国民の父

国父から転送)

国民の父(こくみんのちち)とは、多くの国家において、独立期や発展期に活躍した象徴的な人物や政治的な指導者を称賛する際に使われる呼称である。英語からの訳語であるこの呼称の他、似た概念を表す呼称として「祖国の父」、「国家の父」、「建国の父」、「独立の父」、「国父」があり、それぞれニュアンスが異なる。

ウィレム1世、オラニエ公、ナッサウ伯、独立オランダオランダ共和国の初代総督
アメリカ合衆国建国の父、ジョージ・ワシントン
ハイチ独立の父、トゥーサン・ルーヴェルチュール
メキシコ独立の父、ミゲル・イダルゴ
ホセ・デ・サン=マルティンアルゼンチンチリペルーの解放者
テオドール・ヘルツルシオニズムの父でイスラエルの父
辛亥革命を主導した孫文中華民国の国父

各呼称のニュアンスの違い

「建国の父」や「独立の父」はもっぱら建国や独立そのものに多大な貢献をした人物を指す呼称だが、その他は必ずしもそうではなく、国家の発展に貢献した人物を指すこともある。「祖国の父」及び「国家の父」は後述のpater patriaeの訳語として使われるほか、一般的な呼称としても用いられる。日本語中国語では漢語の「国父」がしばしば使われる。「国父」は「藩主の父」を表す称号として島津久光が用いたが、後に"Father of the Nation"の訳語として使われるようになり、特に中国語からの影響で孫文を指す用例が最も多く、定着している。

概説

その生涯から読み取られる英雄らしさや道徳的権威としてのありかたによって、こうした人物は国家や国民国史を記述する際のキーパーソンとされ、愛国心の源に、また尊敬や崇拝の対象にされる。国父の肖像国家の象徴となり、紙幣切手記念碑、あるいは地名や空港名、大学名などに使われる。いくつかの権威的な国家では、国父に対するカルト的な個人崇拝が確立されることもある。

古代ローマ元老院は、最も尊敬すべき市民に対し祖国の父pater patriae)の称号を授与していた。キケロ執政官として国家転覆の陰謀を未然に防いだことからこの称号を得た。その他有名なのは歴代ローマ皇帝達は長年皇帝として活躍した場合など、元老院からこの称号を贈られていた。皇帝の肖像の入った硬貨にしばしば「PP」と書かれているのはこの「pater patriae」の略である。

一旦「国父」とされた人物の全てが永久に名声を維持するわけではない。歴史の見直しなどによってその地位が揺らぐことがある。例えば、ヨシフ・スターリンは、ソビエト連邦の指導者の地位にあった当時、数千万のソビエト人民の父として称えるプロパガンダがなされていた。彼の死後、指導者スターリンのいない生活など考えられないし耐えられないと考えた国民が多かっただろうことは、後追い自殺が続発したことからも窺える。ところが、彼が行った政治的抑圧は表面化し、後継者ニキータ・フルシチョフによる非難が行われ、ウラジーミル・レーニンと並べて安置されていたスターリンの遺体はレーニン廟から撤去されるに至った。

他の例では、アイルランド独立運動の指導者でアイルランド共和国大統領を長年務めたエイモン・デ・ヴァレラが挙げられる。多くのアイルランド人は彼を国父とみなしていたが、1980年代以降の歴史の再評価で、他の独立指導者(マイケル・コリンズなど)にスポットが当てられるに従い、デ・ヴァレラの評価は下がっている。

マハトマ・ガンディーインドの国父(राष्ट्रपिता)として、孫文中華民国台湾)の国父(國父)として、金九大韓民国の国父として、国家から公式に称されている。トルコの近代化の父ムスタファ・ケマル・パシャは、トルコ大国民議会から「父なるトルコ人」という意味のアタテュルクという姓を贈られた。

2003年にハーミド・カルザイ大統領が起草したアフガニスタン憲法草案では、廃位されたかつての王であるザーヒル・シャーに「ババ=エ=ミラート(国父)」の称号が贈られた。この異例の措置は、王政復活を切望するアフガン人に対する配慮であると解釈されている。

ミャンマービルマでは、アウン・サン将軍が建国の父となっている。

国民の父の一覧

人名
アフガニスタンザーヒル・シャー
アルバニアスカンデルベグ
エンヴェル・ホッジャ人民共和国時代)
アルジェリアアフメド・ベンベラ
アンティグア・バーブーダサー・ヴェア・バード
アルゼンチンマヌエル・ベルグラーノ
ホセ・デ・サン=マルティン
アルメニア幻視者グレゴリオス
オーストラリアサー・ヘンリー・パークス英語版
オーストリアフランツ・ヨーゼフ1世
カール・レンナー
バハマサー・リンデン・ピンドリング英語版
バングラデシュムジブル・ラフマン
バルバドスエロール・バロー英語版
ボリビアコロンビア
エクアドルパナマ
ペルーベネズエラ
シモン・ボリーバル
アントニオ・ホセ・デ・スクレ
ボツワナサー・セレッツェ・カーマ
ブラジルペドロ1世
ジョゼ・ボニファシオ・デ・アンドラーダ・エ・シルヴァ
ミャンマーアウン・サン
ブルンジルイ・ルワガソレルイ・ルワガソレ英語版
ベトナムホー・チ・ミン
呉権
涇陽王
カンボジアフン・セン
ノロドム・シハヌーク
カナダサー・ジョン・A・マクドナルド
ジョルジュ・エティエンヌ・カルティエ英語版
中央アフリカバルテレミー・ボガンダ
チリベルナルド・オイヒンス
ホセ・ミゲル・カレーラ英語版
中華民国孫文
コートジボワールフェリックス・ウフェボワニ
クロアチアアンテ・スタルチェヴィッチ英語版
キューバカルロス・マヌエル・デ・セスペデス
ホセ・マルティ
フィデル・カストロ
チェコスロヴァキア
チェコ
カール4世
トマーシュ・マサリク
ドミニカ共和国フアン・パブロ・ドゥアルテ英語版
東ティモールシャナナ・グスマン
エジプトナルメル
サアド・ザグルール
ガマール・アブドゥン=ナーセル
エチオピアメネリク1世
エルサルバドルホセ・マティアス・デルガード英語版
フィジーカミセセ・マラ英語版
フィンランドカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム
フランスシャルル・ド・ゴール第五共和政
ナポレオン・ボナパルト第一帝政
ジャンヌ・ダルク
シャルルマーニュ神聖ローマ帝国およびフランク王国
ウェルキンゲトリクス
ガンビアダウダ・ジャワラ
ドイツコンラート・アデナウアードイツ連邦共和国
オットー・フォン・ビスマルクドイツ帝国
オットー1世神聖ローマ帝国
カール大帝神聖ローマ帝国東フランク王国
アルミニウス
ガーナクワメ・エンクルマ
ギリシャイオアニス・カポディストリアス
ギニアセク・トゥーレ
ハイチトゥーサン・ルーヴェルチュール
ジャン=ジャック・デザリーヌ
ホンジュラスフランシスコ・モラサン
ハンガリーアールパード
ラヨシュ・コシュート
アイスランドヨン・シグルズソン
インドマハトマ・ガンディー
インドネシアスカルノ
イランキュロス大王
ルーホッラー・ホメイニー
アイルランドマイケル・コリンズ
イタリアジュゼッペ・ガリバルディ
ジュゼッペ・マッツィーニ
カミッロ・カヴール
イスラエルテオドール・ヘルツル
ケニアジョモ・ケニヤッタ
コソボイブラヒム・ルゴヴァ
ラオススパーヌウォン
ファー・グム王英語版
レソトモショエショエ1世
マラウイヘイスティングズ・カムズ・バンダ
マレーシアトゥンク・アブドゥル・ラーマン
マハティール・ビン・モハマド
マルタマンウェル・ディメク英語版
モーリタニアモクタル・ウルド・ダッダ
モーリシャスサー・シウサガル・ラングーラム
メキシコミゲル・イダルゴ
ベニート・フアレス
モンゴルチンギス・ハーン
モンテネグロミロ・ジュカノヴィチ
モロッコイドリース1世 (イドリース朝)
ナミビアサム・ヌジョマ
オランダウィレム1世
ニカラグアアウグスト・セサル・サンディーノ
ナイジェリアンナムディ・アジキウェ
大韓民国金九
北朝鮮金日成
パキスタンムハンマド・アリー・ジンナー
パレスチナ自治区ヤーセル・アラファート
フィリピンホセ・リサール
ポーランドミェシュコ1世
ポルトガルアフォンソ1世
ロシアピョートル大帝
セントルシアサー・ジョン・コンプトン
セントビンセント・グレナディーンサー・ジェームズ・F・ミッチェル英語版
サウジアラビアアブドゥルアズィーズ・イブン=サウード
セネガルレオポルド・セダール・サンゴール
セルビアステファン・ネマニャ
聖サヴァ
シエラレオネサー・ミルトン・マルガイ
シンガポールリー・クアンユー
南アフリカ共和国ヤン・ファン・リーベックアパルトヘイト時代)
ネルソン・マンデラ(現在)
旧ソビエト連邦ウラジーミル・レーニン
スリランカドン・スティーヴン・セーナーナーヤカ
スーダンイスマイル・アル=アズハリ英語版
スウェーデンビルイェル・ヤール
グスタフ1世
タンザニアジュリウス・ニエレレ
チュニジアハビーブ・ブルギーバ
トルコムスタファ・ケマル・アタテュルク
トルクメニスタンサパルムラト・ニヤゾフ
ウガンダヨウェリ・ムセベニ
ウクライナボフダン・フメリニツキー
ウォロディミル・ゼレンスキー
アラブ首長国連邦ザーイド・ビン=スルターン・アール=ナヒヤーン
アメリカ合衆国ジョージ・ワシントン
テキサス共和国サミュエル・ヒューストン
ウルグアイホセ・ヘルバシオ・アルティガス英語版
フアン・アントニオ・ラバジェハ英語版
ウズベキスタンティムール
西サハラエル・ワリ英語版
ユーゴスラビアアレクサンダル1世
ヨシップ・ブロズ・チトー
ルワンダポール・カガメ
リベリアジョセフ・ジェンキンス・ロバーツ

関連項目