DDTプロレスリング

日本のプロレス団体

DDTプロレスリング(ディー・ディー・ティー・プロレスリング、: DDT Pro-Wrestling略称: DDT)は、日本プロレス団体。DDTは旧称である「ドラマチック・ドリーム・チームDramatic Dream Team)」の略。

株式会社CyberFight
CyberFight, Inc.
種類株式会社
本社所在地日本の旗 日本
160-0022
東京都新宿区新宿2-1-2
白鳥ビル1階 DDT事業部
設立2020年9月1日
業種サービス業
法人番号6011101052361 ウィキデータを編集
事業内容プロレス興行
関連企画の運営
映像の企画、製作
飲食店の経営
代表者代表取締役社長 高木規
資本金300万円
純利益▲1億0400万円(2023年9月期)[1]
総資産2億9100万円(2023年9月期)[1]
主要株主サイバーエージェント 100%
外部リンクhttps://www.ddtpro.com/ddt
特記事項:
2000年6月、有限会社ドラマチック・ドリーム・チームを設立。
2004年4月1日、社名を有限会社DDTプロレスリングに変更。
2009年、株式会社DDTプロレスリングを設立。
2017年9月1日、株式会社サイバーエージェントに全株式を譲渡して同社グループに参画。
2020年9月1日、ノア・グローバルエンタテインメント株式会社及び株式会社DDTフーズと経営統合して株式会社CyberFightを設立。
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代表取締役社長の高木三四郎

団体名の由来

プロレス技「DDT」と同じ略称となるように、プロレスを題材にした漫画『1・2の三四郎 2』の主人公が所属しているプロレス団体「ドリームチーム(Dream Team)」に「ドラマティック(Dramatic」)を冠したもの。設立当初はドラマチック・ドリーム・チームが正式な団体名であった。なお、当時の旗揚げメンバーであった野沢一茂は団体名の候補として「超日本プロレス」という名前を提案していたが却下されている。

2004年4月1日、新法人への移行と合わせて団体名をDDTプロレスリングに改称。現在は複数の別ブランドや子会社も展開してDDTプロレスリングのグループを構築している。

特徴

エンターテインメント色が強くプロレス記者の鈴木健により、このスタイルを「文化系プロレス」(高木三四郎の著書「俺たち文化系プロレス DDT」がある)と名づけられた。元代表の一宮章一は「小さなWWE」と表現したことがある。

小規模会場やライブハウスで定期的な興行を開催してエンターテインメント色を大胆に打ち出すことによって支持を拡大。こういったスタイルは、以降に設立されたプロレス団体がこぞって追随している。年に数回、地方遠征も開催している。高木の社長就任以降は両国国技館日本武道館さいたまスーパーアリーナ大阪府立体育会館などでビッグマッチも開いている。

2005年から2008年まで東京都足立区入谷に道場を構えて道場で試合を定期的に行っていたが諸事情により道場を手放したため新木場1stRINGなど外部の施設を借りて練習を行っていた。2014年12月17日、それまでレンタルという形で使用していたTAKESHIBAコロシアムプロレスリングZERO1スターダムでシェアする形で使用することを発表[2][3]2018年4月、板橋区に道場を開設。2019年3月、文京区御茶ノ水に道場を移転。

歴史

1990年代

1997年
  • 3月25日、日比谷ラジオシティでプレ旗揚げ戦を開催。プレ旗揚げ戦においては「観客の過半数の支持が得られなかった場合、旗揚げは取りやめる」と宣言していた。全試合終了後、観客に意を問うたところ大部分の支持が得られて正式な旗揚げ戦となった。この大会に付けられた「Judgement」は、その後も3月下旬に行われる周年記念大会の名称として使用されている。
  • 4月1日、武藤伸太郎がPWCを退団した高木三四郎三上恭平野沢一茂を招いてドラマチック・ドリーム・チームを設立。
  • 5月14日北沢タウンホールで旗揚げ戦を開催。この時、IWA格闘志塾より、佐々木貴が移籍して4人で旗揚げとなった。
  • 8月7日後楽園ゆうえんち内のルナパークでビアガーデンプロレス「闘うビアガーデン」を開催。1996年にPWCが全日本女子プロレスと合同で開催したものを引き継いで行われた。この年は7月、LLPWも同名のイベントを開いている。
1999年

2000年代

2000年
2001年
  • 6月、KO-Dタッグ王座を創立。
  • 12月8日と9日、「スーパーギア・スタジアム in 福岡ドーム」の一環として福岡ドーム大会「レスリングとんこつ in 福岡ドーム」を開催。
2002年
2003年
2004年
2005年
  • 12月28日、一宮が引退と同時に代表を辞任。
2006年
  • 1月29日、後楽園ホールで社長職をかけて高木、三和兄弟(会長の三和と弟の三和太)、泉州力大鷲透ゴージャス松野すぎはら美里、子川直也、大家健ヨシヒコの10人でロイヤルランブルを行い、優勝した高木が社長に就任。
  • やがて大鷲透によるDISASTER BOX、イタリアから来日したユニット「イタリアンフォーホースメン」などと軍団抗争が活発化。
  • 新日本プロレスを退団したリングアナウンサーの田中秀和が参戦、高木とのファンタジープロレス論で口論となり、長井満也ポイズン澤田JULIEと同期である後藤達俊を引きつれ乱入。田中は澤田の呪文を無視する行動に出たため、澤田は呪文の修行で一時離脱。
  • 6月4日、後楽園ホールで高木&澤田組対長井&後藤組。終盤に後藤を呪文で蛇手にかけることに成功して澤田が勝利を飾る。試合後にはリングアナウンサーの田中も蛇手させることができた。
  • 11月23日DDT EXTREME級王座を創立。
  • 年末には正規軍に活を入れるべく蝶野正洋スタイルに扮した高木、天山広吉スタイル(角をつけただけ)のKUDO、おまけの矢郷さんと共に(後にアシュレイ"ノートン"サウザーが加入)ヒールユニット「チーム・2サウザンアイランド」を結成。期間は短かったもののMIKAMIやHARASHIMAを奮起させた。しかし、その後は蛇界、DISASTER BOX、イタリアンフォーホースメンなどのチームが次々と解散して活動休止となったため、帰国となってしまう(後に蛇界は新・蛇界転生として復活)。
2007年
  • 上半期、ハワイから来日したユニット「aWo」が登場。大鷲透が一時的離脱。HARASHIMAがKO-D王者に君臨する。
  • 新宿FACEDRAGON GATEとの合同興行「DDG」を開催。
  • 設立10周年記念大会では、これまで元DDT所属選手や関係のあった選手が登場し話題となった。
  • 蛇界は話し合いと試合の結果、ベアー福蛇による「明るく楽しく激しい蛇界」を宣言してロス・サルセロス・ハポネサスの衣装でドリアン澤田、マンゴー福蛇になった。
  • 上記の他団体派遣で飯伏幸太らが参戦を果たして更にはグローバル・レスリング連盟への加入もあってかプロレスリング・ノアとのパイプも出来て(ちなみに高木とノアの仲田龍とは以前から交流があった)、4月1日、後楽園ホール大会で丸藤正道がノア所属選手として初めてDDTマットに立った。以降も飯伏がノアのシリーズにスポット参戦したり、マッスル坂井の対戦相手として森嶋猛が逆にDDT参戦を果たし、更には12月9日の新潟フェイズサヨナラ興行には、ノアの三沢光晴が「超大物X」としてシークレット参戦(鈴木鼓太郎とのタッグで高木&坂井組と対戦。ちなみに当初は坂井ではなく、偽沢光晴こと一宮が対戦する予定だったが、一宮が肺気胸のため、参戦をキャンセル)を果たした。
  • 蛇界は仲間割れの末にポイズンは高木に策略で改造蛇人間ジャカイダーとなり、チビッ子の人気者になる。さらに長井がナガイダーとして再び参戦。
  • 下半期、aWoのKooがHARASHIMAからKO-D王者を奪取。怪物なみのパワーで防衛記録を伸ばすも、リベンジに燃えるHARASHIMAが激戦の末再び君臨する。
  • 往年、DDTメンバーは高木、MIKAMI、鳥羽、ポイズンによるユニット「DDTレジェンド軍」を結成。試合に勝つとMIKAMIは好きな歌を熱唱するなどやりたい放題を繰り返す。また後藤達俊がゴトウダーして参戦。
  • 抜群のチームワークを誇ったaWoが、ディック東郷の裏切り、大鷲、晴也と結託したヒールユニット「メタルヴァンパイア」の誕生により解散に追い込まれた。
2008年
  • 情けない試合でブーイングを受けたマイケルはFIGHTING TV サムライの生放送番組「Sアリーナ」にて生契約更改が行われたが、高木の逆鱗に触れ契約書は破かれ決裂となった。
  • はぐれチームとなったaWoの本多とKooはメタル・ヴァンパイアに対して闘争心を燃やすがレフェリーの松井幸則や裏切ったKooがメタルヴァンパイア入り。高木に助けられた本多は正規軍入りする。
  • 矢郷、坂井、ディーノ、高梨はユニット「ベルトハンター×ハンター」を結成する。
  • 4月、高木が初の著書「俺たち文化系プロレスDDT」(太田出版)を出版。そのプロモーションとして東京・中井の伊野尾書店にて「本屋プロレス」を行う。(対戦カードは高木三四郎×飯伏幸太)。
  • 9月7日、山梨県のキャンプ場「ネイチャーランド・オム」にて「キャンプ場プロレス」を初開催。
  • 12月28日、後楽園ホールで開催された「NEVER MIND 2008」において2009年8月23日に両国国技館大会の開催が発表された。
2009年
  • 運営会社が株式会社化。会社名は「株式会社DDTプロレスリング」。
  • 8月23日、両国国技館で「両国ピーターパン 〜大人になんてなれないよ〜」が開催されて、札止めとなる8,000人を越える観客が集まった。また、同大会のEDで2010年7月25日に両国国技館大会の開催が告知された。
  • 両国大会で九冠戦を征したディーノが高梨、ヨシヒコと共に「ベルトハンター×2」を結成(「再」ではない)して、世界中にあるプロレスのベルト(の0.1%)を独占することを宣言する。
  • 9月13日から10月25日、若手選手によるリーグ戦「ヤングドラマ杯」が開催されて石井慧介が優勝。
  • 11月29日、後楽園ホールでユニオンプロレス石川修司がKO-D王者の飯伏幸太を破り、傘下団体ながらKO-Dのベルトが初めてDDTから流出。また、この日行われた監獄島とタイアップした経営権争奪バトルロイヤルで中澤マイケルが優勝、最高経営責任者に就任。

2010年代

2010年
  • 2月11日、後楽園ホールに突然ヤゴウ公国軍を名乗る2人組がDDT壊滅を掲げ参戦して、その後ヤゴウ・アズナブルがDDT契約権を勝ち取る。その一方でヤゴウ=矢郷さん疑惑が浮上し高木が契約に難色を示すが、結局強引に契約させられた。選手契約を結んだヤゴウは言論弾圧や、それに従わなかった週刊プロレスに対する制裁を行い、さらに星の屑作戦によるDDT所属選手と観客の虐殺を目論んだが、犬のように捨てられたアブ=ノーマルことマイケルの逆襲によって阻止されて実質壊滅する。
  • KO-Dタッグを獲った高木と澤宗紀のタッグチーム「変態大社長」は、混沌としたインディーマットを掻き乱してチャンピオンベルトの価値を高めるべく、DDT外のリングや路上でオファーがあればどことでも防衛戦を行うことを宣言。その後、DDTのスポンサーでもある宮地鉄工所の敷地内などで王座を防衛、以降、公園、商店街、駐車場、両国国技館の全域といった路上を中心に防衛を重ねていく。
  • 3月14日、後楽園ホールで大日本プロレス関本大介が当時KO-D王者の石川に勝利。関本が新王者となり、KO-D王座が初めて他団体に流出した。その後関本は高木、高梨、飯伏らから王座防衛を果たし、同日にKO-D王座いつでもどこでも挑戦権を獲得した大家健から譲り受ける形で、再度挑戦した石川にも勝利して、両国国技館で開催された「両国ピーターパン2010 〜夏休み ああ夏休み 夏休み〜」に王者として登場。それに対して挑戦者決定トーナメントを勝ち上がり、大会直前に新日本プロレス道場で真壁刀義と合同練習を行ったHARASHIMAが挑戦。ベルト奪回に成功する。一方、両国国技館のメインイベントを逃した石川は、大日本プロレスに報復攻撃を仕掛けるも、デスマッチヘビー級王者伊東竜二の前に返り討ちに遭う。
  • 両国大会後、高木が上位入賞者に特別興行出場権やKO-D挑戦権が与えられる人気投票「DDT48総選挙」の開催を発表。1月半にわたる選挙の末、ディーノが佐藤光留との接戦を制して1位となった。
  • 最高経営責任者制からゼネラルマネージャー制への移行を宣言し、中澤マイケルが最高経営責任者を解任するとともにゼネラルマネージャー決定戦を実施。その結果、坂井推薦の鶴見亜門がゼネラルマネジャーに就任。
  • KO-Dタッグ戦線はビアガーデンプロレスに「超超大物X」として参戦した越中詩郎がディーノとタッグチーム「侍シロージロー」を結成してタッグチーム「変態大社長」より王座奪取に成功する。
  • 11月14日、大阪府立第2体育館で行われたKO-D無差別級選手権でパンクラスMISSION所属の佐藤光留がHARASHIMAに勝利し形式上は他団体流出となるが、佐藤はDDTを主戦場としていた[注 1]ため流出という雰囲気にはならなかった。
  • 11月28日、後楽園ホールで行われたKO-D無差別級選手権でディック東郷が佐藤光留を下して新王者になった。ヤングドラマ杯の決勝戦も行われ高尾蒼馬が優勝。またこの日を最後に高木三四郎が選手としての所属をユニオンプロレスに移した。
  • 12月26日、東郷の負傷欠場により、GENTAROプロレスリングFREEDOMS)とアントーニオ本多との間でKO-D無差別級暫定王者決定戦が行われ、本多が暫定王者に。
2011年
2012年
2013年
2014年
  • 1月3日、前年に続き後楽園ホールで全席2000円興行を開催。
  • 1月12日と13日、大阪・道頓堀アリーナにて2DAYS興行を開催。
  • 1月26日、ブラウザゲーム「リング☆ドリーム 女子プロレス大戦」とのコラボレーション実施を発表。[5]
  • 同月、佐々木大輔が所属選手に。佐藤光留はレギュラー契約を更新しなかったが、ユニオンにはフリーとして参戦する他にハードヒットも継続。
  • 2月19日、「アップアップDDT(仮)〜アップアップガールズ(仮) vs ほもいろクローバーZ、アイドルvsプロレス異種対バン戦Vol.1〜」を新宿FACEで開催。
  • 2月23日、後楽園ホールを最後に柿本大地が退団。ドロップキックの店長も木高イサミと交代となる。
  • 3月、 グレース観光と業務提携。同社が選手バス運行を請け負うほか、提携の一環としてDDTプロレス仕様のラッピングバスが登場している。
  • 4月、サムライTVで月1回のオンエアとなる「DDTのプロレスバンザイ\(^o^)/」と毎週水曜日テレ玉にて中継番組「DDTプロレス中継 さいたまースラム!」の放送開始[6]
  • 4月13日大阪府立体育会館第2競技場で松井レフェリー20周年興行を開催。
  • 5月11日札幌テイセンホールにてワンマッチ興行を4本立てで開催。
  • 5月25日名古屋国際会議場大会を開催。
  • 6月5日、「DDT×BiS異種対バン路上ライブプロレス」を浅草花やしきで開催。
  • 6月10日オスカープロモーションと業務提携を結んだことを発表[7]
  • 6月18日、「故・冬木弘道13回忌メモリアル興行&金村キンタローデビュー25周年記念興行」に協力。DDTからは高木三四郎大社長とヤス・ウラノが参戦。
  • 6月29日、後楽園ホール大会よりそれまでオープニングテーマとして使用されていた「INTO THE LIGHT」から、オリジナル曲の「Get Ready」に変更。
  • 7月6日、スポルティーバアリーナで開催される「高井AID」に協力。
  • 7月20日、後楽園ホール大会で戦略発表会を行い4つのことを発表。
    • 1つ目はDDT48総選挙からDDTドラマティック総選挙に名称変更をしてユニット総選挙も実施。
    • 2つ目はPCとスマホでチケットを一切の手数料なしで購入できるペーパーレスチケットの「マルチデジタルチケット」の導入。また試験的にガンプロで導入。
    • 3つ目は人気アニメパワーパフガールズとコラボしたTシャツの販売。
    • 4つ目は2015年2月15日にさいたまスーパーアリーナコミュニティーアリーナに進出することが決定。
  • 8月17日、両国国技館大会「両国ピーターパン2014〜人生変えちゃう夏かもね!〜」を開催。
    • 2009年より行われている夏のビッグマッチとしては初めて前売り段階で完売。
  • 10月1日坂口征夫が所属選手になる。
  • 10月18日浅草花やしきにて初のファンクラブ限定興行を開催。
  • 10月26日、レギュラー参戦契約を結んでいたケニー・オメガが新日本プロレス入団のため後楽園大会でDDTラストマッチ。またDDTのプロレス漫画の企画が発表される。
  • 11月28日北沢タウンホールで新プロジェクト「DDT NEW ATTITUDE」の旗揚げ戦を開催。
  • 12月8日、初期のDDT現場監督だった木村浩一郎が10月28日に逝去したことから、かつての所属及び参戦メンバーだった選手が所属するアパッチプロレス軍及びプロレスリングFREEDOMSと協力して「木村浩一郎追悼興行」を新木場1stRINGで開催。
2015年
2016年
  • 2月19日、事務所を現在のアパホテル新宿御苑前に移転[9]
  • 3月21日、両国国技館大会「Judgement2016〜DDT旗揚げ19周年記念大会〜」を開催。同所での大会としては初めて客席を全面開放。
  • 3月末にて諸橋晴也がフリー転向のため退団。
  • 4月15日、旧事務所にベストストレッチ新宿御苑店および併設の新宿ぎょえん接骨院をオープン。
  • 5月29日大石真翔勝俣瞬馬MAOにアイドルユニット「NωA」を結成することを命ずる[10]
  • 8月28日、両国国技館大会「両国ピーターパン2016〜世界でいちばん熱い夏〜」を開催。
  • 10月23日、後楽園ホール大会にてDDT独自の動画配信サービス「DDT UNIVERSE」が2017年1月より開設することとDDT飲食部門を運営する株式会社えびすこが株式会社DDTフーズに社名を変更し代表取締役社長にKUDOが就任。
  • 11月6日、新木場STUDIO COASTにて「DDTフェス2016 supported by ナタリー」を開催。
  • 11月20日、海外初となる興行を台湾で開催。「ニトリ台湾」が同大会の冠スポンサーを務める。
  • 12月4日、大阪府立体育会館第1競技場を開催。興行名は「大阪オクトパス2016~浪花節だよプロレスは~」
2017年
2018年
2019年

2020年代

2020年
  • 1月29日プロレスリング・ノアの発行済み株式100%をサイバーエージェントに譲渡。高木がノアの社長に就任。
  • 2月よりCOVID-19の流行に伴い、大会の中止が相次ぐ。3月20日の後楽園ホール大会以降、全大会が無観客での配信開催となる。
  • 5月9日、全日本プロレスの秋山準がDDTのゲストコーチに就任。「DDTの選手に王道を叩き込む」と宣言し、若手の育成の他、自身も選手として参戦していくことを発表する。
  • 5月12日、動画配信サービス「DDT UNIVERSE」を「WRESTLE UNIVERSE」に名称変更。[13]
  • 6月14日、板橋グリーンホール大会より有観客での開催を再開。
  • 7月1日、秋山準がDDTにレンタル移籍。
  • 7月27日、株式会社DDTプロレスリング、ノア・グローバルエンタテインメント株式会社、株式会社DDTフーズの3社経営統合を発表[14]。9月より、株式会社CyberFightの運営するブランドとなり、高木が社長、彰人とノアの丸藤正道が副社長となる[14]
  • 9月30日、レディビアードが契約満了により退団。
  • 11月3日、大田区総合体育館大会を開催。
2021年
2022年
2023年
  • 1月29日、ヤングドラマ杯以来13年ぶりの若手リーグ戦「D GENERATIONS CUP」を開催(2月26日まで)。
  • 2月23日バーレスク東京にて路上プロレスの形式でKO-Dタッグ選手権を開催(MAO・勝俣組(王者)対高木・阿部史典組)。
  • 3月21日、旗揚げ26周年興行を後楽園ホールで開催。「後楽園史上最長」と銘打ち6時間近くの興行を行った。10代プロジェクトの2選手がプロジェクトを卒業しDDTに合流。
  • 3月30日31日(日本時間31日・4月1日)、4年ぶりのアメリカ大会をロサンゼルスハリウッドで開催。31日の公演はゲーム・チェンジャー・レスリング英語版との対抗戦として行われた。
  • 7月23日、両国国技館大会を開催。
  • 9月18日 東海道新幹線のぞみ」の車内で新幹線初の「新幹線プロレス」を開催[16]
  • 11月12日、両国国技館大会を開催。7年ぶりとなる客席全面使用。この大会にて赤井沙希が引退。
  • 11月13日、国技館大会のアフターイベントとして、隅田川上にて「屋形船プロレス」を開催。
2024年

他団体との交流

男子団体

新日本プロレス
かつて新日本日本武道館大会に試合提供をしたことがある。2009年頃より飯伏幸太を中心に相互に選手が参戦。DDT年間最大の大会である両国(武道館)ピーターパンに中西学真壁刀義プリンス・デヴィットオカダ・カズチカ棚橋弘至など主力選手が毎年参戦していた。両国以外の大会にも獣神サンダー・ライガー天山広吉小島聡高橋ヒロムなどが参戦していた。飯伏はBEST OF THE SUPER Jr.優勝、NEW JAPAN CUP優勝、3度のIWGPジュニアヘビー級王座戴冠歴もある他、業界初の新日本とのダブル所属を成し遂げている。ケニー・オメガはBEST OF THE SUPER Jr.にてデヴィット、アレックス・シェリーをいずれも路上に巻き込んでいる。男色ディーノは、新日本・CMLL合同主催の「ファンタスティカマニア」に所属外ながら出場、CMLLのオカマレスラーであるマキシモとのタッグが実現している。2015年の新日本シンガポール大会では現地の団体SPWからの提供試合に中澤マイケルが出場。2022年は秋山準デビュー30周年記念大会に永田裕志金丸義信が参戦。そしてタカタイチマニアにてエル・デスペラードランス・アーチャー組と佐々木大輔MJポー組がタッグマッチで対戦。
全日本プロレス
ケニー・オメガ、石井慧介、高尾蒼馬が世界ジュニアヘビー級王座奪取を果たしている。全日本からはカズ・ハヤシKAIらが参戦した。最近では全日本プロレス元練習生の石井慧介属するチーム・ドリーム・フューチャーズが全日本に、逆に全日本からは所属となったが(フリー時より継続して)DDTに参戦している。2014年4月29日のDDT後楽園大会では全日本(PWF)が管理するアジアタッグ王座の防衛戦が行われ、チーム・ドリフが奪取、王座を奪われた秋山準は引き換えにアイアンマンヘビーメタル級王座を獲得した。逆に8月30日の全日本愛知県体育館大会でチーム・ドリフが持つKO-D6人タッグ王座が懸けられたこともある。また、若手・練習生がおらず手不足だった2013年の全日本のシリーズにDDTの練習生を貸し出し。この頃、新日やノア、大日本との関係が悪化していた全日本にとって主要な交流団体となっていた。また三富政行も地方大会に何度か参戦していた。2015年6月には高尾蒼馬だけが1シリーズ参戦のほか、欠場でレンタル移籍の流れた当時、ユニオンの福田洋も参戦。10月のシリーズと世界最強決定タッグリーグには星誕期も参戦。
プロレスリング・ノア
前出のとおり、高木三四郎社長とノアの元ゼネラルマネージャー仲田龍の交流から友好関係にあり、ノアが中心となって設立されたGPWAにも加盟していた。過去には飯伏幸太マサ高梨が参戦。高梨は原点回帰のため、本名の高梨将弘のリングネームで同期の石森太二と対戦している。2007年の新潟大会のメインで鈴木鼓太郎のパートナーXとして三沢光晴が登場した。だが、仲田亡き後はノアの興行にDDTの選手が、DDTの興行にノアの選手がそれぞれ出場するケースは少なくなっている。2014年7月20日に石森太二がスペシャルマッチに参戦。2015年9月に行われた「日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦」にDDT選抜メンバーとしてKUDO&梅田公太組が参戦。2017年7月に行われた「日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦」に勝俣瞬馬MAO組が参戦。2017年には丸藤正道がHARASHIMAとのタッグでKO-Dタッグ王座を獲得。
2018年、 GLOBAL LEAGUE樋口和貞が出場。9月に両国国技館にて、『丸藤正道デビュー20周年記念大会「飛翔」』が開催され、高木三四郎・HARASHIMA・男色ディーノが参戦。また、潮崎豪D王 GRAND PRIX2019に出場した。
2020年、サイバーエージェントの子会社として運営会社「ノア・グローバルエンタテインメント株式会社」が加入し、同時に高木三四郎がノアの代表取締役社長に就任した。高木自身は試合に関しては一切触れず経営方面を担当する。9月1日、ノア・グローバルエンタテインメント株式会社、株式会社DDTプロレスリング、株式会社DDTフーズの3社を経営統合し、株式会社CyberFightを設立。丸藤正道が副社長に就任した。
経営統合後、ノアとは同じグループ内ではあるが、基本的には『CyberFight Festival』のようなイベント色の強い興行以外では、積極的な交流を行わない方針をとっている。
プロレスリングZERO1
GPWAが活動していた時代に盛んに相互参戦を行っていた。その後は2011年のディック東郷国内引退興行に日高郁人が参戦。2013年には橋本大地の復帰戦の相手を飯伏が務めた。2014年にはZERO1の道場をDDTとスターダムとZERO1の3団体でシェアをして使用することが決定。2015年に、木高イサミ勝俣瞬馬天下一Jr.に参戦している。
WRESTLE-1
2014年に男色ディーノが参戦。また、DDTには2014年両国大会に近藤修司が参戦。WRESTLE-1からはDNAに一部選手が参戦する等の交流があったが、2015年の高木三四郎が同団体のCEO就任以降は、高木の方針により交流は行われていない。例外として2016年に高木&大鷲組のXとして黒潮"イケメン"二郎が1度参戦をしている。
大日本プロレス
天下三分の計」、年越しプロレスで連携するなど、「盟友みたいなもの(鶴見亜門GM)」と言える深い関係にある[17]。また、DDTブランド時代のユニオンと合同興行も不定期で開催。木高イサミ石川修司は大日本のデスマッチ戦線に参入し、それぞれBJW認定デスマッチヘビー級王座を戴冠、木高は宮本裕向とのタッグでBJW認定タッグ王座を戴冠した。関本大介はKO-D無差別級王座戴冠歴、岡林裕二は関本とのタッグでKO-Dタッグ王座戴冠歴がある。DDTからはHARASHIMA男色ディーノらがスポット参戦。
プロレスリングFREEDOMS
佐々木貴GENTAROが元DDT所属。他に葛西純も時折参戦。
みちのくプロレス
ザ・グレート・サスケを中心に交流しており、2009年DDT両国大会でサスケが高木と一騎討ちを行った。また、「プロレスキャノンボール2014」にサスケやバラモン兄弟のほかにもかめっしー郡司歩日向寺塁佐々木大地新崎人生気仙沼二郎が参戦。
大阪プロレス
タイガースマスクが男色ディーノと学生プロレス時代より因縁を持ち、DDT大阪大会に参戦。くいしんぼう仮面なども大阪大会によく参戦する。また、ディーノに加え大阪出身の高木と大石真翔も大阪プロレスに参戦経験あり。
DRAGONGATE
2007年4月18日に新宿FACEでDRAGONGATEとの合同興行「DDG」を開催。2008年4月6日に後楽園ホールでDRAGONGATEとの合同興行「DDG」を開催。戸澤アキラ対男色ディーノ戦はある意味話題に上がった。その後、交流が一時途絶えた。しかし2012年にCIMAのTwitterが縁で高木三四郎が初参戦している。2012年6月5日に東成区民センターでDRAGONGATEとの合同興行「DDG」を開催。
2AW(旧:KAIENTAI DOJO
GPWAに加盟団体として交流する一方、BJWともども「天下三分の計」などで連携。大石やウラノ、木高が元所属。また火野裕士がレギュラー参戦しており、KO-D無差別級王座とKO-Dタッグ王座を戴冠した。現K-DOJO所属のバンビはDDTでプロレスデビューしており、2009年DDT両国国技館大会に「公認凶器」として参戦を果たした。旭志織もDDT EXTREME級王座の戴冠歴がある。
九州プロレス
ばってん×ぶらぶらがばってん多摩川を名乗っていた時代から九州大会などによく参戦しているほか、欠場となった遠藤哲哉の代役でめんたい☆キッドも参戦をしている。
新潟プロレス
スーパー・ササダンゴ・マシンが当団体に一時所属し、当団体からDDTに参戦という形を取っていた。過去にHARASHIMAの持つKO-D無差別級王座挑戦をするササダンゴマシンの新技垂直落下式リーマンショックの被験者として、同じく新潟プロレス所属のブラックトムキャットとコシ☆ヒカ〜ルが協力をしている。その後もササダンゴのプレゼンに何人かの選手が登場している。ササダンゴマシンが離脱後は交流は途絶えている。
琉球ドラゴンプロレスリング
グルクンマスクが世界大森級選手権を保持していた。2015年のDDT沖縄大会にも選手が参戦する。DDT側からは入江茂弘らがビッグマッチに参戦。
SMASH
TAJIRIが両国ピーターパン2010でディック東郷とシングルで対戦した他、DDTブランド時代のユニオンにはTAJIRIに加えてAKIRA朱里も参戦している。逆にケニー・オメガ、大家健、チェリーが参戦している。勝俣瞬馬SMASHトレーニングキャンプに参加していた。
WNC
華名真琴が参戦している。
ダイヤモンド・リング
GPWAが活動していた時代には相互参戦を盛んに行っていた。その後も佐々木健介が2013年に男色ディーノ&大石真翔とKO-D6人タッグ王座を戴冠。中嶋勝彦も主にビッグマッチに参戦。DDTからは飯伏や中澤マイケルやディーノらが参戦し、飯伏は中嶋とタッグを組んだこともある。
天龍プロジェクト
高木三四郎、HARASHIMA、遠藤哲哉が天龍プロジェクト参戦経験あり。逆に天龍源一郎もDDTに参戦している。
ドラディション
藤波辰爾がMIKAMIとのタッグでKO-Dタッグ王座を戴冠。後藤達俊長井満也が定着参戦していた。逆にDDTからは高木、高梨が参戦経験あり。
ストロングスタイルプロレス
HARASHIMA、KUDO、高梨、飯伏らが参戦経験あり。一方、DDTが協力するハードヒットにリアルジャパンからも間下隼人が参戦。2019年現在はガンバレ☆プロレス所属の岩崎孝樹がレギュラー参戦中。
I.W.A.JAPAN
2000年頃にDDTから試合提供を行い、GPWA発足後は相互参戦を行っていた。2004年にゴージャス松野がDDTへ移籍。マサ高梨が何度か参戦しており、2013年の高梨自主興行ではUMA軍団が参戦。
暗黒プロレス組織666
DDT万博と両国ピーターパンに宮本裕向が参戦している。また、木高とのタッグでKO-Dタッグ王座も戴冠。
スポルティーバエンターテイメント
過去にエル・サムライ岩本煌史ミスター6号が参戦。同団体所属の彰人が元所属。

女子団体

アイスリボン
松永智充がかつて「スリーカウント松永」名義でレフェリーを務めている。選手として伊橋とも参戦をしているほかチェリーが定期参戦中。しかし中澤マイケルは「精神的デスマッチ」をやったとして参加禁止。アイスリボン側からは藤本つかさ星ハム子などが参戦をしている。
センダイガールズプロレスリング
プロレスキャノンボール2014で仙女道場を使用のほか里村明衣子も試合を行う。
OZアカデミー女子プロレス
アジャ・コングがスポット参戦し、KO-D6人タッグ王座とアイアンマンヘビーメタル級王座の獲得に成功している。DDTからは飯伏らが参戦したことがあり、2014年にはディーノ・大石組がタッグ王座に挑戦した。
プロレスリングWAVE
チェリーが定期参戦のみならず若手中心ブランド「ヤング オー!オー!」終身名誉顧問を務める。DDT側からはディーノや木高など、WAVE側から大畠美咲などが参戦。GAMIもDDTに参戦していた。
スターダム
過去、ディーノ・中澤・飯伏・伊橋・レギュラー参戦時の佐藤光留などが参戦している。またスターダム側からは世IV虎らが参戦している。かつては愛川ゆず季も参戦していた。また世IV虎は飯伏に求愛をよくする。さらに柿本大地店長時代のドロップキックでは実妹でもある風香GMが週1で店に立っていた。DDT定期参戦中の赤井沙希は世IV虎から赤いベルトの挑戦者に指名されている。またZERO1の道場をZERO1とDDTとスターダムの3団体でシェアをして使用した時期もある。道場の移転以降は交流は行われていない。
REINA女子プロレス
極初期のプロモーションだった時代に業務提携を結び、男子の試合を提供していた。2014年にもディーノ、大石が参戦。
ワールド女子プロレス・ディアナ
チェリーがディアナにスポット参戦中。ディアナ側からはSareeeがユニオンに参戦していた。
プロレスリング我闘雲舞
高梨と星誕期が定期参戦中。HARASHIMAなども時折参戦。ジャパンツアーが主だがタイ興行にも幾度か参戦している。我闘雲舞側からはさくらえみを筆頭にだいたいの日本人メンバーが参戦している。過去には高梨の推しアイドルとして登場して名古屋国際会議場大会でさくらえびちゅを披露する。2015年にはレスラーとして一線を退きタイに移住した中澤マイケルが旗揚げ記念興行に参戦。
東京女子プロレス
東京女子プロレス事業部としてDDTプロレスリングが運営している事から、DDTの興行で提供試合として東京女子プロレスの試合が組まれる事があり、また東京女子プロレスの興行にDDTの所属選手が出場する事がある。

海外団体

WWE
フジテレビで放送されていたSmackdown日本版の解説を高木が務め、2005年に開かれた「ROAD TO WRESTLEMANIA 21 JAPAN TOUR」にも来場。また、飯伏がWWEからオファーを受けたとアメリカで報道されたこともある。さらにカート・アングル(当時所属)がDDTのビデオを視聴したことがあり、特にヨシヒコを絶賛した。
ROH
2008年に飯伏がROH遠征を決行。飯伏と対戦したエル・ジェネリコが後にDDTへの来日を果たし、KO-D無差別級王座も戴冠した。ケニーも来日前に定着参戦していた。
AEW
元DDT所属のケニー・オメガが副社長を務める。ケニーの推薦により中澤マイケルがスタッフとして兼任所属。2022年3月20日、DDT選手のAEW参戦を発表。
CHIKARA
MIKAMI、KUDO、ディーノ、飯伏らが参戦経験あり。また、2009年のジャパンツアーにもマイケルが参戦した。
CMLL
旗揚げメンバーのひとりであるNOSAWAがCMLLに参戦歴があり、最初期にはその伝でCMLLからルチャドールが来日していた。また、NOSAWAが初代王座(パートナーは佐々木貴)に就いたKO-Dタッグ王座の決定戦はCMLL興行内で行われ認定も受けている。
AAA
2004年と2005年に開催されたジャパンツアーにディーノが参戦、いずれもオカマレスラーのピンピネーラ・エスカルラタとタッグながら対戦した。
闘龍門MEXICO
飯伏幸太がメキシコへ遠征して第10回ヤングドラゴン杯で優勝している。また、日本で開催される闘龍門MEXICOの興行に飯伏の他、闘龍門出身のマサ高梨、柿本大地、諸橋晴也らも参戦。
ファイトクラブ・プロ
2019年1月3日後楽園ホール大会で業務提携を発表。1月7日の日本公演にMAO、マイク・ベイリーが参戦。
IWF
IWF側からはエースのイワン・マルコフら、DDT側からはマサ高梨らが参戦。
韓国プロレスリング連盟
2010年と2011年にWWAが主催した興行にDDTからも参戦。WWAのキム・ナンプンは男色ディーノが保持していたDDT EXTREME級選手権の奪取に成功している。
新台湾プロレス
高木が過去に1度参戦している。かつてレッカがDNAと兼任所属していた。
NVP
ディック東郷がコーチを務め、DDTからも適宜参戦。

格闘技団体

リングス
リングスが主催するTHE OUTSIDERの2015年12月の大会にDDT映像班兼ガンバレ☆プロレス所属レスラーの今成夢人が参戦した。
パンクラス
かつてレギュラー参戦の佐藤光留がパンクラスMISSION所属であり、鈴木みのるも主にビッグマッチに参戦している。また、DDTブランドとして行われていた「ハードヒット」が光留プロデュースに移行してからは移行当時パンクラス社長だった川村亮を始めパンクラスで活躍する総合格闘家が多数参戦している。鈴木みのるは高木にドーム進出の時の対戦を要求された。
シュートボクシング
2014年の両国大会で飯伏幸太vs中澤マイケルのエキシビションを実施。2015年には東京女子プロレスの山下実優が格闘技戦デビュー。

DDTプロレスリングのブランド

定期開催している興行

東京女子プロレス
DDTプロレスリング 東京女子プロレス事業部が運営している女子プロレス団体。2013年12月1日、北沢タウンホールで旗揚げ戦を開催。
成り上がり
男色ディーノのプロデュースによる一般人候補生を集めたアマチュアプロレス団体。
崖のふち女子プロレス
かつて松本都崖のふちプロレスとして設立した女子プロレス団体。2019年11月11日、高木に事業譲渡されて活動再開することを発表。

不定期開催している興行

DDTドラマティック総選挙(旧:DDT48総選挙)
AKB48選抜総選挙をモデルにした人気投票で年1回初秋に行われている。対象はDDTとユニオンまたはレギュラー参戦選手。上位入選者には特別興行参戦権やKO-D無差別級王座挑戦権などが与えられる。興行中のアピールは禁止されているが休憩中やネットコンテンツでの選挙活動は認められる。DDTでは選手をDDT48と呼んでいる[18]。2014年からは名称をDDTドラマティック総選挙に変更して興行権を懸けたユニット総選挙もあわせて行われる。ユニット総選挙最下位のユニットは強制解散になる。2018年を最後に終了。
大森UTANフェスタ
毎年10月に開催している大森駅東口前商店街主催のイベントの中で行われている大会。
路上プロレス
許可が下りれば場所を問わずどこでも行われている大会(主に1試合のみ)。これまで商店街、遊園地、本屋、工場、海岸、廃墟などで開催している。
キャンプ場プロレス
山梨のキャンプ場で夏に開催されている大会。台風や雨天による中止もあるが、2008年から毎年開催されている。
BOYZ
女性限定による興行。女性だけでは行きづらいプロレスに女性客を呼び込むためイケメンレスラー主体のマッチメイクや企画が組まれる。当初はジャニー江田島が塾長を務めていたが2019年10月から彰人がプロデュースを担当。
野郎Z
男性限定による興行。男性ファン受けを狙ったマッチメイクや演出が組まれている。MCはブラザー・モンブラザー・トミー
レスリングとんこつ
新日本プロレスの興行「レスリングどんたく」のパロディで福岡県で開催している興行。
闘うビアガーデン
DDTの前身たるPWCより休止期間を挟み夏の恒例イベントとして毎年7月末から8月頭にかけて約1週間、連日趣向を凝らした内容で開催している興行。観客席をビアガーデンスタイルにしてビール片手に試合を楽しんでもらっている。2020年および2021年はコロナ禍の影響により「ビアガーデンっぽいプロレス」としてフード・酒類の提供なしで開催。
新北京プロレス
中国北京市を拠点としているプロレス団体。毎年2月ごろ(中国の正月ごろ)日本で興行を開催している。前漢時代に設立して2000年の歴史を誇る。所属選手は10億人にも及ぶという。所属選手の趙雲子龍が留学生として日本に参戦している。2007年6月6日新木場1stRINGで2000年の歴史の中で初の日本公演「新北京プロレス Japan Tour 2007」を開催。ゴングの代わりに銅鑼が使用されてカウントも中国語で数えられるなどセットや衣装まですべて中国から直輸入された。

終了または長期間開催していた興行

y2D
DDTの原点である熱く激しい戦いを見せる目的で開催している興行。
YAGOプロレス
矢郷良明のプロデュースによる興行。旗揚げ戦後1時間余りで解散。
ファンタジーイリュージョン
チェリーのプロデュースによる女子プロレス興行。
変態團興行
ユニット「変態團」を強制解散させられてからも変態行為を繰り返す佐藤と中澤マイケル高木三四郎が「やるならいっそ突き抜けろ」と用意した興行。2010年9月30日、佐藤と中澤の企画、責任(主に苦情)の下でR指定で開催。
月刊若手通信
若手選手による興行。
ブランド三分の計
DDTの別ブランドによる「天下三分の計」をモデルにして開催している興行。
ベスト・オブ・ザ・スーパー・どインディー
2010年6月13日飯伏幸太が新日本プロレス後楽園ホール大会「BEST OF THE SUPER Jr.」の決勝トーナメントに進出したのを受けて同日昼に後楽園ホールで、どインディーマニアで知られる飯伏への壮行的な興行としてどインディー選手を集めて開催。また2018年11月に新木場1stRingにてMEN'Sテイオーを大会実行委員長に迎えたどインディー選手による大会「ALL DOIN」が開催された。
プロレスリング・セム
プロレスリング・ノア主催の若手選手による興行。2008年9月8日にDDT主催の興行を開催している。
びっくりプロレス
松井幸則のプロデュースによる興行。2005年10月15日岸和田市総合体育館で旗揚げ戦「お前ら、見たらわかるやろ!!」を開催。
でら名古屋プロレス
高木が設立して愛知県名古屋市を中心に活動しているプロレス団体。2008年6月7日Zepp Nagoyaで旗揚げ戦を開催。2009年4月3日、当時の代表が愛知県警察津島警察署に大麻取締法違反で現行犯逮捕された。4月6日、代表が逮捕されたことを受けて解散することを発表。7月26日、中村スポーツセンターで開催する予定だった旗揚げ1周年記念大会を中止して入場無料のラスト興行を開催して解散。7月27日、一部の元所属選手がプロレスリング・チームでらを設立することを発表。
マッスル
坂井のプロデュースによるハッスルのパロディで全く新しいスタイルの興行。2004年10月13日北沢タウンホールで旗揚げ戦「マッスル1」を開催。旗揚げ当初はハッスルのパロディ(ロゴマークもハッスルがモチーフだった)としてインディー団体、ローカル団体の所属ながら光を放つ存在を発掘するというコンセプトで開始。2009年5月4日、後楽園ホールで開催した「マッスルハウス8」を最後に実質的に活動休止していたが2010年2月6日暗黒プロレス組織666との合同ディナーショーで活動再開。5月4日、後楽園ホールで開催した「マッスルハウス9」で「リングオブコント」を開催。10月6日マッスル坂井が家庭の事情により引退することとなり自身最後の興行となる「マッスルハウス10〜負けるから即引退させてくれSP〜」が後楽園ホールで開催。「マッスルハウス10」をもってマッスルはいったん幕を閉じるが同興行開催中に坂井により20年後の2030年10月6日に後楽園ホールで「マッスルハウス11」を開催することを宣言。同日に入籍を発表して子供が生まれる予定があるという坂井が20年後に子供をプロレスラーに育て上げて出場させるという構想である。マッスル戦士たちによると裏の計画では次回のマッスルは日本武道館で興行を予定していて「マッスルハウス10」に来場した観客全員が2人ずつ子供を産んで連れてくれば日本武道館が超満員になるという算段らしい。2019年4月の両国国技館大会「マッスルマニア 2019 in 両国〜俺たちのセカンドキャリア〜」を経て2020年1月に当時のメンバーよりは若手のメンバーによる「まっする」(読み:ひらがなまっする)として復活。
まっする
マッスル坂井のプロデュースによるマッスルをリニューアルした興行。2020年1月27日、新木場1stRINGで旗揚げ戦を開催。2022年9月、鶴見亜門を演じる今林久弥のDDT退社に伴い終了。
Cruiser's Game
MIKAMIのプロデュースによるウェイトがヘビー級、ジュニアヘビー級に区別されるならクルーザー級という新しい世界を作っていこうという形でジュニアヘビー級選手で開催している興行。2005年6月21日CLUB ATOMで旗揚げ戦を開催。2011年3月6日新木場1stRING大会を最後に活動停止。
ユニオンプロレス
ポイズン澤田が設立したプロレス団体。1993年、元第1次NOW所属選手の鶴見五郎、元オリエンタルプロレス所属選手の高杉正彦、元PWC所属選手のホー・デス・ミン(現:ポイズン澤田)らによりIWAを結成して後にIWAは鶴見のIWA格闘志塾(現:国際プロレスプロモーション)、高杉のIWA湘南(現:湘南プロレス)、ホーのIWA流山を始めとしたインディー団体統括組織「レスリング・ユニオン」に変化。IWA流山にはホー、松崎駿馬(現:松崎和彦)、荒谷信孝(現:荒谷望誉)らが参加。その後、レスリング・ユニオンが解散したため1994年4月、団体名をユニオンプロレスに改称と同時にホーはリングネームをポイズン澤田に改名。1995年4月28日、流山市民総合体育館大会を最後に活動停止。2005年6月29日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会で第1次ユニオン解散後にポイズン澤田はリングネームをポイズン澤田JULIEに改名して再旗揚げを宣言。DDT代表の一宮章一は難色を示していたが8月14日に和解。代表はFMWで営業として勤めた後にDDTで音響を手掛けていた会場敏が就任。11月3日新木場1stRINGで再旗揚げ戦を開催。2013年9月29日、DDT後楽園ホール大会で運営会社が、それまでの株式会社DDTプロレスリングから株式会社TEC(旧:有限会社DDTテック)(2004年12月、マッスル坂井が設立したDDT映像関連子会社)に変更されることを発表。10月23日、新会社による初興行を新宿FACEで開催。2015年10月4日、後楽園ホール大会を最後に解散。
酒場プロレス
木高イサミのプロデュースによるプロレス&スポーツBar ドロップキックのメンバーを中心として開催している興行。アルコールを含むドリンク飲み放題のオールスタンディングスタイルで行われる。2015年6月23日レッスル武闘館でプレ旗揚げ戦を開催。7月15日新木場1stRingで旗揚げ戦を開催。2017年5月23日、新木場1stRing大会を最後に終了。飲み放題システムはプロレスリングBASARAが「宴」興行として継続している。
DDT NEW ATTITUDE
高木三四郎が「若い力が主人公となる新プロジェクト」として開催している興行。2014年11月28日北沢タウンホールで旗揚げ戦を開催。練習生は、ここでデビューしてDDTとユニオンでデビュー済の一部、選手も既にDDT NEW ATTITUDE所属選手として活動していた。2018年8月10日、北沢タウンホール大会を最後に活動休止。
U.S.A.
福田洋(現:トランザム★ヒロシ)のプロデュースによるアメリカンプロレスの要素を多く取り入れた興行。「U.S.A.」は「アルティメット・スーパースターズ・アクション」の略。
男色牧場classic
男色ディーノが2010年にDDT48総選挙の公約からうまれたDVDによる映像コンテンツがきっかけで開催している興行。1人のプロレスラーをクローズアップして追うドキュメンタリー。

独立した興行

ハードヒット
通常のプロレスルールに加えてダウンやロープエスケープで減点となるロストポイント制を採用して元UWFインターナショナルのレフェリーの和田良覚がルールの監修を行って開催している興行。2008年3月16日新木場1stRINGで旗揚げ戦を開催。2009年5月6日北沢タウンホール大会を最後に活動休止。2011年11月13日、新木場1stRINGで約2年半ぶりに興行を開催。DDT48総選挙で第1位を獲得していた佐藤光留が全試合終了後、「城をください」とDDTの代表である高木に直訴して承諾を得たため、ハードヒットは佐藤の下で再始動することになった。11月14日、佐藤がプロデューサーに就任。運営はDDTが協力していく。2012年3月22日、佐藤のプロデュース興行第1弾を新宿FACEで開催。ルールも3カウントフォールを廃止。2015年6月4日、佐藤に譲渡されてDDTのブランドから独立。DDTとの協力体制は継続していく。
プロレスリングBASARA
2015年10月4日後楽園ホールで開催されたユニオンプロレスの解散興行で木高イサミが「新しい家を作る」と宣言して新たなプロレス団体の設立に向けて動き始めた[19]10月7日、木高がプロレスリングBASARAを設立することを発表[20]2016年1月21日新宿FACEで旗揚げ戦「伐折羅・壱〜乾坤一擲〜」を開催。2019年6月11日、今年限りで株式会社DDTプロレスリングから独立して新会社を設立することを発表[21]8月7日、合同会社プロレスリングBASARAを設立。
ガンバレ☆プロレス
石井慧介との一騎討ちで敗れてユニオンを追放された大家健がDDT入団を懸けた試合で敗れて試合後に高木三四郎から「入団するところがないならお前が団体を旗揚げすればいいじゃないか」と言われた後「大仁田厚は5万円で団体(FMW)を旗揚げした。お前は1万5000円で団体を旗揚げしろ」と言われて(投資された1万5千円は高木三四郎鶴見亜門の財布から拝借したものだった。鶴見は「こんなヤツに投資するバカいませんよ」と設立に反対していた)設立したプロレス団体。2013年4月17日、新木場1stRINGで旗揚げ戦を開催。2024年3月31日に株式会社CyberFightから独立。

タイトルホルダー

DDTプロレスリングの王座
タイトル保持者歴代
KO-D無差別級王座上野勇希第82代
KO-Dタッグ王座遠藤哲哉
飯野雄貴
第82代
KO-D6人タッグ王座秋山準
男色ディーノ
大石真翔
第53代
KO-D10人タッグ王座高梨将弘
アントーニオ本多
植木嵩行
正田壮史
メカマミー
第9代
DDT UNIVERSAL王座MAO第12代
DDT EXTREME王座勝俣瞬馬第59代
アイアンマンヘビーメタル級王座ウナギ・サヤカ第1621代
O-40王座アズールドラゴン第5代
世界大森級王座高尾蒼馬第8代
DDTプロレスリングのリーグ戦・トーナメント戦
タイトル覇者年代
D GENERATIONS CUPTo-y2024年
D王 GRAND PRIX納谷幸男2023年
KING OF DDTトーナメントクリス・ブルックス2023年
Ultimate Tag LeagueHARASHIMA
吉村直巳
2022年

所属選手・主要参戦選手

DAMNATION T.A.

The37KAMIINA

BURNING

ハリマオ

SCHADENFREUDE International

CDK

  • 高梨将弘(限定参戦)
  • クリス・ブルックス(フリー)

D・O・A

無所属

フリー・団体参戦選手

※2024年に参戦した選手のみ

男子選手

フリー
飯伏プロレス研究所
LDH JAPAN
ガンバレ☆プロレス
全日本プロレス
ダブプロレス
JTO
パラエストラ東京
パンクラスイズム横浜
パンクラスMISSION
プロレスリング・ノア
柳ケ瀬プロレス
  • ラウザ

女子選手

フリー
暗黒プロレス組織666
センダイガールズプロレスリング

男子外国人選手

フリー
AEW
新日本プロレス
柳ケ瀬プロレス
  • ジャック・ケネディ

女子外国人選手

フリー
  • ビリー・スタークス

スタッフ

レフェリー

リングアナウンサー

ゼネラルマネージャー

映像班

Web担当

  • 歌代総統

裏方

役員

歴代タイトル

歴代リーグ戦

歴代所属選手

男子選手

女子選手

歴代スタッフ

テーマ曲

2014年6月29日後楽園ホール大会から使用しているオープニング曲。元々は「DDTプロレス中継 さいたまースラム!」のオープニング曲。
2014年6月22日松山市総合コミュニティーセンター大会まで使用していたオープニング曲。変更後もビッグマッチのエンディングで使用している。
  • When you come back to me(World Party)
試合の後半戦開始時に使用している。

試合中継

放送中の番組
終了した番組

関連番組

放送中の番組
終了した番組

ビッグマッチ一覧

大会名開催年月日会場観衆
両国ピーターパン〜大人になんてなれないよ〜2009年8月23日両国国技館8,865人
両国ピーターパン2010〜夏休み ああ夏休み 夏休み〜2010年7月25日8,800人
両国ピーターパン2011〜二度あることは三度ある〜2011年7月24日8,660人
武道館ピーターパン〜DDTの15周年、ドーンと見せます超豪華4時間SP!〜2012年8月18日日本武道館10,124人
DDT万博〜プロレスの進歩と調和〜2013年8月17日両国国技館8,500人
両国ピーターパン2013〜プロレスの傾向と対策〜2013年8月18日9,000人
両国ピーターパン2014〜人生変えちゃう夏かもね!〜2014年8月17日9,100人
さいたまスーパーDDT20152015年2月15日さいたまスーパーアリーナコミュニティアリーナ6,500人
両国ピーターパン2015〜DDTより愛をこめて〜2015年8月23日両国国技館6,670人
大阪オクトパス20152015年11月28日大阪府立体育会館2,332人
Judgement2016〜DDT旗揚げ19周年記念大会〜2016年3月21日両国国技館6,938人
両国ピーターパン2016〜世界でいちばん熱い夏〜2016年8月28日5,394人
DDTフェス2016 supported by ナタリー2016年11月6日STUDIO COAST1,630人
DDTプロレスリング台湾大会〜ドラマティック・ドリーム・台湾〜2016年11月20日ATT SHOW BOX675人
大阪オクトパス2016〜浪花節だよプロレスは〜2016年12月4日大阪府立体育会館2,355人
Judgement2017〜DDT旗揚げ20周年記念大会〜2017年3月20日さいたまスーパーアリーナ10,702人
両国ピーターパン2017〜ピーターパン 二十歳になっても ピーターパン〜2017年8月20日両国国技館5,900人
Judgement2018〜DDT旗揚げ21周年記念大会〜2018年3月25日5,796人
両国ピーターパン2018〜秋のプロレス文化祭〜2018年10月21日6,259人
Judgement2019〜DDT旗揚げ22周年記念大会〜2019年2月17日4,177人
Wrestle Peter Pan 20192019年7月15日大田区総合体育館3,798人
大阪オクトパス20192019年9月1日大阪府立体育会館第2競技場678人
Ultimate Party 2019〜DDTグループ大集合!〜2019年11月3日両国国技館5,869人
WRESTLE PETER PAN 2020【DAY1】2020年6月6日DDT TV SHOWスタジオ(無観客試合)0人[注 3]
WRESTLE PETER PAN 2020【DAY2】2020年6月7日0人[注 3]
Ultimate Party 20202020年11月3日大田区総合体育館未発表
KAWASAKI STRONG 20212021年2月14日カルッツかわさき900人
CyberFight Festival 20212021年6月6日さいたまスーパーアリーナ4,800人
WRESTLE PETER PAN 20212021年8月21日川崎富士見球技場1,336人
D王 GRAND PRIX 2021 Ⅱ in Ota-ku2021年11月3日大田区総合体育館775人
NEVER MIND 2021 in Yoyogi2021年12月26日国立代々木競技場第二体育館1,134人
Judgement2022~DDT旗揚げ25周年記念大会~2022年3月20日両国国技館2,516人
MEGA MAX BUMP 2022 in YOKOHAMA2022年5月1日横浜武道館835人
CyberFight Festival 20222022年6月12日さいたまスーパーアリーナ4,891人
WRESTLE PETER PAN 20222022年8月20日大田区総合体育館1,250人
NEVER MIND 20222022年12月29日TOKYO DOME CITY HALL1,207人
Judgement2023〜後楽園史上最長5時間スペシャル〜2023年3月21日後楽園ホール1,138人
WRESTLE PETER PAN 20232023年7月23日両国国技館3,465人
DDT BIG BANG 20232023年9月9日大田区総合体育館1,363人
Ultimate Party 20232023年11月12日両国国技館4,785人
Judgement2024〜旗揚げ27周年記念大会5時間スペシャル〜2024年3月17日後楽園ホール1,491人

DDTフーズ

2016年10月23日、会社名を株式会社えびすこから株式会社DDTフーズに変更してKUDOが代表に就任。2020年9月1日、株式会社DDTプロレスリング、ノア・グローバルエンタテインメント株式会社、株式会社DDTフーズが経営統合して株式会社CyberFightを設立[24]

開店中の店

プロレス&スポーツBar ドロップキック
2007年7月27日、歌舞伎町にスポーツバーを開店。
エビスコ酒場
2009年12月7日、歌舞伎町に居酒屋を開店。「エビスコ」は大相撲の隠語で「大食い」。2010年3月、外部招聘の店長が売上金250万円の横領により解雇。2014年4月12日、メニューのレバブツによる食中毒事件が発生して4月25日から5月1日までの営業停止の行政処分を受けた。

譲渡・閉店

DDTステーキ
三崎町にステーキハウス専門店を開店。2006年5月28日、オーナーの交代により閉店。
  • 店長 : 外部招聘
フレンチカレーミツボシ
2008年11月28日、中野にカレーライス専門店を開店。2010年11月28日、店長の猪熊裕介が料理人としての向上、プロレスラーとして復帰のためミツボシを卒業して後述のニコニコカレーにリニューアルして開店。
  • 店長 : 猪熊裕介
ニコニコカレー
2010年12月10日、フレンチカレーミツボシをリニューアルして開店。2011年7月24日、店舗の賃貸契約満了により閉店。
ベストストレッチ
2012年9月3日、代々木上原店としてストレッチ専門店を開店。2012年から2018年までDDTの関連部門として運営。トレーナーは風戸大智
2013年4月8日、店が開店。トレーナーは諸橋晴也
2016年4月15日、新宿御苑前店が開店。トレーナーは勝俣瞬馬
2016年10月31日、柏店が閉店。
2019年1月、代々木上原店の営業権を風戸大智に譲渡[25]
新宿ぎょえん整骨院・鍼灸治療院
2016年4月15日、新宿に開店。院長は松永智充
2018年6月29日、閉店[26]
Bar Lounge SWANDIVE
2016年2月23日、新宿にバーを開店。2023年12月29日をもって閉店。

DDT芸能部

DDTグループの所属選手とスタッフの芸能活動の窓口として設けた。2009年10月、株式会社STFを設立して代表取締役に嶋田信一郎が就任。その後、DDTの内部組織として統合された。

同人誌

2008年男色ディーノプロレススーパースター列伝の作画担当の原田久仁信に直談判したことで同人誌の製作が決まる。前作の風刺を忠実に所属選手が描かれている。同人誌として販売のためDDTの試合会場、通信販売、コミックマーケットなどの同人誌即売会場での販売となる。発行元はファンタジスタ。

コラボレーション

2013年ドン・キホーテとのコラボレーションにより発売されたエナジードリンク。2022年をもって終売。
2014年サクセスとのコラボレーションにより所属選手が美少女キャラクター化して登場。
2015年10月26日渋谷ヒカリエで行われた発表会イベント「LEXUS RX AMAZING NIGHT」でHARASHIMA(覆面レスラー「レスラー RX」役)と竹下幸之介ヒールレスラー「Mr.ベイダー」役)によるエキシビジョンマッチが行われた。
2019年10月より放送されていたテレビアニメ。DDTプロレスリングが制作に協力しており、放送に先駆けて公開された実写プロモーションビデオならびにオープニング曲「 闘魂(ファイト)! ケモナーマスク」のプロモーションビデオにHARASHIMA(ケモナーマスク役)とMAO(MAO(マカデミアンオーガ)役[注 4])で出演。AT-Xや動画配信サービスでは各話放送後にスーパー・ササダンゴ・マシンなど所属選手がその日の放送回に登場したプロレス技を実写で再現するミニコーナー「今週のけものみち」が放送・配信されていた。
この他、11月10日に豊島区中池袋公園で開催されたアニメイトガールズフェスティバルのイベント「DDTプロレスリング×AGF2019〜きらめく乙女の筋肉ランド〜」でケモナーマスク&上野勇希組対MAO&坂口征夫組によるスペシャルコラボマッチが行われた。
高速バス「グレースライナー」にDDTプロレスのラッピングバスを使用。また、保有バスの車両ナンバーは高木三四郎の名前に因んだ「346」で統一されている。

脚注

注釈

出典

関連項目

外部リンク

DDTプロレスリング
旧DDTフーズ