福住 (江東区)

東京都江東区の町名
深川福住町から転送)
日本 > 東京都 > 江東区 > 福住

福住(ふくずみ)は、東京都江東区の地名で、旧深川区に当たる深川地域内である。現行行政地名は福住一丁目および福住二丁目。住居表示実施済区域。

福住
町丁
地図北緯35度40分37秒 東経139度47分36秒 / 北緯35.676942度 東経139.793353度 / 35.676942; 139.793353
日本の旗 日本
都道府県東京都の旗 東京
特別区 江東区
地域深川地域
人口情報2023年(令和5年)1月1日現在[1]
 人口2,587 人
 世帯数1,643 世帯
面積[2]
 0.104644374 km²
人口密度24721.83 人/km²
郵便番号135-0032[3]
市外局番03(東京MA[4]
ナンバープレート江東
ウィキポータル 日本の町・字
東京都の旗 ウィキポータル 東京都
ウィキプロジェクト 日本の町・字
テンプレートを表示

概要

主に商業地の面を持ち、歴史ある深川の名称を冠称し「深川福住」として親しまれている町である。現在江東区深川地域内で数少ない深川を冠称した町会名を採用している(深川福住町会)。

地理

深川地域の西部に位置する。

河川
  • 仙台堀川
    • 清澄橋
  • 大島川
    • 松永橋
    • 元木橋
    • 緑橋
    • 御船橋

歴史

かつては隅田川の河口の洲で、江戸時代に埋め立てられた。網打場(深川七場所の一。真景累ヶ淵にも登場する)、石置場、材木置場などがあったが、次第に町屋に発展していった。集散地として米蔵が多く置かれ、荷役人夫である仲仕が多く住んでいた。現在も町域内には倉庫が多い。江戸時代中期の儒学者政治家である新井白石が引退後、福住一丁目9番の辺り(当時、深川一色町)に妻と共に仮寓していたことがある。

福住一丁目は、1931年昭和6年)の町名地番整理の際に、伊沢町、一色町、黒江町、松村町が合併されてできた深川福住町一丁目が元となった。福住二丁目は、永堀町、大住町、東永代町、材木町が合併されてできた深川福住町二丁目が元となった。1969年(昭和44年)に新たに住居表示が施行され、現在の福住一丁目、福住二丁目となった。

地名の由来は、「既にあった深川福住町が1931年(昭和6年)の住居表示変更の際に、永代二丁目になるので、名を頂戴した」という説が有力とされる。

世帯数と人口

2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目世帯数人口
福住一丁目977世帯1,325人
福住二丁目666世帯1,262人
1,643世帯2,587人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[5]
1,547
2000年(平成12年)[6]
1,918
2005年(平成17年)[7]
2,152
2010年(平成22年)[8]
2,163
2015年(平成27年)[9]
2,248
2020年(令和2年)[10]
2,520

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[5]
698
2000年(平成12年)[6]
903
2005年(平成17年)[7]
1,001
2010年(平成22年)[8]
1,073
2015年(平成27年)[9]
1,222
2020年(令和2年)[10]
1,535

学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)[11][12]

丁目番地小学校中学校
福住一丁目全域江東区立明治小学校江東区立深川第二中学校
福住二丁目全域

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[13]

丁目事業所数従業員数
福住一丁目84事業所608人
福住二丁目28事業所1,338人
112事業所1,946人

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[14]
87
2021年(令和3年)[13]
112

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[14]
1,939
2021年(令和3年)[13]
1,946

施設

企業

交通

道路
首都高・出入口

その他

日本郵便

行政

関連項目

脚注

外部リンク