糠田橋

埼玉県道76号標識

糠田橋(ぬかたばし)は、埼玉県鴻巣市糠田と比企郡吉見町明秋の間で荒川に架かる埼玉県道76号鴻巣川島線の道路である。

糠田橋(2012年10月)

概要

親柱(鴻巣市側)

河口から62.8 kmの地点(右岸側。左岸側は63.2 km)に架かる[1][2] 橋長776.0メートル、総幅員10.75メートル、有効幅員9.75メートル[3] 主径間80メートルの14径間鋼連続箱桁橋の1等橋(TL-20)である[4][5]。また、埼玉県の第二次緊急輸送道路に指定されている[6][7]。右岸側は曲線桁を有し、右に大きくカーブしながら荒川最上流にある約1 kmにも及ぶ荒川横堤である北吉見横堤[8]天端に、左岸側は本田高架橋に接続されている。歩道は下流側のみに設置されている。橋面は、車道側は1.5パーセント、歩道側は2パーセントの横断勾配がつけられている[5]。上部工は鋼合成箱桁、3径間連続箱桁および鋼合成鈑桁を組み合わせている[9]。欄干は右岸側において一部が水平方向に可動できる様になっている。親柱は鴻巣市側、吉見町側共ほぼ同一のデザインで、ボールでをするイルカのように見えるが、鴻巣市側は雛人形の起源である土偶を、吉見町側は安楽寺(吉見観音)にある「野荒しの虎」を抽象化したものである[10][11][12]2005年平成17年)度の24時間当たりの交通量は5,800台である[13]

歴史

1932年の橋

糠田橋が開通する以前は、糠田の渡しとばれる渡船2艘を有する私設の渡船であった[14][15]。また、渡船場には1804年文化元年)頃までに設立された糠田河岸場が併設されていた[16]。この渡船は昭和初期の荒川の改修により廃止された[14][17]

昭和初期に新河道が開削[18][19] され、それにより右岸側に分断された地区を結ぶために河道上に架けられた農耕橋が糠田橋の起源である[20]。橋は船を7艘並べ渡り板を敷いた舟橋で、旧河道と新河道の分岐点上流側である現在の永久橋と同じ場所に架けられていた[20]。架設は田間宮村区長である河野和一郎が仕切り、架設に掛かる費用は左岸近傍に鎮座する氷川神社より借用して得た[20]。橋は1932年(昭和7年)4月29日開通し、渡り初め式が行われた[20]。橋番は周囲の4部落が交代で行ない、年3-4回ほど架け替えが行なわれ維持費がかさむため、田間宮村より100円の資金援助を受けたが後に村管理となった[20]

1952年の橋

田間宮村は1954年(昭和29年)に周辺町村と合併をすることとなり、その記念事業として1952年(昭和27年)に約200メートル下流側の位置に130万円の工費を掛けて木製の冠水橋である糠田冠水橋が新河道上に架けられた[20]。橋脚は鉄製で付近の旧久下橋や旧大芦橋に似た構造となっていた。橋長51.6メートル、幅員3.3メートルで3トンの重量制限が実施されていた[21]。道幅が狭いことから交互通行であった。開通当時は村道だったが後に県道に編入されている[20]1965年9月17日に台風24号による洪水で流失した[22]。県は472万円の工事費を掛けて1966年(昭和41年)3月18日開通予定で復旧工事が進められた[22]。橋は通行止めになりその間、仮橋が架けられた[22]。この冠水橋は現在の永久橋に架け替えの際に廃止となったが、取り付け道路は農道として現存する。

1987年の橋

現在の永久橋は1974年(昭和49年)度着工[9][21]。現河道への瀬替え地点のすぐ上流側の位置である旧橋の川上側の場所に、総事業費は42億円[23] を投じて架け替えられることとなった。同時に橋の前後の未改修であった道路も合わせて改修が行われ、事業区間の総延長は橋も含め3.7 kmにも及んだ[21]。橋の親柱の費用は両市町が負担した[12]。橋は1987年(昭和62年)3月に竣工し[11]、同年3月24日開通した[23]。開通記念式は雨天の中、24日10時30分より挙行され、県知事のほか、近隣自治体の関係者260名が出席した。11時頃より、知事、鴻巣・東松山市長、吉見・吹上町長、川里村長の6名によるテープカットが執り行われ、三組の三世代家族による渡り初めが行なわれた[23]

周辺

糠田橋より望む荒川と武蔵水路の合流点。現在は武蔵水路が改修され、景観が大きく異なる。

糠田橋付近より下流の荒井橋付近まで、河川敷は右岸側に広くとられ主に水田などの農地となっている。右岸側にある横堤の下流側はスーパー堤防状に整地され、河川区域内にもかかわらずそこに集落がある。元々は現在の吉見総合運動公園の場所に明秋村の集落があったが、昭和初期の河川改修の際に1932年(昭和7年)から1933年(昭和8年)にかけて現在の場所に移転した[24]。集落の周辺道路には小規模な陸閘もある。また、下流側に河川改修前の荒川の河道跡(旧荒川)が残り、その右岸沿いの自然堤防上には下流の御成橋にかけての河川区域内に未だに民家が数軒ほど存在する[25]。また、上流側の河川区域にはハンノキ林が広がっている[26]。広大な河川敷は上流側は押切橋の辺りまで続いているが、これより上流側には横堤は設けられていない[8]。また、毎年夏もしくは秋になると橋周辺の河川敷でギネス世界記録で認定された正四尺玉が目玉の「こうのす花火大会」が行われ、見物客で賑わう。

その他

  • 糠田橋は埼玉県のぐるっと埼玉サイクルネットワーク構想に基づき策定された「自転車みどころスポットを巡るルート」の「川幅日本一体感ルート」の経路や[29]、「三大河川巡りでぐるり埼玉づくしルート」の経路に指定されている[30]

隣の橋

(上流) - 大芦橋 - 荒川水管橋 - 糠田橋 - 滝馬室橋 - 御成橋 - (下流)

脚注

参考文献

  • 『虹橋 No.31』” (PDF). 日本橋梁建設協会 (1984年8月). 2015年1月9日閲覧。
  • 『橋梁年鑑 昭和62年度版』【昭和60年度完工】” (PDF). 日本橋梁建設協会 (1987年8月13日). 2015年1月9日閲覧。
  • 藤村光男「わが郷土の橋 荒川の橋」『橋梁と基礎 8月号』第21巻第8号、株式会社建設図書、1987年8月1日、31-34頁。 
  • 埼玉県立さきたま資料館編集『歴史の道調査報告書第七集 荒川の水運』、埼玉県政情報資料室発行、1987年(昭和62年)4月。
  • 埼玉県県民部県史編さん室『荒川 人文II -荒川総合調査報告書3-』、埼玉県、1988年3月5日。
  • 河野兵衛『糠田と河野権兵衛』河野兵衛、1984年11月、228-229頁。 
  • “13年の歳月かけ完成 鴻巣-吉見間糠田橋 待望の渡り初め”. 埼玉新聞 (埼玉新聞社): p. 13. (1987年3月25日) 

外部リンク

東経139度28分55.8秒 / 北緯36.059139度 東経139.482167度 / 36.059139; 139.482167