モナクカバキチ
モナクカバキチは、福山競馬などに所属したアングロアラブ種の競走馬[1]。
モナクカバキチ | |
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小須田牧場にて | |
品種 | アングロアラブ(アラブ血量25.19%) |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1999年4月29日(25歳) |
抹消日 | 2014年4月1日 |
父 | ホマレブルシヨワ |
母 | フジミネエリカ |
母の父 | アリラバツト |
生国 | 日本 |
馬主 | 綾目康治 |
調教師 | 荻田恭正(福山) |
競走成績 | |
生涯成績 | 216戦55勝 |
獲得賞金 | 5186万5000円 |
勝ち鞍 |
生涯勝利数は「55」を数え、これは地方競馬全国協会が設立され記録を取り始めた1962年以降では最多勝利数を記録している。
競走成績
2002年6月に初めての重賞勝ちを果たす[2]。当時の競馬雑誌『ハロン』では「デビューから一度も掲示板(5着以内)を外していない堅実派」[2]と紹介されている。
途中佐賀競馬場[3]、金沢競馬場[4][3]、名古屋競馬場[5][6][3]、荒尾競馬場[3]を転戦し、重賞を2勝している。2008年3月に荒尾競馬場で47勝目を挙げ[3]、勝利数が当時現役であったエスケープハッチに次ぐ単独2位となった[3]。
2008年9月からまた福山競馬場で走り[6]、2011年7月24日に54勝目を挙げ、エスケープハッチの記録に並んだ[6][7]。同年9月には通算200戦目を完走した[8]。
2012年7月14日、福山競馬で地方競馬最多となる通算55勝目を挙げた[9]この勝利は日本におけるアラ系競走馬、最後の勝利となった。
2012年8月5日体力の衰えを理由に引退が決定[10][11]。同年8月12日、福山競馬場において勝ち星と同じ「55」のゼッケンを付けて引退セレモニーを行なった[12]。引退後山梨県小須田牧場で余生を過ごす[13][14]。
重賞勝ち鞍
血統表
モナクカバキチの血統スマノダイドウ系 / タカクラヤマ 4×4 /「アア」表記はアングロアラブ種 「アラ」表記はアラブ種 「*」が付された馬名はシャギア・ギドラン・サラ系 | (血統表の出典) | |||
父 アア ホマレブルシヨワ 1984年生 黒鹿毛 | 父の父 アア スマノダイドウ1970年生 鹿毛 | アア ミトタカラ | タカクラヤマ | |
アラ 金有 | ||||
*トキノメジロ | *メジロオー | |||
アア トキノハツエ | ||||
父の母 アア ミスブルシヨワ1973年生 栗毛 | アア マスホマレ | タカクラヤマ | ||
アア スピーデー | ||||
アア スピードレデイ | アア セイユウ | |||
アア シマウタ | ||||
母 アア フジミネエリカ 1986年生 栗毛 | アア アリラバツト 1973年生 鹿毛 | アラ Djerba Oua | アラ Dragon | |
アラ Doree | ||||
Topsa | Tosco | |||
Xalapa | ||||
母の母 イチハヤテ 1972年生 栃栗毛 | レアリーリーガル | ロイヤルチャージャー | ||
Fresh Air | ||||
メヌマトミ | チャイナロック | |||
ブラツクジユエル F-No.7-c |
脚注
関連項目
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、KEIBA.GO.JP、JBISサーチ
- モナクカバキチ最多勝への道 - 元担当厩務員によるブログ(“アラブ馬衰えぬ闘志 サラブレッドに交じり激走 最盛期1万→現役6頭” (日本語). 読売新聞 (読売新聞大阪本社): p. 33. (2011年12月24日))
- モナクカバキチ(福山)地方最多勝に並ぶ - 地方競馬全国協会TOPICS2011
- 地方競馬平地最多勝 モナクカバキチ号(福山)引退 - 地方競馬全国協会TOPICS2011