坂本古墳群(さかもとこふんぐん)は、三重県多気郡明和町坂本にある古墳群(群集墳)。6基が三重県指定史跡に指定され、1号墳出土の金銅装頭椎大刀は三重県指定有形文化財に指定されている。
三重県中部、櫛田川・宮川間の洪積台地の段丘西端部に営造された古墳群である。かつては「坂本百八塚」と称され、前方後方墳1基(1号墳)・推定前方後円墳(5号墳)のほか、円墳・方墳など計150基以上から構成されたが、ほとんどが消滅し現在は6基(1-6号墳)のみを遺存する[1]。1995年度(平成7年度)以降に調査が実施されており、残存古墳が発掘されたほか埋没古墳30数基の存在が確認されている[1]。
古墳群のうち唯一の前方後方墳である1号墳は、全国で最後の前方後方墳であり、当時としては珍しく割竹形木棺の直葬を埋葬施設とする点、装飾大刀の金銅装頭椎大刀が出土した点で注目される。また2号墳・3号墳は方墳であり、発掘調査では2号墳から耳環が、3号墳から鉄刀が出土している[1]。
古墳群の営造時期は、古墳時代終末期の7世紀前半-中葉頃を中心とする時期と推定される[1]。当時としては三重県内で代表的な大規模群集墳であるとともに、1号墳築造の数十年後の天武天皇3年(674年)には南1キロメートルで斎宮制度が成立することから、斎宮の成立に関与した可能性が想定される点でも重要視される古墳群である[2][1][3]。
1・2・3・4・6・8号墳の古墳域は2004年(平成16年)に三重県指定史跡に指定された[4]。現在では史跡整備のうえで、坂本古墳公園として公開されている。
坂本1号墳 | |
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復元墳丘(右に前方部、左奥に後方部) | |
所在地 | 三重県多気郡明和町坂本 (坂本古墳公園内) |
位置 | 北緯34度33分1.70秒 東経136度37分5.35秒 / 北緯34.5504722度 東経136.6181528度 / 34.5504722; 136.6181528 東経136度37分5.35秒 / 北緯34.5504722度 東経136.6181528度 / 34.5504722; 136.6181528 |
形状 | 前方後方墳 |
規模 | 墳丘長38.0m 高さ4.2m(後方部) |
埋葬施設 | 割竹形木棺直葬 |
出土品 | 鉄刀・須恵器 |
築造時期 | 7世紀前半 |
有形文化財 | 金銅装頭椎大刀(三重県指定文化財) |
特記事項 | 最後の前方後方墳 |
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1号墳は、坂本古墳群の主墳。1996年度(平成8年度)に墳丘・周溝の発掘調査が、1997年度(平成9年度)に埋葬施設の発掘調査が実施されている[5]。
墳形は前方後方形で、前方部を南南西方向に向ける。古墳の規模は次の通り[1]。
墳丘周囲には周溝が巡らされており、幅2.5-4.6メートル・深さ0.6-1.0メートルを測る[1]。
埋葬施設は後方部中央における割竹形木棺の直葬である。木棺を据える墓壙は長さ6.5メートル・幅3.5メートル・深さ0.5-0.8メートルを測り、木棺は長さ4.72メートル・幅0.74メートル・高さ0.44メートルを測る[1]。発掘調査では、副葬品として金銅装頭椎大刀(装飾大刀)含む鉄刀2・須恵器(横瓶・平瓶・𤭯)が検出されている[2]。
築造時期は古墳時代終末期の7世紀前半頃と推定される[2][1]。前方後方墳は主に古墳時代前期に見られる墳形であるが、全国で最後の前方後方墳として終末期に築造された点で注目される古墳になる[1]。また当時としては珍しく割竹形木棺の直葬を埋葬施設とする点、三重県内では初めてかつ東海地方でも数少ない金銅装頭椎大刀の出土の点でも注目される[1]。
金銅装頭椎大刀は2001年(平成13年)に三重県指定有形文化財に指定されている[6]。
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