メル・ダニエルズ

アメリカのバスケットボール選手、コーチ (1944 - 2015)

メルヴィン・ジョー・ダニエルズMelvin Joe Daniels, 1944年7月20日 - 2015年10月30日)は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手である。身長206cm、体重100kg。ポジションはセンター。キャリアの大半をABAインディアナ・ペイサーズで過ごした。ペイサーズを3度のリーグ制覇に導き、MVPを2度受賞するなど、ABAを代表するスーパースターであった。2012年にバスケットボール殿堂入りを果たしている。

メル・ダニエルズ
Mel Daniels
故人
ポジションC
基本情報
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日1944年7月20日
没年月日 (2015-10-30) 2015年10月30日(71歳没)
出身地ミシガン州デトロイト
身長(現役時)206cm (6 ft 9 in)
体重(現役時)100kg (220 lb)
キャリア情報
出身ニューメキシコ大学
ドラフト1967年 9位
永久欠番ペイサーズ  34 
選手経歴
1967-1968
1968-1974
1974-1975
1976
ミネソタ・マスキーズ
インディアナ・ペイサーズ
メンフィス・サウンズ
ニューヨーク・ネッツ
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

経歴

生い立ちと学生時代

ミシガン州デトロイトで生れたダニエルズは、地元のパーシング高校に進学し、そこで体育教師のウィル・ロビンソンに見出されてバスケットボールチームに加わった。当初はやや不器用なこともあってプレータイムは多くなかったが、誰よりもハードワークをこなして練習を続けるうちに才能が開花し、最終学年時にはチームのエースに成長した。高校卒業後、ダニエルズはロビンソンの口添えで奨学金を得てアイオワ州バーリントンのバーリントン・コミュニティ・カレッジに進学し、そこでのプレーが評価されてニューメキシコ大学のヘッドコーチにリクルートされ、2年次から編入学した。

ダニエルズはニューメキシコ大学で目覚ましい活躍を見せ、4年次には平均21.5得点11.6リバウンドをあげてオールアメリカ2ndチームに選ばれた。3年間の成績は平均20.0得点11.1リバウンドであり、ダブルダブル44回は学校記録となった。ダニエルズに率いられたチームは1966-67シーズンに学校新記録となる17連勝をあげ、全米ランキングで最高3位にランクされている。

プロキャリア

大学卒業後、ダニエルズはNBAドラフトシンシナティ・ロイヤルズから全体9位指名を受けたが入団を拒否し、当時創設されたばかりだったABAミネソタ・マスキーズに入団した。ABAを選んだ最大の理由は契約金が大きいことであった。ダニエルズはNBAドラフト1巡目指名選手がABAでのプレーを選択する先駆け的存在となった。

ダニエルズはプロ1年目から平均22.2得点15.6リバウンドをあげてリバウンド王を獲得し、新人王とオールABA1stチームに選ばれた。シーズン終了後、早くも財政難に陥っていたマスキーズは、現金と引換えにダニエルズら3人の選手をインディアナ・ペイサーズにトレードした。

ペイサーズでの1年目となる1968-69シーズン、ダニエルズは平均24.0得点16.5リバウンドを記録して2年連続でリバウンド王に輝き、MVPも受賞した。シーズン序盤にヘッドコーチに就任したスリック・レナードに率いられ、チームは初めてファイナルに進出したがオークランド・オークスに敗れた。

1969-70シーズン、ダニエルズは平均18.7得点17.6リバウンドをあげ、3年連続でオールABA1stチームに選ばれた。シーズン中のニューヨーク・ネッツ戦ではキャリアハイとなる56得点をあげている。ダニエルズやロジャー・ブラウンフレディ・ルイスらを擁したペイサーズはリーグトップとなる59勝をあげ、ファイナルでロサンゼルス・スターズを破って初優勝を果たした。

1970-71シーズンにダニエルズは絶頂期を迎え、平均21.0得点18.0リバウンドで自身3度目のリバウンド王に輝くとともに、2度目のMVP受賞を果たした。またオールスターゲームでは29得点をあげてMVPを獲得している。2年連続でリーグ首位の成績を修めたペイサーズはプレーオフのディビジョン決勝で敗退したが、ダニエルズはプレーオフ期間中平均21.4得点19.2リバウンドを叩き出した。

このシーズンを境にダニエルズの個人成績は徐々に低下していくが、一方でペイサーズは最盛期を迎えることとなる。1971-72シーズン、ダニエルズは初めてオールABAチーム選出を逃したものの、平均19.2得点16.4リバウンドの好成績を残した。チームはファイナルでリック・バリー率いるニューヨーク・ネッツを破って2度目のリーグ制覇を果たし、ABAで複数回優勝した初の球団となった。翌1972-73シーズンも、プロ2年目のジョージ・マクギニスやダニエルズらの活躍でプレーオフを勝ち上がり、ファイナルではアーティス・ギルモアダン・イッセルら豪華戦力を擁したケンタッキー・カーネルズを退けてABA史上唯一となる2連覇を達成した。ダニエルズにとってはキャリア6年で3度目の優勝であった。

1973-74シーズン、ダニエルズはエースの座をマクギニスに譲ったが、平均15.4得点11.6リバウンドの成績で7年連続となるオールスター選出を果たした。チームはプレーオフのディビジョン決勝で敗退している。シーズン終了後、ダニエルズはメンフィス・サウンズにトレードされた。ペイサーズでの成績は479試合で平均19.4得点16.0リバウンドだった。通算7,643リバウンドは今なおペイサーズの球団記録である。

サウンズで迎えた1974-75シーズン、ダニエルズは胃痙攣と背中の痛みに苦しみ、キャリア最低となる平均9.8得点9.0リバウンドに終った。サウンズはこのシーズン限りで解散し、所属していた選手たちはエクスパンション・ドラフトで他球団に移籍することとなった。しかしダニエルズはABAから引退することを決意し、1975-76シーズンをイタリアのプロリーグでプレーした。1976年にABAとNBAが合併すると、フリーエージェントだったダニエルズはニューヨーク・ネッツと契約し、NBAで11試合に出場した後完全に現役を引退した。

ABA及びNBAでの成績は639試合に出場して通算11,778得点9,528リバウンド(平均18.4得点14.9リバウンド)だった。ABA通算9,494リバウンドは史上1位の記録である。

引退後

ダニエルズは現役を退いた後、インディアナ州立大学でアシスタントコーチの職を得た。当時インディアナ州立大学にはラリー・バードが在籍しており、1979年にシーズン全勝とNCAAトーナメント準優勝を果たしている。その後1984年から古巣インディアナ・ペイサーズのアシスタントコーチを7シーズン務めた。1988-89シーズン途中には臨時でヘッドコーチに就任し、2試合指揮を執った。コーチ退任後はスカウトを経てペイサーズのフロントに入り、2009年まで選手人事部長を務めた。

1985年に背番号『34』がペイサーズの永久欠番に指定され、2012年にバスケットボール殿堂入りを果たした。

晩年はインディアナ州シェリダンで牧場を経営し、馬を育てながら趣味の詩作に取り組んでいた。2015年、心臓手術後の合併症により71歳で死去。

個人成績

*リーグ1位
太字キャリアハイ
ABAチャンピオン

ABA/NBAレギュラーシーズン

SeasonTeamGPGSMPGFG%3P%FT%RPGAPGSPGBPGPPG
1967-68MNM7837.7.408.200.57515.6*1.422.2
1968-69IND7638.6.476.000.60416.5*1.524.0
1969-70 8336.6.473.000.67517.61.618.7
1970-718238.7.514.077.67918.0*2.221.0
1971-72 7937.6.505.000.70316.42.219.2
1972-73 8138.3.482.250.72215.42.21.918.5
1973-747832.6.440.75611.61.60.71.215.4
1974-75MMS7123.2.450.6349.01.80.61.49.8
1976-77NYN1111.5.371.5653.10.50.31.03.5
Career63935.2.468.088.65714.91.80.61.518.4

ABAプレーオフ

YearTeamGPGSMPGFG%3P%FT%RPGAPGSPGBPGPPG
1968MNM1040.9.434.60616.11.925.3
1969IND1733.5.422.000.60813.91.319.6
1970 1535.5.444.000.66717.71.019.3
19711141.5.485.74619.21.521.4
1972 2037.2.480.000.75315.11.415.3
1973 1835.3.471.76513.82.215.9
19741435.6.401.76711.41.90.81.012.2
1975MMS413.5.500.5566.00.30.31.56.8
Career10935.8.449.000.68314.81.50.71.117.4

関連項目

外部リンク