須田秀広

須田 秀広(すだ ひでひろ)は、安土桃山時代武士二階堂氏の家臣。

 
須田秀広
時代安土桃山時代
生誕元亀3年(1572年)?
死没天正17年10月29日1589年12月6日
改名天仙丸(幼名)→秀広
別名源一郎、美濃二郎
戒名天仙清公大禅定門
墓所秋田県横手市天仙寺
主君二階堂氏
氏族須田氏
父母父:須田盛秀
兄弟

秀広、秀世、盛方、須田盛久室、

養兄弟 盛久(玉生氏)
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略歴

和田城主・須田盛秀の嫡男として誕生。

天正17年(1589年)10月26日、須賀川城落城時に伊達軍に生け捕られた。その三日後伊達政宗自らの手によって鉄砲で撃ち殺された。『奥羽永慶軍記』では、その名前を美濃二郎とし生年18歳としている。16歳で没とする史料もある。

秋田県横手市の天仙寺の寺号は秀広の法名から名付けられたと言う。