国民民主連盟
国民民主連盟(こくみんみんしゅれんめい、ビルマ語: အမျိုးသား ဒီမိုကရေစီ အဖွဲ့ချုပ်、英語: National League for Democracy, NLD)は、ミャンマー(ビルマ)に存在する政党。2016年の政権獲得まで、同国の軍事政権である国家平和発展評議会及びその流れを継ぐ連邦団結発展党政権の施策に抵抗した点で、ミャンマー最大の反政府組織であった。党首はアウンサンスーチー、中央執行委員会議長はティン・ウ。
国民民主連盟 အမျိုးသား ဒီမိုကရေစီအဖွဲ့ချုပ် | |
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書記長 | アウンサンスーチー |
中央執行委員会議長 | ティン・ウ |
成立年月日 | 1988年9月27日[1] 2011年11月25日[2] |
解散年月日 | 2010年5月6日 2023年3月28日(法令上) |
解散理由 | 政党登録を拒否したため |
本部所在地 | ミャンマー、ヤンゴン市バハン区[3] |
人民代表院議席数 | 258 / 440 (59%) |
民族代表院議席数 | 135 / 224 (60%) |
政治的思想・立場 | 中道左派 自由民主主義[4][5] 自由保守主義[5] 社会民主主義[6] 保護貿易主義[7] ポピュリズム[8] |
公式カラー | 赤[9] |
国際組織 | アジア・リベラル民主評議会 (オブザーバー)[10] |
公式サイト | NLD | National League for Democracy[リンク切れ] |
2021年のクーデターで政権の座を追われ、2023年1月に軍事政権(国家行政評議会)が定めた法令に基づく政党登録を拒否したため、同年3月28日に連邦選挙管理委員会から解散(政党としての資格喪失)が発表された[11]。
かつて存在した亡命政府であるビルマ連邦国民連合政府(NCGUB)の主要構成団体の一つである。
党史
SLORC・SPDC時代(1988年~2011年)
8888蜂起の中、1988年9月27日に結成。軍事政権・国家法秩序回復評議会(SLORC)が管理する中、1990年に行われた総選挙で大勝し、492議席中の392議席(占有率81%)を獲得した。ただし、軍事政権が推す旧与党系の国民統一党が大敗したため、軍事政権は国民議会の召集を拒否し続けた。また、軍事政権はNLDの抵抗力を殺ぐために、総選挙以降、NLDの国内での活動を禁止し、同党の幹部や議員らを多数投獄した。SLORCが1997年に改称した軍事政権・国家平和発展評議会(SPDC)は、2001年にNLDの国内での活動再開を容認し、あわせてNLDの政治犯を釈放し始めた。しかし、2004年に軍事政権が開催した制憲国民会議への協力をNLDが拒否したため、軍事政権は同年中にNLDの活動を再び禁止した。また、2006年以降、軍事政権や翼賛団体である連邦団結発展協会(USDA)からの嫌がらせを受け、多数の党員が脱党する事態が生じた。
亡命などによって海外にいる党員、支持者たちは、タイ王国のメーソート郡やバンコクなどを拠点に、海外組織である国民民主連盟(解放地域)を組織し、日本、イギリス、大韓民国などに支部を設けて民主化支援活動を展開していた。
政党登録期限である2010年5月6日までに手続きを行わなかった(軍事政権主導の総選挙へのボイコット)ため、当局によって「解党」が宣言され、22年間の闘争活動に終止符を打った。しかし、選挙を戦うべきと主張する一部の勢力によって、分派にあたる国民民主勢力(NDF)が結成されている。一方で公式サイトを開設し、ウェブで民主化を訴えている[12]。サイトにはアウンサンスーチーのコメントや、NLDの活動についての動画もある[12]。
民政復帰と国政への参加
2010年11月に軟禁状態を解かれたアウンサンスーチーの政治活動再開をめぐっては政府との軋轢もあったが、2011年7月になってアウンサンスーチーとテイン・セイン大統領との対話が実現。国家の発展のために協力し合うことで合意し、政府側からはNLDの政党再登録を勧める意見が出された[13]。その後、連邦議会で選挙関連法規が改正されることを受け、同年11月25日には政党としての登録を行い[2]、2012年4月1日に行われたミャンマー連邦議会の補欠選挙[14]にアウンサンスーチーを含む44人の候補者を擁立[15]。補欠選挙の結果は、上下両院(民族代表院と人民代表院)でアウンサンスーチーを含む40人が当選するという大勝だった[16]。
2015年11月に行われた総選挙において8割を超す議席を獲得し、与党・連邦団結発展党(USDP)に圧勝した[17]。選挙の勝利にともなってNLDは新政権を担当することとなり、ティンチョーを新大統領に擁立した。新政権では党首のアウンサンスーチーが外務大臣、大統領府大臣、国家顧問(新設の職)を兼任し、政権の実権を握ることとなった。
SAC時代(2021年~)
2021年2月1日、ミン・アウン・フライン上級大将(国軍総司令官)が実権を握る国軍がウィンミン大統領とアウンサンスーチー国家顧問を筆頭とするNLDの幹部を一斉に逮捕・軟禁した後に国権掌握を宣言して非常事態宣言を発出し、軍事政権として国家行政評議会(SAC)を設置したことにより(2021年ミャンマークーデター)、NLDは政権交代を余儀なくされた[18]。クーデターを強行した国軍に対抗する組織として国民民主連盟を中心として2020年11月の総選挙で選出された議員によって構成された臨時政府である連邦議会代表委員会及び国民統一政府を結成して抵抗を試みている。
こうした動きに対して国軍によってメンバーが刷新された連邦選挙管理委員会は2020年総選挙について、国民民主連盟による大規模な不正が行われていた選挙だったとして無効にすると一方的に決定した[19]ほか、2021年5月には2020年総選挙で不正行為を行ったことを理由に国民民主連盟の解党を検討していることを明らかにした[20]が、結論は避けていることから、国民民主連盟の党員に揺さぶりをかけ、党の分裂を引き起こすことが狙いではないかとの見方もある[20]。
2022年6月3日、ミャンマー国軍の報道官は、テロ行為などを理由に軍事法廷から死刑判決を受けていた、国民民主連盟の元議員ら4人の刑の執行が承認されたと明らかにした[21]。
2023年1月に国軍が政党の登録に関する新たな法律を施行し、同年3月28日を再登録の申請期限としていたが、これに反発したNLDは政党登録の手続きを拒否する方針[22]を決定したほか、国軍主導の総選挙に参加しない意向を示したため、期限日の3月28日に連邦選挙管理委員会はNLDを含む反軍政の姿勢を取る40政党の解散(政党としての資格喪失)を発表した[11][23]が、NLDは3月29日に発表した声明で、「国軍に正統性がないことは明らかだ。ミャンマー国民がいる限り党は存在する」[24]として、政党としての資格を喪失した後も活動を継続する姿勢を示した。
獲得議席
実施年 | 議席数 / 改選数 | 得票率 | 議席率 | 増減 | 出典 |
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1990年 (制憲議会) | 392 / 492 | [28] | |||
2010 | 0 / 440 | 392 | |||
2012年 (補欠選挙) | 37 / 440 | 37 | [25] | ||
2015 | 225 / 323 | 57.2% | 78.95% | 218 | [26] |
2020 (一方的に無効宣告) | 258 / 315 | 81.9% | 33 | [27] |