高玉常頼

高玉 常頼(たかたま つねより)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将二本松氏蘆名氏の家臣。高玉氏6代当主。陸奥国安達郡高玉城主。

 
高玉常頼
時代戦国時代 - 安土桃山時代
生誕不明
死没天正17年5月5日1589年6月17日
別名太郎左衛門
墓所福島県郡山市の常円寺
主君二本松義国義継義綱蘆名亀王丸義広
氏族高玉氏
父母父:高玉家継[1]
兄弟常頼、実頼、荒井政頼室
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略歴

高玉氏は二本松氏の庶流。

伊達政宗の攻撃を受けて二本松城が開城し、主君・二本松国王丸が会津に移ると、常頼もまた蘆名氏に属して政宗への抗戦を継続した。天正17年(1589年)、政宗の蘆名氏攻めに先立ち、政宗の家臣・片倉景綱に高玉城を攻められ奮戦するも落城、討死した。高玉城陥落後に政宗が撫で斬りを命じたため、4年前の小手森城と同様に城内にいた全員が殺害された[2]

脚注

出典

  • 『郡山の城館』(垣内和孝著 歴史春秋社、2015年)