名東城(みょうどうじょう)は、徳島県徳島市名東町にあった日本の城。別名は経ヶ丸城・川越城。
天文13年(1544年)に鎌田兵衛尉光久がに築城。しかし、永禄5年(1562年)に和泉久米田で戦死した。その後、息子である修理輔光康が居城したが天正7年(1579年)の長宗我部氏の一宮成助と戦い戦死。
さらにその後に久馬右衛門光義が城主となるが、天正10年(1582年)8月に、中富川の戦いで長宗我部軍と戦い戦死する[1][2]。