矢野目孫一

矢野目 孫一(やのめ まごいち、1870年6月9日明治3年5月11日[1]) - 1961年(昭和36年)1月12日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

矢野目 孫一
やのめ まごいち
工兵中尉時代
生誕1870年6月9日
日本の旗 日本大分県
死没 (1961-01-12) 1961年1月12日(90歳没)
所属組織 大日本帝国陸軍
軍歴1891 - 1920
最終階級 陸軍中将
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経歴

大分県出身。矢野目小四郎の長男として生まれる[2]1891年(明治24年)7月30日、陸軍士官学校(2期)を卒業[1][3]。翌年3月21日、工兵少尉に任官し、工兵第一大隊付となる[4]1894年(明治27年)10月7日、工兵中尉に昇進し、1896年(明治29年)11月28日、陸軍砲工学校高等科(4期)を優等で卒業[3][5]1897年(明治30年)10月25日工兵大尉に昇進し[6]1900年(明治33年)12月20日、陸軍大学校(14期)を卒業[7]1902年(明治35年)2月18日、第12師団参謀に就任[8]

1903年(明治36年)5月1日工兵少佐に昇進[9]し、日露戦争第4軍参謀として出征[1]1905年(明治38年)6月22日工兵中佐に昇進[10]し、1908年(明治41年)12月、参謀本部要塞課長に就任[3]1910年(明治43年)11月30日工兵大佐に昇進[3][11]し、1912年(明治45年)1月15日、海軍軍令部参謀兼補となる[12]1912年(大正元年)9月、工兵第14大隊長となり、1913年(大正2年)8月22日、第7師団参謀長に異動[13]

1916年(大正5年)1月21日、陸軍少将に進級し陸地測量部長に就任[14]1919年(大正8年)7月25日、陸軍中将に進み[1][3][15]東京湾要塞司令官に就任[1][3]1920年(大正9年)8月に待命、同年12月、予備役に編入された[1][3]

栄典

位階
勲章等

親族

脚注

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
軍職
先代
伊部直光
陸地測量部
第7代:1916年1月21日 - 1919年7月25日
次代
松村法吉
先代
成田正峰
東京湾要塞司令官
第20代:1919年7月25日 - 1920年8月10日
次代
岡野友次郎