公団(こうだん)とは、公的な事務や事業を担うために設立された法人形態の一種。
日本では、第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の意向を受けて設立された法人をいう。その後、占領期を脱すると、行政機関の一部としての性格から切り離され、公社に近似した公法人となった。2001年(平成13年)12月に策定された特殊法人等整理合理化計画にもとづき、すべての公団が独立行政法人あるいは特殊会社(株式会社)に改組されることとなり、2005年(平成17年)10月の道路四公団(日本道路公団、首都高速道路公団、阪神高速道路公団、本州四国連絡橋公団)の分割・民営化を最後に、「公団」は消滅し、現存しない法人形態となった。
第二次世界大戦後の日本では、戦後復興のための経済統制が必要とされた[1]。戦前の日本では戦時下の経済統制のために、重要産業団体令(昭和16年勅令第831号)等によって産業別に統制会が設立され、産業界による自主的な市場統制が行われていた[1]。政府は戦後復興のための経済統制にも統制会等を活用しようと考えたが、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) は私的独占を禁じる観点から公的機関に経済統制を行わせるよう要請し、国の事業を担ってきた私法人の廃止や組織再編とあわせて公団が設立されるようになった[1]。
当初は公社、配給団、配給庁といった名称が検討され、政府の立案段階では「公庁」という名称で法案が立案されていた。しかし、最終的に「公団」という名称に改められ立法化された。
以上の結果、戦時下の国策会社、統制組合、営団の機能を吸収しつつ、産業復興公団、船舶公団、石油配給公団、配炭公団、価格調整公団、肥料配給公団などが順次設立されるに至った。
初期の公団は国家行政組織法(昭和23年法律第120号)第22条で国家行政組織の一部とされ、公団の職員は公務員とされていた[1]。具体的には、各省の一部として国家行政組織法の別表に列挙され、個別の設置根拠法で設置・廃止されるものと位置づけられた。ただ、国家行政組織の一部であるが、個別の設置根拠法において、法人格が与えられていた。
占領期を脱すると、公団は変容し、国家行政組織法から削除された。役職員は、国家公務員からいわゆるみなし公務員となり、その点では、公社と区別が付きにくくなった。
1955年(昭和30年)には食糧増産と世界銀行から借款を借り入れる必要から、農林省が「愛知用水事業公社」の設立を構想。これが愛知用水公団(現在の独立行政法人水資源機構)として実現する。以降、日本住宅公団(現在の独立行政法人都市再生機構)をはじめ、さまざまな公団が設立されるようになった。
韓国では1981年12月に韓国公団法が制定されており、この法律を根拠として政府出資法人等が設立されている[2][3]。