小寺成蔵

小寺 成蔵(こでら せいぞう、1852年嘉永5年)6月 - 没年不明)は、日本実業家岐阜県安八郡大垣町[1])・兵庫県神戸葺合熊内町[2])の士族尼崎紡績監査役。関西学院高等商業学部教授・小寺敬一は長男(スペイン風の同本邸、同六甲山荘で知られる)、大日本紡績社長・小寺源吾は養子。

こでら せいぞう

小寺 成蔵
生誕1852年6月
日本の旗 日本
死没不明
住居岐阜県安八郡大垣町[1]
神戸市中央区熊内町[2]
国籍日本の旗 日本
民族日本人
職業実業家
活動期間19世紀
著名な実績尼崎紡績創立・大日本紡績誕生
活動拠点日本の旗 日本
純資産素封家
肩書き大日本紡績紡績 監査役
配偶者小寺しげ
子供小寺敬一 (長男)
小寺源吾 (養子)
親戚西村権兵衛 (養子小寺源吾の実父)
西村喬 (同小寺源吾の実兄)
小寺武四郎 (孫)
小寺新六郎 (孫)
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略歴

初代大垣商工会議所代議員を務め[3]、美濃実業銀行の中心人物であった[4]。大阪電気分銅会社社長を辞任した後、同社平取締役となり、1879年 (明治31年) 4月、大垣共立銀行を代表して、尼崎紡績監査役に選任される。自邸は神戸市中央区熊内町にあった[5][6][2][7]

系譜

小寺家は大垣戸田藩勘定方家老の家系であった。

脚注

関連項目