浅野長賢 (広島新田藩主)

浅野 長賢(あさの ながかた)は、江戸時代中期の大名通称は民部、大膳。安芸国広島新田藩初代藩主。官位従五位下兵部少輔宮内少輔

 
浅野 長賢
時代江戸時代中期
生誕元禄6年(1693年
死没延享元年9月25日1744年10月30日
改名万吉、長賢
別名民部、大膳(通称)
戒名大通院
墓所東京都品川区北品川東海寺
官位従五位下兵部少輔宮内少輔
幕府江戸幕府
主君徳川吉宗
安芸広島新田藩
氏族浅野氏
父母浅野綱長
兄弟吉長長賢中川久慶、梅、九条師孝室、一条兼香正室、松平資訓継室、於三、
水野忠幹正室ら
長喬、三好房高、能姫、瑞仙院
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略歴

広島藩浅野綱長の三男として誕生。幼名は万吉、

宝永7年(1710年)9月18日、6代将軍徳川家宣に拝謁し、松平姓を名乗ることを許される。同年12月18日、従五位下・兵部少輔に任官する。後に宮内少輔に改める。享保15年(1730年)5月11日、兄で広島藩主の吉長から3万石を分与されて、支藩である広島新田藩を立藩した。

延享元年(1744年)9月25日、52歳で死去し、跡を長男の長喬が継いだ。法号は大通院。墓所は東京都品川区北品川東海寺

系譜