溝井義信

溝井 義信(みぞい よしのぶ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将陸奥石川氏の家臣。

 
溝井義信
時代戦国時代 - 安土桃山時代
生誕天文元年(1532年
死没天正18年(1590年
別名六郎右衛門
主君石川昭光
氏族溝井氏
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略歴

天文元年(1532年)誕生。

石川昭光家老を務めた。天正18年(1590年)、豊臣秀吉奥州仕置により昭光が領地没収となった際、義信は豊臣軍との決戦を主張した。しかし容れられず、昭光と嫡男・義宗が城を退出した後、三芦城中に火を放ち自刃した。享年59。