陳州

陳州(ちんしゅう)は、中国にかつて存在した南北朝時代から清代にかけて、現在の河南省周口市一帯に設置された。

魏晋南北朝時代

535年天平2年)[1]東魏により項城僑置された揚州を前身とする。

547年太清元年)、侯景南朝梁に降ると、項城に殷州が置かれた[2]。翌年、侯景が渦陽の戦いに敗れると、東魏が再び項城を占領した。侯景が長江を渡り、東魏が寿春を占拠すると、寿春に揚州が置かれ、項城の揚州は北揚州と改称された。

北斉のとき、北揚州は信州と改称された。

北周のとき、信州は陳州と改称された。

隋代

初には、陳州は下部に4郡6県(?)を管轄した。583年開皇3年)、隋が郡制を廃すると、陳州の属郡は廃止された。596年(開皇16年)に沈州が分割設置された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、陳州は淮陽郡と改称され、下部に11県を管轄した[3]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分開皇元年区分大業3年
陳州豫州亳州淮陽郡
陳郡丹陽郡項城郡淮陽郡汝陽郡広寧郡陳留郡宛丘県 西華県
柳城県 項城県
南頓県 太康県
鹿邑県 鄲県
鮦陽県 溵水県
扶楽県
項県
長平県
柳城県
秣陵県
和城県
不詳陽夏県汝陽県包信県武平県

唐代

618年武徳元年)、が房憲伯を平定すると、淮陽郡は陳州と改められた。742年天宝元年)、陳州は淮陽郡と改称された。758年乾元元年)、淮陽郡は陳州の称にもどされた。陳州は河南道に属し、宛丘・太康・溵水・西華・南頓・項城の6県を管轄した[4]

宋代

1119年宣和元年)、北宋により陳州は淮寧府に昇格した。淮寧府は京西北路に属し、宛丘・商水・西華・南頓・項城の5県を管轄した[5]

1128年天会6年)、の抜離速[6]が淮寧府を奪い、淮寧府は陳州の称にもどされた。陳州は南京路に属し、宛丘・商水・西華・南頓・項城の5県と長平・殄寇の2鎮を管轄した[7]

元代

のとき、陳州は汴梁路に属し、宛丘・商水・西華の3県を管轄した[8]

明代以降

のとき、陳州は開封府に属し、商水・西華・項城沈丘の4県を管轄した[9]

1724年雍正2年)、により陳州は直隷州に昇格した。1734年(雍正12年)、陳州直隷州は陳州府に昇格した。陳州府は河南省に属し、淮寧・商水・西華・項城・沈丘・太康・扶溝の7県を管轄した[10]

1913年中華民国により陳州府は廃止された。

脚注