木付鎮直


木付 鎮直(きつき しげなお)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将大友氏の家臣。木付氏16代当主。豊後国木付城主。

 
木付鎮直
時代戦国時代 - 安土桃山時代
生誕享禄元年(1528年
死没文禄2年(1593年
改名鎮直→宗円(法名)
戒名順慶院殿芳雄宗円大居士
墓所大分県杵築市鴨川桶屋敷の西方
官位中務少輔
主君大友義鎮(宗麟)義統
氏族木付氏
父母父:木付鎮秀、母:生地安清娘
統直、直永
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木付氏は大友親秀の六男木付親重を祖とする大友氏の庶流。

木付鎮秀、叔父・鎮之と共に大友義鎮(宗麟)から偏諱を受け鎮直を名乗る。

天正8年(1580年)、田原親貫が大友氏に反乱を起こし安岐城に籠城したため、大友義統の命によりこれを攻める。鎮秀と鎮之も安岐城攻撃に加わったが、味方であるべき奈多鎮基の軍が木付軍を背後から襲い、悪戦苦闘の末、鎮秀は弟の鎮之とともに戦死した。鎮秀の戦死後、嫡男の鎮直が家督を許されて木付氏を継承している。

天正14年(1586年)、島津氏の豊後侵攻(豊薩合戦)に際し、新納忠元の軍勢を豊後杵築城(木付城)で二ヶ月の間、籠城して耐えきり、撤退する島津軍を追撃して、これを打ち破った。

文禄・慶長の役の最中に大友義統豊臣秀吉改易されると、義統に従った子統直がそれを恥じ帰国の途上、関門海峡で入水自害。(孫も文禄・慶長の役で戦死している)それを知った鎮直は木付城を掃き清めると、妻と共に自害した。享年66。