椎橋金司

日本の将棋棋士

椎橋 金司(しいはし きんじ、1948年10月10日 - 2009年1月16日[1])は、将棋棋士、六段。松下力九段門下。棋士番号は115。東京都足立区出身。

 椎橋金司 六段
名前椎橋金司
生年月日 (1948-10-10) 1948年10月10日
没年月日 (2009-01-16) 2009年1月16日(60歳没)
プロ入り年月日1974年9月4日(25歳)
引退年月日2002年3月31日(53歳)
棋士番号115
出身地東京都足立区
所属日本将棋連盟(関東)
師匠松下力九段
弟子大野八一雄七段
段位六段
棋士DB椎橋金司
戦績
通算成績184勝417敗(0.3062)
竜王戦最高クラス6組
順位戦最高クラスC級2組
2016年10月3日現在
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経歴

奨励会への入会は1962年。旧制度の三段リーグ(奨励会A組)への参加は1969年後期からで、同制度が終了する1973年度後期までの9期・4年半、四段昇段(プロ入り)をすることができなかった。

その頃、第3回奨励会若獅子戦の関東の決勝で、田中寅彦4級を角落ちで破って関東優勝。しかし、西の優勝者・淡路仁茂三段との決勝では、秒読みで悪手を指して敗れ、準優勝に終わる。このとき椎橋は、観戦記担当の団鬼六や記録係にわざわざお茶を持ってくるという気遣いを見せた。団は「お茶を出す時間を節約していれば…」と思ったという[2]

その頃から好調となり、三段リーグ制度が1974年に廃止されるや否や、同年9月に25歳で四段昇段する。

第2回(1975年度)名将戦で本戦入り。

第13回(1979年度)早指し将棋選手権で予選を突破。さらに本戦1回戦で谷川浩司を破る。

順位戦では、1992年にC級2組から陥落。以降10年間、順位戦に復帰することができず、2001年度を最後に53歳で引退となった。

2009年1月16日、鬱血性心不全のため、60歳で死去[1]

棋風

振り飛車党で、中飛車四間飛車三間飛車向かい飛車のどれも多く指した。大山康晴などの振り飛車党を相手にする場合には、居飛車で戦うこともあった。

振り飛車ではあるが、攻っ気の強い棋風である。

人物

弟子

棋士となった弟子

名前四段昇段日段位、主な活躍
大野八一雄1982年6月7日七段
  • 将棋界では珍しい、年齢差が10歳しかない師弟である。

昇段履歴

主な成績

通算成績

  • 184勝417敗

在籍クラス

順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦(出典)竜王戦
名人A級B級C級0竜王1組2組3組4組5組6組決勝
T
1組2組1組2組
197530C214
1976主催者移行問題により中止
197736C204
197837C227
197938C215
198039C212
198140C217
198241C216
198342C224
198443C228
198544C236
198645C218
198746C24416組--
198847C24226組--
198948C22936組--
199049C22146組--
199150C24656組--
199251F編66組--
199352F編76組--
199453F編86組--
199554F編96組--
199655F編106組--
199756F編116組--
199857F編126組--
199958F編136組--
200059F編146組--
200160F編156組--
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

表彰

  • 現役勤続25年表彰(1999年)

脚注

関連項目

外部リンク

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