椋梨弘平

椋梨 弘平(むくなし ひろひら)は、戦国時代武将小早川氏の重臣。

 
椋梨弘平
時代戦国時代
生誕不明
死没不明
別名張平、通称:藤次郎
官位治部少輔常陸守
主君小早川隆景
氏族椋梨氏
父母父:椋梨盛平
香川春景娘
景良、村上景広正室
テンプレートを表示

略歴

椋梨氏は小早川景広の次男・小早川季平安芸国沼田新庄に分知され、その嫡子の国平が沼田新庄椋梨郷一帯を領して本拠とし、地名を取って姓を椋梨としたことに始まる沼田小早川氏の庶流であるが、小早川隆景の沼田小早川家入りの際には積極的に貢献した。

椋梨盛平の子として誕生。「小早川家文書」に残る永禄4年(1561年)から天正14年(1586年)の座配書立によると、常に上座筆頭に記されていることから、弘平は隆景の筆頭家老であったことがうかがわれる。天文23年(1554年)の備後国高杉城攻めでは家臣・末包又十郎と共に活躍し、隆景より感状を送られている。

子・景良は隆景の死後、毛利氏の家臣となる。

出典