上大野 (姫路市)

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上大野(かみおおの)は兵庫県姫路市の町名。上大野1丁目から7丁目までに分かれる。郵便番号670-0896[8]

上大野
上大野の位置(兵庫県内)
上大野
上大野
上大野1丁目の位置
北緯34度51分54秒 東経134度41分27秒 / 北緯34.865097度 東経134.69082度 / 34.865097; 134.69082
日本の旗 日本
都道府県 兵庫県
市町村 姫路市
面積
内訳:
上大野1丁目 0.073km2[1]
上大野2丁目 0.063km2[2]
北平野3丁目 0.039km2[3]
北平野4丁目 0.091km2[4]
北平野5丁目 0.095km2[5]
北平野6丁目 0.085km2[6]
 • 合計0.0 km2
人口
2024年令和6年)3月31日現在)[7]
 • 合計3,016人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
上大野(1~7丁目) : 670-0896[8]

大寿台(1・2丁目: 670-0898[9]

西大寿台: 670-0897[10]
市外局番079[11]
ナンバープレート姫路

本記事では上大野から分かれた以下の町についても解説する。

  • 大寿台(だいじゅだい)(1・2丁目):郵便番号670-0898[9]
  • 西大寿台(にしだいじゅだい):郵便番号670-0897[10]

各町とも住居表示実施済み[12]

地理

上大野は姫路市中心部北部、広峰山南西麓に位置する。北に夢前町山冨、以下時計回りに砥堀、広嶺山(町名)、北平野、北平野台町、御立東、御立北と接する。大寿台は上大野の西の山腹にある住宅地、西大寿台は大寿台の西に位置する住宅地である。

歴史

上古は枚野里(ひらののさと)に属していた。大野里(現・野里)から人が移り住んだことから「大野」と呼ばれたものか[13]。『和名抄』には「大野郷」の名がある[14]

江戸時代の大野村飾東郡のうち姫路藩領で村高は「旧高旧領取締帳」では398石余[14]

大区小区制においては飾磨県では第8大区第8小区に、兵庫県では第8大区第1小区に属した[15]。1889年(明治22年)に城北村に属し、1925年(大正14年)に同村が姫路市に合併しその一部となる。1933年(昭和8年)に姫路市中心部の大野町との区別のために上大野と改称される[16]

戦後はイチゴの産地として知られた[17]。昭和40年代に西部の山腹に大寿台と丸山台という住宅地が造成され、1983年(昭和58年)にはそれぞれ大寿台1・2丁目および西大寿台として分離し、残部が上大野1丁目から7丁目となる[17]

世帯数と人口

2024年(令和6年)3月31日現在の人口は以下の通り。上大野7丁目は居住者無し[18][19]

丁目世帯数人口
上大野1丁目303世帯707人
上大野2丁目40世帯90人
上大野3丁目224世帯592人
上大野4丁目 90世帯210人
上大野5丁目94世帯207人
上大野6丁目180世帯500人
上大野7丁目0世帯0人
大寿台1丁目109世帯224人
大寿台2丁目142世帯284人
西大寿台92世帯202人
上記合計1274世帯3016人

それ以前の世帯数と人口は以下の通りである。

調査年世帯数人口備考出典
1949年(昭和24年)83世帯425人町域変更前[20]
1951年(昭和26年)94世帯461人[21]
1978年(昭和53年)446世帯1612人[22]
1983年(昭和59年)571世帯2042人町域確定後

(上大野・大寿台・西大寿台の合計)

[23]
1990年(平成2年)615世帯2075人[24]
1995年(平成7年)690世帯2057人[25]
2000年(平成12年)890世帯2537人[26]

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[27]

番地小学校中学校
全域姫路市立広峰小学校姫路市立広嶺中学校

交通

  • 山陽自動車道 - 広峰山トンネルと上大野トンネル(下り線は上大野第1・第2トンネルの2本)の間、上大野7丁目の姫路獨協大学敷地内で地上を通過する。
  • 巡礼道 - 東方より書写山圓教寺へ至る巡礼道が上大野を通過していた。西大寿台西の大野峠付近に道標がある[28]
  • 神姫バス「上大野」「姫路獨協大学」「大野」「大寿台」(大野は早朝姫路駅北口行き・深夜大寿台行きのみ停車)バス停(3・5・11系統)[29]

施設・旧跡

  • 姫路獨協大学
  • 上大野の常夜灯 - 嘉永5年(1852年)の年号が刻まれている[30]
  • 大歳神社 - 江戸期の年号を持つ石像品が多くある[30]
  • 不動山善教寺 - 浄土真宗本願寺派。元は西塩町(現・塩町)にあり、江戸末期には学門の寺として知られた[31]が1945年(昭和20年)の姫路空襲で被災、1983年(昭和58年)に西大寿台へ移転[32][33]
  • 大野の地蔵 - 大野峠にある。西向きという珍しい地蔵[34]
  • 上大野簡易郵便局[35]

かつての施設

  • 兵庫県立畜産試験場 - 1963年(昭和38年)に今宿から移転(当時は種畜場)、1985年(昭和60年)に加西市へ移転。跡地に姫路獨協大学[17]

脚注

参考文献

  • 橋本政次『姫路市町名字考』1956年。 (再録:播磨考・姫路市町名字考』臨川書店〈兵庫県郷土誌叢刊〉、1987https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001850766-00 
  • 市勢要覧 昭和24年版』姫路市調査課、1949年https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000000940408-00 
  • 市勢要覧 昭和26年版』姫路市調査課、1951年https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000000940409-00 
  • 兵庫県総務部地方課(編)『兵庫県市町村合併史 上』兵庫県、1962年https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001045066-00 
  • 播磨地名研究会『新・姫路の町名』神戸新聞総合出版センター、2007年。ISBN 9784343004444 


外部リンク