1943年度の将棋界

1943年度の将棋界(1943ねんどのしょうぎかい)では、1943年昭和18年)4月から1944年昭和19年)3月の将棋界に関する出来事について記述する。

できごと

1943年月日不明

  • 第4期名人戦の第1回予備手合三番勝負は木村義雄名人の2連勝で、萩原淳八段は挑戦資格を獲得することができなかった[1][2]
  • 第4期名人戦の第2回予備手合三番勝負は木村義雄名人の2勝1敗で、大野源一八段は挑戦資格を獲得することができなかった[1][2]

1943年春

  • 第4回昭和番付編成将棋が開始された。優勝は9勝1敗の松下力六段。次点の8勝2敗は木村義雄名人と中村熊治四段[3]
  • 昭和番付編成将棋の関西版である、関西本部朝日番附戦が開始された[3]

1943年8月

  • 関西本部朝日番附戦は升田幸三六段が8勝2敗で優勝。木村義雄名人に勝利すれば八段昇段(飛付)であったが、逆転負けを喫した[3][4]

1943年9月

1944年3月

昇段・引退

昇段棋士昇段日
四段廣津久雄1943年[6]
京須行男1943年[7]
富沢幹雄1943年[8]
吉田六彦1943年[9]
五段板谷四郎1943年[10]
本間爽悦1943年[11]
山中和正1943年[12]
野村慶虎1943年[13]
鈴木禎一1943年
六段大山康晴1943年[14]
七段升田幸三1943年[3][14]
飯塚勘一郎1943年[7]
八段梶一郎1943年[15]
村上真一1943年[7]

脚注

参考文献

  • 田辺忠幸『将棋 八大棋戦秘話』河出書房新社、2006年2月16日。ISBN 4-309-26870-6 
  • 加藤治郎原田泰夫田辺忠幸『[証言]将棋昭和史』毎日コミュニケーションズ、1999年9月。ISBN 4-8399-0255-0 
  • 日本将棋連盟『将棋年鑑 昭和43年版』1968年。