RCDマジョルカ

スペインのサッカークラブ

RCDマジョルカ(RCD Mallorca)は、スペインバレアレス諸島州パルマ・デ・マヨルカに本拠地を置くサッカークラブ。バレアレス諸島に本拠地を置くサッカークラブの中でもっとも歴史が古い。プリメーラ・ディビシオン所属。フルネームでは、レアル・クルブ・デポルティーボ・マジョルカS.A.D.スペイン語: Real Club Deportivo Mallorca, S.A.D., スペイン語: [reˈal ˈkluβ ðepoɾˈtiβo maˈʎoɾka], カタルーニャ語: Reial Club Deportiu Mallorca, [rəˈjal ˈklub dəpuɾˈtiw məˈʎɔɾkə])となる。RCDマヨルカと表記されることもある。

RCDマジョルカ
原語表記Real Club Deportivo Mallorca, S.A.D.
愛称Los Bermellones (The Vermilions)
Els Barralets (The Barralet)
La Ensaimada Mecánica (The Mechanical Ensaimada)
クラブカラー    赤・   
創設年1916年
所属リーグラ・リーガ
所属ディビジョン1部(2022-23
ホームタウンバレアレス諸島の旗 バレアレス諸島州パルマ・デ・マヨルカ
ホームスタジアム
エスタディ・デ・ソン・モイシュ
収容人数23,142人
代表者アメリカ合衆国の旗 ロバート・サーバー
監督メキシコの旗 ハビエル・アギーレ
公式サイト公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

クラブ名

1916年の創設時はスペイン国王のアルフォンソ13世に因んでフンタ・ディレクティーバ・デル・アルフォンソ13世FBC(Junta Directiva del Alfonso XIII FBC)と命名されたが、1917年にはレアル・ソシエダ・アルフォンソ13世 (Real Sociedad Alfonso XIII)とクラブ名を変え、この名称は1931年に政治的な理由でクルブ・デポルティーボ・マジョルカ(Club Deportivo Mallorca)に改名するまで続いた。1949年には国王の庇護を受けてクラブ名にレアル(Real)の単語が冠され、現在のレアル・クルブ・デポルティーボ・マジョルカ(RCDマジョルカ)となった。

歴史

その歴史はバレアレス諸島のサッカークラブで最も古く、1916年にエンジニアのアドルフォ・バスケスによって設立された。最初期に使用したスタジアムはブエノス・アイレス(Buenos Aires)と呼ばれ、同年3月25日にFCバルセロナとの間で行われた落成試合は0-8で敗れた。1931年にリーガ・エスパニョーラに初参戦し、テルセーラ・ディビシオン(当時3部)でプレーした。1945年9月22日には新スタジアムのエス・フォルティが落成した。1959年にはセグンダ・ディビシオン(2部)に初昇格し、1年後の1959-60シーズン終了後にはプリメーラ・ディビシオン(1部)初昇格を決めた。1970年代半ばまではプリメーラ・ディビシオンとセグンダ・ディビシオンを行ったり来たりしたが、1970年代後半にはテルセーラ・ディビシオンやセグンダ・ディビシオンB(現3部)に低迷した。

1990年代と2000年代の黄金期

1990-91シーズン、マジョルカはベスト8でバレンシアCFを、準決勝でスポルティング・デ・ヒホンを下してアトレティコ・マドリードとのコパ・デル・レイ決勝に進出した。クラブとしては史上初めての決勝進出となったが、延長111分のアルフレド・サンタエレナの決勝ゴールによってタイトル獲得を逃した[1]

1997年、クラブの監督にまだ欧州での指導経験が皆無だったアルゼンチン人のエクトル・クーペルを招聘した。クーペルは前年にアルゼンチンのCAラヌースコパCONMEBOL優勝を果たしていたことを買われての就任だった。就任1シーズン目のコパ・デル・レイでは、クラブ2度目となる決勝進出を果たしたものの、PK戦の末FCバルセロナの前に敗戦し、またもメジャータイトルに手が届かなかった。リーグ戦では好調を維持し続け、5位でフィニッシュした。また、コパ準優勝により出場権を得たスーペルコパ・デ・エスパーニャでは因縁の相手バルセロナに2戦合計3-2で勝利し、クラブ創設以降初めてとなるメジャータイトルを獲得した[2]。翌1998-99シーズン、バルセロナがリーグ戦とカップ戦の2冠を達成した影響を受け、リーグ戦5位だったマジョルカにUEFAカップウィナーズカップ出場権が回ってきた。この大会では、KRCヘンクチェルシーFCを下して決勝に進み、SSラツィオとの試合に臨んだ。7分にクリスティアン・ヴィエリのゴールで失点するも、直後の11分にダニ・ガルシアのゴールで試合を振り出しに戻した。同点のまま試合終了と思われた81分、ラツィオの中心選手だったパベル・ネドベドのゴールを許し、1-2で敗戦を喫した[3]。しかし、この1998-99シーズンはクーペルがラヌースから連れてきたカルロス・ロアサモラ賞を受賞したことや、クーペルが手がけた堅守がベースのチーム作りが功を奏し、史上最高成績となるリーグ戦3位という成績を収めた。1999-00シーズンはフェルナンド・バスケス新体制でスタートしたものの、リーグ戦10位でシーズンを終えるなどクーペル期ほどの成功は見られなかった。2000年5月27日、すでにラ・リーガでの実績があったルイス・アラゴネスを新監督に据えたマジョルカは、サミュエル・エトオなどの活躍もあってリーグ戦で史上最高となる勝ち点73を稼いで一昨シーズンと同じくリーグ戦3位に輝いた。しかし、シーズン終了後にアラゴネスは、セグンダに降格し低迷していた選手時代の古巣アトレティコ・マドリードに監督として復帰したため、マジョルカは13シーズンぶりに外国籍監督であるドイツ人のベルント・クラウスを招聘した。クラウスを迎えてのマジョルカだったが、リーグ序盤から勝ちきれない試合が多く、4月にトメウ・ジョンパール、シーズン終了後にグレゴリオ・マンサーノと監督交代が続く不安定な期間を送った。しかし、マンサーノはリーグ戦こそ不出来だったが、コパ・デル・レイでは優勝を飾った。2000年代後半はリーグ中位以下を彷徨うシーズンが10シーズン近く続き、2010年代を迎えた。また、この2000年代はクラブ初となる日本人プレーヤーが誕生した。2005年1月にセレッソ大阪からマジョルカにやって来た大久保嘉人である。デビュー戦は、当時ラ・リーガで上位争いをしていたデポルティーボ・ラ・コルーニャ相手だったが、デビュー戦にして1ゴール1アシストという強烈なインパクトを残した。しかし、デポルティーボ戦以降は、その試合で膝に負った怪我の影響もあり、満足いく結果を残せず、2005-06シーズン終了後に日本へ帰国した[4]

2010年代 : 降格と復帰

2012-13シーズン、リーグ最終節のバジャドリード戦で4-2で勝利したものの、17位のセルタに勝ち点1及ばず、リーグ最終節にしておよそ17シーズンぶりのセグンダ・ディビシオン降格が決定した[5]。セグンダ降格後のマジョルカは資金難に苦しんでおり、2015-16シーズンは満足いく補強が出来ずにいたため、セグンダ・ディビシオンB降格の危機が迫っていた。2016年1月6日、NBAに所属するフェニックス・サンズのオーナーでもあるユダヤ人実業家ロバート・サーヴァーがマジョルカの株式を購入し、正式にマジョルカのオーナーとなった。買い取り額は2000万ユーロと報じられ、株式保有者には元NBAプレーヤーでカナダ代表選手だったスティーブ・ナッシュらがいる[6]

2017年6月4日、リーグ戦1試合を残して1981年以来となるセグンダB降格が決定した[7]。2017-18シーズン、新たにビセンテ・モレノを招聘したマジョルカはセグンダ昇格を賭けたプレーオフでCFラージョ・マハダオンダを下し、1シーズンでのセグンダ復帰を決めた[8]。翌2018-19シーズンには続投したモレノ監督の下、躍進を続けて2部2位でシーズンを終えた。2位で終えたことでデポルティーボ・ラ・コルーニャとの昇格プレーオフに臨み、2戦合計3-2で2シーズン連続の昇格を成し遂げた[9]。ラ・リーガ残留を目標に掲げて参戦した2019-20シーズンだったが、その願いも虚しくわずか1シーズンで再びセグンダへと降格した[10]。2020-21シーズン、再びセグンダに降格したマジョルカはクラブの監督をルイス・ガルシアに据え、リーグ最終節にUDアルメリアFCカルタヘナに敗れたことで1シーズンでのラ・リーガ復帰を成功させた[11]

日本との関わり

大久保嘉人家長昭博久保建英が以前所属していたなど日本人にとって馴染みが深く、2021年11月5日には日本語による公式Twitterが開設された[12]。2022年には、Jリーグ清水エスパルスと業務提携を行った[13]

ユニフォームの変遷

1922-1933
1933-1968
1968-1969
1969-1976
1976-1977
1977-2012
2012-

タイトル

国内タイトル

2002-03
1998
1959-60, 1964-65
1980-81

記録

クラブ

個人

公式戦得点
#選手得点
1 フアン・モロ・アルベルティ94
2 ホアン・フォルテサ93
3 ペドロ・ホフレ・アンティッチ89
4 アントニオ・プラーナス・ムンタネル84
5 パブロ・ビダル・オリベル78
6 セバスティア・サンタンドレウ72
7 ゴラン・ミロイェヴィッチ71
8 サミュエル・エトオ70
9 ミゲル・サンス・リゴ68
10 マヌエル・バルベルデ58

個人賞

過去の成績

シーズンディビジョン順位国王杯
1931-32テルセーラ4位
1932-33地域リーグ
1933-34地域リーグ
1934-35地域リーグ
1935-36地域リーグ
1939-40セグンダ7位
1940-41地域リーグ
1941-42地域リーグ
1942-43地域リーグ
1943-44テルセーラ1位
1944-45セグンダ11位
1945-46セグンダ8位
1946-47セグンダ5位
1947-48セグンダ13位
1948-49テルセーラ3位
1949-50セグンダ11位
1950-51セグンダ12位
1951-52セグンダ6位
1952-53セグンダ8位
1953-54セグンダ16位
シーズンディビジョン順位国王杯
1954-55テルセーラ1位
1955-56テルセーラ2位
1956-57テルセーラ1位
1957-58テルセーラ1位
1958-59テルセーラ1位
1959-60セグンダ1位
1960-61プリメーラ9位
1961-62プリメーラ11位
1962-63プリメーラ13位
1963-64セグンダ3位
1964-65セグンダ1位
1965-66プリメーラ15位
1966-67セグンダ5位
1967-68セグンダ4位
1968-69セグンダ3位
1969-70プリメーラ15位
1970-71セグンダ9位
1971-72セグンダ12位
1972-73セグンダ10位
1973-74セグンダ11位
シーズンディビジョン順位国王杯
1974-75セグンダ17位
1975-76テルセーラ9位
1976-77テルセーラ3位
1977-78セグンダB18位
1978-79テルセーラ13位
1979-80テルセーラ1位
1980-81セグンダB1位
1981-82セグンダ6位
1982-83セグンダ3位
1983-84プリメーラ17位
1984-85セグンダ7位
1985-86セグンダ3位
1986-87プリメーラ6位
1987-88プリメーラ18位
1988-89セグンダ4位
1989-90プリメーラ10位
1990-91プリメーラ15位
1991-92プリメーラ20位
1992-93セグンダ4位
1993-94セグンダ5位
シーズンディビジョン順位国王杯
1994-95セグンダ12位準々決勝敗退
1995-96セグンダ3位2回戦敗退
1996-97セグンダ3位2回戦敗退
1997-98プリメーラ5位準優勝
1998-99プリメーラ3位準々決勝敗退
1999-00プリメーラ10位2回戦敗退
2000-01プリメーラ3位準々決勝敗退
2001-02プリメーラ16位ラウンド16
2002-03プリメーラ9位優勝
2003-04プリメーラ11位3回戦敗退
2004-05プリメーラ17位3回戦敗退
2005-06プリメーラ13位3回戦敗退
2006-07プリメーラ12位ラウンド16
2007-08プリメーラ7位準々決勝敗退
2008-09プリメーラ9位準決勝敗退
2009-10プリメーラ5位準々決勝敗退
2010-11プリメーラ17位ラウンド16
2011-12プリメーラ8位準々決勝敗退
2012-13プリメーラ18位ラウンド16
2013-14セグンダ17位2回戦敗退
シーズンディビジョン順位国王杯
2014-15セグンダ16位2回戦敗退
2015-16セグンダ17位2回戦敗退
2016-17セグンダ20位3回戦敗退
2017-18セグンダB1位2回戦敗退
2018-19セグンダ5位ラウンド32
2019-20プリメーラ19位ラウンド32
2020-21セグンダ2位2回戦敗退
2021-22プリメーラ16位ベスト8
2022-23プリメーラ準優勝


現所属メンバー

2024年2月1日現在[14]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
1GK プレドラグ・ライコヴィッチ
2DF マティヤ・ナスタシッチ
3DF トニ・ラト
4DF シーベ・ファン・デル・ヘイデン
5MF オマール・マスカレル ( )
6DF ホセ・マヌエル・コペテ
7FW ヴェダト・ムリキ ( )
8MF マヌ・モルラネス
9FW アブドン (第3主将)
10MF セルジ・ダルデル
11DF ハウメ・コスタ
12MF サム・コスタ
No.Pos. 選手名
13GK ドミニク・グレイフ
14MF ダニ・ロドリゲス (副主将)
15DF パブロ・マフェオ
17FW サイル・ラリン ( )
18MF アントニオ・サンチェス
19FW ハビ・ジャブレス
20DF ジョバンニ・ゴンサレス ( )
21DF アントニオ・ライージョ
22DF ナチョ・ビダル
23FW ネマニャ・ラドニッチ
24DF マルティン・ヴァルイェント (第3主将)
25GK イバン・クエジャル

※括弧内の国旗はその他保有国籍、もしくは市民権、星印はEU圏外選手枠を示す。

リザーブチーム

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
26MF ルベン・キンタニージャ
31GK ペレ・ガルシア
No.Pos. 選手名
33MF ダニエル・ルナ

ローン選手

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No.Pos. 選手名
--GK レオ・ロマン (オビエド)
--DF ブライアン・クフレ (ニューヨーク・シティ)
--DF ジョゼップ・ガヤ (アモレビエタ)
No.Pos. 選手名
--MF イドリス・ババ (アルメリア)
--FW アマト・エンディアイエ (バジャドリード)

スタッフ

役職氏名
監督 ハビエル・アギーレ
アシスタントコーチ トニ・アモール
GKコーチ ルイスビ・デ・ミゲル
フィジカルコーチ フェリックス・ビセンテ
ヒム・ロペス

歴代監督

名前
1966 エクトル・リアル
2000-2001 ルイス・アラゴネス
2001 ベルント・クラウス
2001-2002 セルギイェ・クレシッチ
2002 トメウ・ジョンパルト
2002-2003 グレゴリオ・マンサーノ
2003 ジャイメ・パシェコ
2003 トメウ・ジョンパルト (暫定)
2003-2004 ルイス・アラゴネス
2004 ベニート・フローロ
2004 トメウ・ジョンパルト (暫定)
2004-2006 エクトル・クーペル
2006-2010 グレゴリオ・マンサーノ
2010-2011 ミカエル・ラウドルップ
2011 ミゲル・アンヘル・ナダル (暫定)
2011-2013 ホアキン・カパロス
2013 グレゴリオ・マンサーノ
2013-2014 ホセ・ルイス・オルトラ
2014 ジュイス・カレーラス
2014 ハビエル・オライソラ (暫定)
2014 ミケル・ソレール
2014-2015 ヴァレリー・カルピン
2015 ミケル・ソレール
2015 アルベルト・フェレール
2015-2016 ペペ・ガルベス
2016 フェルナンド・バスケス
2016-2017 ハビエル・オライソラ
2017-2020 ビセンテ・モレノ
2020-2022 ルイス・ガルシア・プラサ
2022- ハビエル・アギーレ

歴代所属選手

GK

DF

MF

FW

脚注

外部リンク