三浦元精

三浦 元精(みうら もときよ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将安芸国戦国大名毛利氏の家臣。兄は毛利氏重臣の三浦元忠

 
三浦元精
時代安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕不詳
死没慶長18年4月1日1613年5月20日
改名松山又七郎→神代元精→三浦元精
別名通称:又七郎→又右衛門尉
戒名悦叟道可
主君毛利輝元秀就
長州藩
氏族松山氏→神代氏→三浦氏
兄弟元忠元精
虎法師元実
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生涯

毛利輝元の側近である松山惣四郎(後の神田元忠、三浦元忠)の弟として生まれ、兄と同じく輝元に仕える。

天正15年(1587年2月22日、輝元の加冠状を受けて元服し、「元」の偏諱を与えられて「神代又七郎元精」と名乗った[1]。天正17年(1589年8月13日には輝元から「又右衛門尉」の官途名を与えられる[2]

元精の子である虎法師が兄・元忠の養子となったが[3]、虎法師は早世したため、文禄5年(1596年8月20日に元忠が死去した際には、元精が家督を相続した。

慶長18年(1613年4月1日に死去。子の元実が後を継いだ。

脚注

参考文献