南条 広継(なんじょう ひろつぐ)は、戦国時代の武将。蝦夷地の蠣崎氏の家臣。
享禄2年(1529年)に誕生。
蠣崎季広の長女を正室に迎え、蠣崎一族として重用された。しかし、季広とその従兄弟・蠣崎基広の家督争いの際(もしくは別の事件とも)、正室が実弟の蠣崎舜広(季広の長男)と明石元広(季広の次男)を毒殺した罪に連座してしまい、永禄5年(1562年)に季広の命で自害させられた。
なお、広継の自害に際しては「逆さ水松」という伝説が残る。