連合国 (第一次世界大戦)

中央同盟国と戦った国々

連合国 (れんごうこく、英語: Allies) または協商国 (きょうしょうこく、: Entente Powers) は、第一次世界大戦中央同盟国(同盟国:ドイツオーストリアオスマン帝国ブルガリア王国)と戦った国家連合。条約等で用いられた正式名称は同盟及び連合国: Allied and associated Powers)であり、同盟 (Allied) はイギリスフランス日本ロシアなどの同盟国、連合 (associated Powers) は同盟関係にないアメリカ合衆国などを指す[1]

  中央同盟国及びその植民地
  連合国及びその植民地
  中立国

経緯

三国協商と三国同盟

第一次世界大戦前夜、ドイツオーストリアイタリア三国同盟に対して、フランスロシアイギリス露仏同盟英仏協商英露協商を相互に結んで三国協商として対抗したのが始まりである。

1914年、第一次世界大戦が勃発すると、日本日英同盟によりイギリス政府から参戦を要請され、協商側の連合国に加わる。イタリアは1915年未回収のイタリアの返還がロンドン密約で約束されると連合国に転じた。

また、これらの国々と軍事同盟を結んでいなかったアメリカ合衆国は、中立国としてふるまう一方、連合国寄りの対外政策を取り、物資の調達などによって連合国を支援するにとどまった。しかし、ドイツ海軍無制限潜水艦作戦によるルシタニア号事件等で対独感情が悪化する中で起きたツィンメルマン電報事件が決定打となり、1917年に連合国として参戦した。一方、ロシアは1917年の2月革命により帝政が崩壊し、十月革命の後政権を握ったボリシェヴィキ政府は単独でドイツと講和し(ブレスト=リトフスク条約)、連合国から離脱した。

当時は独立国でなかったポーランドチェコスロバキアヒジャーズ王国アルメニア共和国などの独立派も連合国側として戦い、戦後に独立を認められ、講和条約に参加している。

戦争終結後も、パリ講和会議などを通じて、アメリカ合衆国を除いてだが国際連盟の創設をはじめ、世界秩序の基本として連携は存続したが、ドイツをも含めたロカルノ体制の成立により、連合国としての枠組みは消滅した。

連合国一覧

主要国

その他の連合国

イギリス連邦内の連合国

ドイツ、オーストリア=ハンガリー、ブルガリアに宣戦した連合国

ドイツ、オーストリア=ハンガリーに宣戦した連合国

ドイツのみに宣戦した連合国

戦後に独立を承認された連合国

宣戦布告年月日

背景黄色は実態無しの戦争状態。

日付宣戦国対象国
1914年
7月28日  オーストリア=ハンガリー帝国 セルビア王国
8月1日  ドイツ帝国  ロシア帝国
8月3日  ドイツ帝国  フランス
8月4日  ドイツ帝国  ベルギー
 イギリス  ドイツ帝国
8月5日 モンテネグロ  オーストリア=ハンガリー帝国
8月6日  オーストリア=ハンガリー帝国  ロシア帝国
セルビア王国  ドイツ帝国
8月9日 モンテネグロ  ドイツ帝国
8月11日  フランス  オーストリア=ハンガリー帝国
8月12日  イギリス  オーストリア=ハンガリー帝国
8月22日  オーストリア=ハンガリー帝国  ベルギー
8月23日 大日本帝国  ドイツ帝国
8月25日 大日本帝国  オーストリア=ハンガリー帝国
11月1日  ロシア帝国  オスマン帝国
11月2日 セルビア王国  オスマン帝国
11月3日 モンテネグロ  オスマン帝国
11月5日  イギリス
 フランス
 オスマン帝国
1915年
5月23日  イタリア王国  オーストリア=ハンガリー帝国
8月21日  イタリア王国  オスマン帝国
10月14日 ブルガリア王国 セルビア王国
10月15日  イギリス
モンテネグロ
ブルガリア王国
10月16日  フランス ブルガリア王国
10月19日  イタリア王国
 ロシア帝国
ブルガリア王国
1916年
3月9日  ドイツ帝国  ポルトガル
3月15日  オーストリア=ハンガリー帝国  ポルトガル
8月27日  ルーマニア王国  オーストリア=ハンガリー帝国
 イタリア王国  ドイツ帝国
8月28日  ドイツ帝国  ルーマニア王国
8月30日  オスマン帝国  ルーマニア王国
9月1日 ブルガリア王国  ルーマニア王国
1917年
4月6日  アメリカ合衆国  ドイツ帝国
4月7日  キューバ  ドイツ帝国
4月10日 ブルガリア王国  アメリカ合衆国
4月13日  ボリビア  ドイツ帝国
4月20日  オスマン帝国  アメリカ合衆国
7月2日 ギリシャ王国  ドイツ帝国
 オーストリア=ハンガリー帝国
 オスマン帝国
ブルガリア王国
7月22日  タイ  ドイツ帝国
 オーストリア=ハンガリー帝国
8月4日  リベリア  ドイツ帝国
8月14日  中華民国  ドイツ帝国
 オーストリア=ハンガリー帝国
10月6日  ペルー  ドイツ帝国
10月7日  ウルグアイ  ドイツ帝国
10月26日  ブラジル  ドイツ帝国
11月7日  アメリカ合衆国  オーストリア=ハンガリー帝国
11月7日  エクアドル  ドイツ帝国
11月10日  パナマ  オーストリア=ハンガリー帝国
11月16日  キューバ  オーストリア=ハンガリー帝国
1918年
4月23日  グアテマラ  ドイツ帝国
5月8日  ニカラグア  ドイツ帝国
 オーストリア=ハンガリー帝国
5月23日  コスタリカ  ドイツ帝国
7月12日  ハイチ  ドイツ帝国
7月19日  ホンジュラス  ドイツ帝国
11月10日  ルーマニア王国(休戦後、再宣戦)  ドイツ帝国

連合国の動員数と死傷者

国名動員数死者戦傷者死傷者合計損害割合
 オーストラリア412,953161,928[3]152,171214,09952%
 ベルギー267,000338,172[4]44,68682,85831%
 カナダ628,964164,944[5]149,732214,67634%
 フランス8,410,00031,397,800[6]4,266,0005,663,80067%
ギリシャ230,000326,000[7]21,00047,00020%
イギリス領インド帝国1,440,437174,187[8]69,214143,40110%
イタリア王国5,615,0003651,010[9]953,8861,604,89629%
 大日本帝国800,0003415[10]9071,3221%未満
モンテネグロ50,00033,00010,00013,00026%
 ネパール200,00030,000???
 ニュージーランド128,525118,050[11]41,31759,36746%
 ポルトガル100,00037,222[12]13,75120,97321%
ルーマニア750,0003250,000[13]120,000370,00049%
ロシア12,000,00031,811,000[14]4,950,0006,761,00056%
セルビア707,3433275,000[15]133,148408,14858%
南アフリカ136,07019,463[16]12,02921,49216%
イギリス6,211,9222886,342[17]1,665,7492,552,09141%
アメリカ合衆国4,355,0003116,708[18]205,690322,3987%
合計 42,243,2145,691,24112,809,28018,500,52144%

備考

  •  ノルウェー—中立国として参戦しなかったが、大戦初期のアメリカ同様、親連合国的政策を取り、「中立の連合国」といわれた。
  •  ルクセンブルク—ベルギー同様ドイツ軍の侵攻を受けたが、宣戦布告は行わず、中立国であった。
  •  サンマリノ—イタリア参戦後、イタリアが警官を送って監視措置を開始する。またイタリア戦線の野戦病院を援助していたため、オーストリア=ハンガリー帝国はサンマリノと断交している[19]

脚注

参考文献

  • 牧野雅彦『ヴェルサイユ条約 マックス・ウェーバーとドイツの講和』中央公論新社、2009年。ISBN 978-4121019806 

関連項目