色部昌長

色部 昌長(いろべ まさなが)は、戦国時代武将越後国国人岩船郡平林城主。

 
色部昌長
時代戦国時代
生誕不明
死没不明
別名修理進
官位遠江
氏族色部氏
父母父:色部重長
憲長
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永正の乱

永正4年(1507年)、越後守護代長尾為景上杉定実を擁立し、越後守護・上杉房能に対し反旗を翻すと(永正の乱)、昌長ら揚北衆の多くは守護方に味方した。為景により房能が自刃に追い込まれて以降も昌長は本庄時長竹俣清綱らと共に抗戦を続けた。

同じ揚北衆である中条藤資・築地氏らが為景に属し色部氏らを攻撃してくると、昌長は平林城に籠城するが、翌永正5年(1508年)に城は陥落、昌長は為景に降伏した。

関連項目