JR西日本クモハ84形電車

クモハ84形は、西日本旅客鉄道(JR西日本)が1988年昭和63年)に荷物電車を改造して導入した旅客電車である。

JR西日本クモハ84形電車
クモハ84003(1988年 宇野駅
基本情報
運用者西日本旅客鉄道
種車クモニ83形
改造所幡生車両所
改造年1988年
改造数3両
廃車1996年
投入先宇野線
主要諸元
軌間1,067 mm
電気方式直流1500 V
最高運転速度95 km/h[1]
車両定員136人[1]
全長20,000 mm
車体鋼製
台車DT13
主電動機MT40B
主電動機出力142 kW
制動装置電磁直通ブレーキ
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概要

瀬戸大橋線開業後に宇野線茶屋町 - 宇野間専用電車として、余剰となった旧性能荷物電車クモニ83形を改造して製作された旅客用車両である。

3両が改造され、クモハ84001 - 003の番号となった[2]。改造種車はクモニ83005・026・027の3両で、施工所は幡生車両所である[3]。なお、種車のクモニ83形0番台も72系からの改造車である[4]

JRグループで唯一となる旧性能電車の新形式となった[5]

登場の経緯

改造種車の1両となったクモニ83005(姫路駅、1984年)

岡山 - 宇野間を結ぶ宇野線は宇高連絡船と接続する本州四国間の連絡路線であったが、1988年3月に瀬戸大橋線が開業すると本州と四国が鉄道で結ばれ、茶屋町 - 宇野間は連絡ルートから外れたローカル線の扱いとなった[6]。ローカル区間は短距離であり、輸送量適正化の面から1両で運転可能な1M方式の電車が投入されることになった[6]

国鉄分割民営化直前は荷物輸送廃止で荷物車が余剰となり、新性能荷物電車を改造した旅客車としてクモハ123形が国鉄末期に登場していた[7]。瀬戸大橋線開業の時点でクモハ123形へ改造可能な余剰車が無かった[5]ことから、荷物輸送廃止後もJR西日本に継承され保留車となっていた旧性能荷物電車クモニ83形0番台3両を旅客車に改造し、クモハ84形が登場した[2]

車両概説

車体

車体は荷物車から旅客車に改造されたため、従来の荷扱車掌室やトイレ、貴重品棚、荷物室などを撤去して客室に変更した[2]

側窓は種車の構体がなるべく生かされる形となり、側窓は幅690 mmで上段下降・下段上昇式のユニット窓が設置された[2]。側扉は種車の荷物室用扉と同じ位置に両開きの客用扉を設け、前後非対称の変則的な配置となった[2]。ドアエンジンはTK4形である[2]。車内の座席はロングシートで、袖仕切りや荷棚は201系に準じた構造とされた[2]

車体塗装は黄6号をベースとし、213系で採用された青色の濃淡帯(青26号と青23号)を配したもので、前面の帯はV字状のアクセントが設けられた[2]

主要機器

冷房装置は設けられず、屋根上には種車と同じくグローブ型通風器が4基設置された[2]。パンタグラフはクモニ83005がPS13形を、クモニ83026・027がPS23A形を各1基搭載していたが、全車ともPS16形に統一された[2]

中央東線用であったクモニ83026・027の台車にはスノープラウが搭載されていたが、これを撤去の上で代わりに排障器が設置された[3]。種車のクモニ83形に搭載されていたブレーキの「新旧切換装置」は撤去された[2]

運用

クモハ84形は1988年より宇野線の茶屋町 - 宇野間を主体に運用された[8]。1995年6月に阪和線羽衣支線で運用されていたクモハ123-5・6が宇野線に転用されたのに伴い、1995年7月11日をもって定期運転から引退し同年7月23日にさよなら運転を実施した[9][10]。翌1996年3月27日に3両とも廃車回送され[11]、同年3月31日付で全車廃車となった[3][12]

脚注

参考文献

  • 『鉄道ピクトリアル』2017年6月号別冊「国鉄形車両の記録 鋼製郵便荷物電車」電気車研究会