボートは広い河を上った... そして... 6マイル上流に良質でとても深い河を見つけたことを嬉しく思う。この場所は村を作るのに適している (: This will be the place for a village.)」と書いてある。この最後の文は後にメルボルン建設憲章として採用されている。

バットマンはローンセストン (Launceston) に戻りヤラに居住地を拓くための大規模な探検の準備をする。しかし同時期にその時にはローンセストンで実業家となっていたジョン・パスコ・フォークナー(英語: John Pascoe Fawknerは同じアイディアを持っていた。フォークナーはスクーナー船エンタープライズ号を買い、移住しようとする人々とともに1835年8月にヤラ川の河口に到着し、8月30日に代理艦長を務めていたJohn Lanceyは居住地になる土地を選び、船の碇と荷物を下ろした。そのスポットはヤラ川北岸、のちのスペンサー・ストリートとキングス・ブリッジ周辺で、エンタープライズ・パークとバットマン・パークとなっている場所で、そのすぐ北東には移民博物館がある。

一方でバットマンはレベッカ号で出航し、9月2日にヤラに着いたが既にフォークナーの人々がいるのに落胆し、憤慨した。2つのグループにとって十分な土地があり、10月16日フォークナーが他の居住者とともに到着すると、彼は土地を分配して、誰が最初に着いたかで論争しないことに同意した。バットマンとフォークナーは新しい町に住み、幾つかの仮の名前がその町に使われたが、1837年3月に時の英国首相メルバーン卿にちなんで正式に "Melbourne" と名付けられた。

1836年9月にはニューサウスウェールズ植民地のポートフィリップ地区の行政中心地になった。メルボルンはヤラ河岸にテントや小屋の集まりで始まったが10年もしないうちに牧畜の中心地となり、石やレンガで金融ビルが建てられた。

1851年7月1日、ニューサウスウェールズ植民地から分離独立してビクトリア植民地が設立し、メルボルンに政府が置かれた。ラ・トローブは最初の総督代理になった。数ヶ月後、バララットベンディゴなどのビクトリア内陸部で金が見つかった。

ゴールドラッシュ以降

1851年にビクトリア内陸部で金が発見されたことによりゴールドラッシュが始まり、移民が大挙して押し寄せた。人口が急増し、1865年頃にはシドニーを抜きオーストラリア最大の都市となった。メルボルンは空前の建設ブームとなった。メルボルンを代表する歴史的建築の多くがこの時期に建設された。ビクトリア州議事堂ビクトリア州立図書館王立展示館メルボルン大学聖パトリック大聖堂などが主な例である。

1885年、イギリスの著名なジャーナリスト、ジョージ・サラ(George Augustus Sala)はメルボルンを訪れ、繁栄ぶりを新聞の記事にした。そのヘッドライン"Marvellous Melbourne"(素晴らしいメルボルン)はその後長きにわたって引用された。

20世紀

1901年オーストラリア連邦が成立してから、1927年キャンベラに移転が開始されるまでは連邦の臨時首都であった。

第二次世界大戦後もシドニーと共に移民の定住地となり人口は着実に増加を続けた。1956年に南半球で初の夏季オリンピック大会(メルボルンオリンピック)が開催された [注釈 2]

1990年代を通じて、クラウン・カジノやメルボルン博物館、メルボルンエキシビション・コンヴェンションセンターなどの公共建築物が積極的に造られた。

21世紀

2020年7月から翌年にかけて、断続的に新型コロナウイルスによる感染症拡大に伴いロックダウンが行われた[6]。毎年メルボルン・パークで開催されているテニスの全豪オープンも、2021年は無観客による開催となった[7]。2021年8月21日には、SNSで呼びかけに呼応する形でロックダウンに対する抗議デモが発生。参加者約4000人が市内に集まり警官隊と衝突、警官9人が病院で手当てを受けた[8]

2021年9月22日、メルボルン市内で地震(M5.9)が発生(メルボルンは大陸プレートの上にあるため地震の発生は極めて稀)。建物のレンガやブロックが落ちるなどの被害が出たが、前述のロックダウンの期間中でもあり、人的被害は無かった[9]

地理

メルボルン中心部のパノラマ
沖合いから撮影したメルボルン
ヤラ川南岸から見たシティ
メルボルン中心部の地図
ポートフィリップ湾とメルボルン都市圏

メルボルンはオーストラリア大陸の南東部に位置し、大陸では最南に位置する州都である。ポート・フィリップ湾に面し、郊外は東に広がる。湾にはヤラ川が南東に位置するダンデノン丘陵とヤラ丘陵から注ぐ。また北西からマリビノン川(英語: Maribyrnong Riverが注ぎ、川とその支流の西と北は平坦な農業地域になっている。

中心市街地(City)内および川を挟んだ対岸(南岸のサウスバンク地区)には超高層ビルが並ぶ。郊外では人口密度が低く、片側4車線程度の道路が碁盤の目状に敷かれ、一戸建てで広大なを持った家々が並ぶ。

地球上での位置

メルボルンを中心とした正距方位図法の世界地図を見ると、ロサンゼルスニューヨークパリロンドンといったアメリカ合衆国(本土以北)やヨーロッパ諸国からはすべて12000km以上離れている。

タラマリン空港から北米大陸への直行便は、ロサンゼルス国際空港カンタス航空ヴァージンオーストラリアユナイテッド航空が、サンフランシスコ国際空港へカンタス航空がそれぞれ運行し[10]、世界でも有数の長距離路線として知られている。ロンドン・ヒースロー空港行きの路線はパース経由で運行されている[11]

東京との距離は8000km強で、タラマリン空港と成田国際空港の間の直行便がカンタス航空[12]日本航空[13]により運行されている。

メルボルンの南緯は37度49分で、市域人口が100万人以上を有する都市の中では世界で最も南に位置している。

気候

ケッペンの気候区分によると海洋性の影響の強い西岸海洋性気候(Cfb)に分類されるものの、日によって天気が目まぐるしく変わり、年間通してはっきりした四季は無く、一日の中に四季があるとも言われている。

冬季は最も寒い7月の平均最低気温が6.0℃とオーストラリアの大都市の中で最も冷え込むものの、降雪は周囲の山々で起きる程度で、平地では非常に稀であり、霜が降りることも少ない。過去最低気温の記録は1901年7月4日に記録した−2.8 ℃に過ぎず、冬は温暖である。冬季は比較的曇天が多く日照時間が少ないが、日中は10度前後の日々が続いた後に20℃以上まで上がることも多い。

夏季は最も暑い1月の平均最高気温は25.9℃と低くなっているが、実際には内陸の砂漠地帯から吹き付けるフェーン現象により、年に数日は40度を超えるのような酷暑となることも多く、2009年2月7日には観測史上最高気温の46.4℃を観測している。時に内陸部では気温が50度近くに達することもあり、メルボルン近郊のラバートンでは同日に47.5℃を観測している。しかし、非常に乾燥しており湿気は少なく、夏季は山火事の起きやすい環境となっている。また、そのような酷暑の日であっても朝晩は涼しくなり、熱帯夜となることはほとんど無く、平均最低気温が最も高い2月でも14.6℃と低く快適である。

2006年には観測史上最悪の旱魃に見舞われ、例年ならば年間でも比較的降水が多い9月、10月に全く雨が降らなかった。

メルボルンの気候
1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
最高気温記録 °C°F45.6
(114.1)
46.4
(115.5)
41.7
(107.1)
34.9
(94.8)
28.7
(83.7)
22.4
(72.3)
23.1
(73.6)
26.5
(79.7)
31.4
(88.5)
36.9
(98.4)
40.9
(105.6)
43.7
(110.7)
46.4
(115.5)
平均最高気温 °C°F25.9
(78.6)
25.8
(78.4)
23.9
(75)
20.3
(68.5)
16.7
(62.1)
14.1
(57.4)
13.5
(56.3)
15.0
(59)
17.2
(63)
19.7
(67.5)
22.0
(71.6)
24.2
(75.6)
19.9
(67.8)
平均最低気温 °C°F14.3
(57.7)
14.6
(58.3)
13.2
(55.8)
10.8
(51.4)
8.6
(47.5)
6.9
(44.4)
6.0
(42.8)
6.7
(44.1)
8.0
(46.4)
9.5
(49.1)
11.2
(52.2)
12.9
(55.2)
10.2
(50.4)
最低気温記録 °C°F5.5
(41.9)
4.5
(40.1)
2.8
(37)
1.5
(34.7)
−1.1
(30)
−2.2
(28)
−2.8
(27)
−2.1
(28.2)
−0.5
(31.1)
0.1
(32.2)
2.5
(36.5)
4.4
(39.9)
−2.8
(27)
雨量 mm (inch)47.6
(1.874)
48.0
(1.89)
50.3
(1.98)
57.4
(2.26)
55.8
(2.197)
49.0
(1.929)
47.5
(1.87)
50.0
(1.969)
58.1
(2.287)
66.4
(2.614)
60.4
(2.378)
59.5
(2.343)
650.0
(25.591)
平均降雨日数8.47.59.411.814.615.416.116.114.914.211.810.4150.6
平均月間日照時間279.0234.9210.8168.0120.9108.0114.7145.7171.0195.3210.0232.52,190.8
出典:Bureau of Meteorology

人口構成

国別海外出生者数
出生国人口 (2006)
イギリス156,457
イタリア73,801
ベトナム57,926
中華人民共和国54,726
ニュージーランド52,453
ギリシャ52,279
インド50,686
スリランカ30,594
マレーシア29,174
クロアチア24,568
ドイツ21,182
マルタ18,951
南アフリカ17,317
マケドニア17,287
香港16,917
ポーランド16,439
フィリピン15,367
レバノン14,645
オランダ14,581
ボスニア・ヘルツェゴビナ13,332
メルボルン
都市部人口密度
(人/ha)
195123.4
196121.4
197118.1
197616.75
198115.9
198616.05
199116.8
199617.9
メルボルンの人口
1836177
185129,000
1854123,000(gold rush)
1880280,000
1895900,000(economic collapse)
19561,500,000
19812,806,000
19913,156,700(economic slump)
20013,366,542
20063,720,300(2006 estimate)

この街は誕生以来、19世紀ゴールドラッシュ期、二度の世界大戦後の難民など、各国からの移民を多く受け入れてきた。人口の約74%がアングロサクソン系、約19%がその他のヨーロッパ系、約5%がアジア系である。ギリシャ系も多くギリシャやキプロスを除くと世界でもっとも多くのギリシャ人が居住しており、ギリシャ系のお祭りも多く行われている。中国人街ヴェトナム人街、イタリア人街など、国ごとのコミュニティを形成して住む傾向にある。そのため多種多様な食文化の影響を受け、広大な農地と隣りあって食材も豊富であるため、各国の料理を手軽に味わうことができる。国外からの留学生の受け入れにも積極的である。

世界最高級の生活水準・環境、治安の良さそして英語が公式言語であることも手伝ってか移民先として人気がある都市である。


産業

メルボルンはオーストラリアの3つの大きな企業、テルストラBHPグループナショナルオーストラリア銀行の本拠地があり、またオーストラリア商業協議会(英語: Business Council of Australia,オーストラリア労働組合協議会(英語: Australian Council of Trade Unionsオーストラリア証券取引所に名を連ねる会社の多くがある。

オーストラリア第2の金融センターであり、多くのオーストラリアの大企業の本社(四大銀行のうち二行の本店)が立地するが、海外企業の地域本部はシドニーを好む傾向がある。2017年の調査によると、世界21位の金融センターであり、同国ではシドニーに次ぐ2位である[14]。また、機械工業食品加工業が盛んである。繊維被服履物工業が盛んであったが輸入の影響による縮小が著しい。同国のファッションの中心地であるのはその名残である。

政治

タウンホール

メルボルン都市圏は、30の市議会(議員は公選、市長は議員から市議会が選出のen:弱い市長制)の管轄領域に分割される。オーストラリアの他州の州都と同様、都市圏全体の行政は州政府の管轄であり、メルボルン圏だけを管轄する地方自治体はない。都心部を管轄するメルボルン市議会の市長は、Lord Mayor という上級の呼称をもっているが、権限は他の市長と変わりない。

治安

メルボルンは犯罪が少なく、世界で五番目に安全な街であるとエコノミストに評価されているが、一方でンドランゲタペインターズ・アンド・ドッカーズといったマフィアが定期的に抗争事件を起こすことでも知られている(1995年から2010年までのメルボルンのギャング殺人など)。また近年では、アフリカ系や太平洋諸島系のストリート・ギャングの活動も確認されている。

生活文化

コーヒー

シドニーと並びオーストラリアのコーヒー文化の中心で、個人経営のカフェが多い。朝の出勤時にテイクアウェイでコーヒーを求める習慣もある。

観光

クイーン・ヴィクトリア・マーケット
聖パトリック大聖堂
セント・キルダの砂浜
  • クイーン・ヴィクトリア・マーケット英語版 - ビクトリア州最大のマーケットで、野菜、果物、精肉、魚介などの食品から、雑貨、皮革製品、お土産まで幅広い商品が取り扱われている。
  • ヴィクトリア・アート・センター英語版 - サウスバンク地区にあり、州立劇場とハーマー・ホール(旧称はメルボルン・コンサート・ホール)から成る。尖塔を持つ建物はメルボルンのランドマークとなっている [注釈 3]
  • クラウン・カジノ英語版 - サウスバンク地区にあり、南半球最大のギャンブル場やレストラン、高級ブティック、ナイトクラブ、2つのホテル、シネマコンプレックス、フロアショーが入居している。また、毎晩夜になるとアボリジニの儀式をイメージした「炎のショー」(毎時点火)がヤラ川沿いで行われており、メルボルンの名物の1つとなっている。(観覧は無料)
  • ユーレカタワー - メルボルンで最も高い展望台(285m)がある。サウスバンク地区に立地している。
  • 聖パトリック大聖堂 (Saint Patrick's Cathedral)
  • 王立展示館とカールトン庭園 - 王立展示館は世界展覧会のために1880年代に建設された。2004年7月2日、建物としてはオーストラリアで初の世界遺産に登録された。1901年5月9日に最初のオーストラリア議会が行われた建物である。
  • ビクトリア州立図書館 - 目抜き通りであるスワンストン・ストリートに面する歴史的建造物。
  • 旧メルボルン監獄英語版 - 19世紀の大強盗、ネッド・ケリーが処刑された監獄。
  • 戦没者慰霊館 (メルボルン)
  • 王立植物園 (メルボルン)英語版
  • メルボルン展示センター英語版 - サウスバンク地区にあり、多くの展示会が開催される。王立展示館の代わりとして1990年代に建設された。
  • フェデレーション・スクエア - フリンダーズ・ストリート駅の西隣。観光案内所がある。
  • セント・ポール大聖堂 - フェデレーション・スクエアの北隣。
  • ドックランド(Dockland) - 港の再開発地区。複合施設ハーバータウン(Harbour Town)、大観覧車(Melbourne Star Observation Wheel)がある。
  • セント・キルダ - 市中心から南へ5km。ポート・フィリップ湾に面した海岸地区。
  • コモ・ハウス英語版 - 高級住宅地「サウスヤラ」にある植民地時代の豪邸。
  • メルボルン・クリケット・グラウンド (MCG) - 4月から9月の間、オーストラリアン・ルールズ・フットボールの試合が週に2,3回行われる。2006年英連邦競技大会のメイン会場でもあり、最大収容人員は10万3千人である。
  • メルボルン・パーク - テニス4大大会の一つである全豪オープンの開催地。同大会は毎年1月に開催される。
  • アルバートパーク - 1996年以降、毎年F1が開催されるようになったことで、知名度が上がったメルボルン最大の公園。敷地内には人造湖やスポーツの複合施設などがある。F1のサーキットは普段、公園内に乗り入れるための公道として利用されている。

ショッピング

文化

メルボルン博物館

楽団

動物園・水族館

シーニック鉄道(ルナパーク)、世界最古の継続的に動作するジェットコースター
  • メルボルン動物園 - オーストラリア最古、世界で3番目に長い歴史をもつ。350種以上の動物が自然環境に近い状態で飼育されている。(英語: Melbourne Zoo)
  • ウェリビー・パーク・ズー英語版(英語: Werribee Open Range Zoo)
  • メルボルン水族館英語版 (英語: Sea Life Melbourne Aquarium)
  • ルナパーク英語版英語: Luna Park)- 1912年開園の遊園地。セント・キルダ地区にある。

スポーツ

メルボルン近郊のAFL チーム

などが主要なスポーツイベントとして行われる。

1956年には南半球最初のオリンピック2006年にはコモンウェルスゲームズが開かれた。オリンピックが開催された都市として、および世界都市として、メルボルンは一番南に位置する都市となっている。

クリケットは非常に人気のあるスポーツである。伝統的な形式のファーストクラス・クリケット英語版や、投球制限があり試合時間が3時間程度で終了するトゥエンティ20などがある。トゥエンティ20形式のプロリーグのビッグ・バッシュ・リーグ(BBL)にはメルボルン・レネゲーズ英語版メルボルン・スターズ英語版が所属している。メルボルン・クリケット・グラウンドは最大収容人数が10万人を超えており、1992年2015年クリケット・ワールドカップでは決勝戦の会場となった。

オーストラリア国内サッカーリーグのAリーグには、当市に本拠を構えるメルボルン・ビクトリーFCメルボルン・シティFCが所属している。2007年には世界水泳選手権が当市で開催された。

教育

メルボルン大学

交通

主要記事:メルボルンの交通英語版

鉄道

フリンダース・ストリート駅
サザン・クロス駅
メルボルン・セントラル地下駅メルボルン中心市街地英語版北辺のラ・トローブ通り)
メルボルンシティセンター英語版内にある一般的な電停

メルボルンの公共交通機関はビクトリア州公共交通英語版が所有し、路面電車ヤラ・トラム英語版鉄道メトロ・トレインズ・メルボルンが運営している。これらは1990年代後半までは州政府が直接経営運営していた。プリペイド式非接触カード マイキが導入されている。

フリンダース・ストリート駅は中心市街 (メルボルンシティセンター英語版)の ターミナルで、近郊電車が郊外へ放射状に伸びる。駅の入口にずらりと時計盤(各路線の発車時刻を示す)が並びメルボルンのシンボル的建築の一つである。駅はCityの縁を一周する路線(シティループ英語版)の南辺に位置しヤラ川に接する。この路線の北・東辺の三駅は地下駅となっている。

西辺に位置しスペンサー通りに面するサザン・クロス駅には長距離列車が発着する。州内の列車はVラインと呼ばれる。州外への列車にはアデレード行きやシドニー行きのものがある。隣接するバスターミナル[15][16]メルボルン空港との連絡バス スカイバスが発着する。

また、中心街から距離が15-25キロメートルの郊外地区をつなぐメルボルン近郊環状線の建設が提案されている。

路面電車

路面電車は、複線路線延長約250kmという世界一の規模の路線網を誇る。1994年より中心市街(メルボルンシティセンター英語版)の縁を一周する路線[シティサークル英語版]の周回運行が始まり、2015年1月1日よりその内側(および北と西の隣接地区)の路線は運賃が無料となった。

道路

メルボルンの道路は一般に道幅が広く、住宅地の一般的な道路でも片側2車線ある。また、歩道も完備されている。高速道路に関しては、信号があるものの時速100kmで走行できるハイウェイと、一般の道路とは切り離されているフリーウェイがある。どちらも無料で利用することができる。また、以前は市街地 (メルボルンシティセンター英語版) をはさんで市の東西を移動するのには大変な時間がかかるという問題点もあったが、近年開通した有料道路シティリンクにより現在では解消している。ただこのシティリンクも近年の人口・車所有率の上昇に対応しきれず、朝・夕の通勤ラッシュ時にはかなりの渋滞を引き起こし、ラッシュ時のさらなる渋滞を避けるため、シティリンク入口に信号を設置、利用者の車の数を制限し渋滞を緩和しようと試みている。

空路

  • メルボルン空港(タラマリン空港)、国際空港、メルボルン北西のタラマリン地区、国際・国内便。日本との直行便が就航する。
  • アバロン空港、メルボルンと南西のジーロングの間に位置する第2の空港、格安航空会社による大陸部他州都への便が就航している。
  • エセンドン空港、メルボルンで最初の主要空港であるが、長らくの間使われていない。
  • オーストラリア空軍のクック・ポイント基地は都市の南西の端に位置する。

海路

メルボルン港はオーストラリアで最大のコンテナと一般貨物の港である。世界中の 300の都市との間に貨物航路があり、年間3200隻の船が発着する。メルボルン港はメルボルン中心部の西のマリビロング川とヤラ川の交差する地点にある。同港とタスマニア州デボンポートを結ぶ定期カーフェリーen:「スピリット・オブ・タスマニア」の埠頭には、路面電車でもアクセスできる。

姉妹都市

メルボルンは多数の都市と姉妹都市提携をしている:

脚注

注釈

出典

参考資料

  • 「Melbourne」『FORVO』 2011年11月1日閲覧。オーストラリアの人によるとされる「Melbourne」の発音の音声ファイルを含む。
  • 「Melbourne」Weblio英和・和英辞典』 2011年11月1日閲覧。「Melbourne」の発音の音声ファイルを含む。音声は米国英語のみ。

関連項目

外部リンク

公式

日本政府

観光

教育機関

その他

東経144度57分41秒 / 南緯37.82056度 東経144.96139度 / -37.82056; 144.96139