石崎伝蔵

石崎 伝蔵(いしざき でんぞう、旧字体石崎 傳藏1886年明治19年)10月20日[注釈 1]- 1999年平成11年)4月29日)は、日本の教育者で同国最高齢だった男性。また、日本では明治10年代生まれの最後の生き残りであった。

いしざき でんぞう

石崎 伝蔵
生誕1886年10月20日
日本の旗 日本茨城県
死没1999年4月29日(112歳)
著名な実績
  • 存命男性のうち世界最高齢(1998年12月25日 - 1999年4月29日)
  • 存命人物のうち日本最高齢(1999年2月12日 - 1999年4月29日)
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人物

旧制・茨城縣立太田中學校(現在の茨城県立太田第一高等学校)を卒業後、教員となり、茨城県内の旧制高等小学校校長などを務めた。1912年に結婚し、2男2女の子がいた[3]第二次世界大戦後の1946年に妻は死去した。生前、健康の秘訣は「1日5000回の足踏み、風呂はぬるめ、ならば」と語っていた。1日最低5時間は読書にあてるという活字好きで[3]、長女と2人暮らしだったが、1997年6月頃より歩行が不自由となり、1999年3月頃より体調を崩して自宅療養していた。1999年4月29日、多臓器不全のため茨城県久慈郡金砂郷町(現在の常陸太田市)の自宅で死去[3]

長寿記録

  • 1997年(平成9年)1月24日 - 渡名喜元完の死去により日本最高齢の男性になる。
  • 1998年12月25日 - 世界最高齢の男性になる[4]
  • 1999年2月12日 - 秋野やすの死去により日本最高齢の人物になる。
  • 同年4月、112歳191日で死去した。

脚注

注釈

出典

記録
先代
ウォルター・リチャードソン
存命男性のうち世界最高齢
1998年12月25日 - 1999年4月29日
次代
アントニオ・ウレア・エルナンデス
先代
秋野やす
存命人物のうち日本最高齢
1999年2月12日 - 1999年4月29日
次代
藤井カヨ
先代
渡名喜元完
存命男性のうち日本最高齢
1997年1月24日 - 1999年4月29日
次代
田辺定義