篠原右近

篠原 右近(しのはら うこん)は、戦国時代から江戸時代前期の阿波国武将木津城主・篠原自遁の三男。

 
篠原 右近
時代安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕不明
死没寛永元年3月19日1624年5月6日
改名篠原右近、正秀(法名[1][2]
氏族篠原氏
父母父:篠原自遁
兄弟長秀右近
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生涯

阿波三好家重臣[3]・篠原自遁の三男で、現在の徳島県鳴門市に所在する真宗寺院・圓勝寺開基と伝わる[1][注釈 1]

右近は戦没した父の冥福を祈るため、本願寺法主顕如のもとに赴いて得度し、文禄年間(15921596年)、元いた地に戻り圓勝寺を建立したという[2]。篠原氏の主家・阿波三好家と本願寺は織田信長との対立の中で手を結んでおり、また篠原長房が本願寺8世法主・蓮如の孫である教行寺兼詮の娘を妻にし、紀伊に逃れた長房の子・松満丸を顕如が支援するなど、篠原氏と本願寺の間には縁があった[4]

寛永元年(1624年)3月19日に死去した[1]

脚注

注釈

出典

外部リンク