生誕 | 1931年(92 - 93歳) 日本、東京 |
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時代 | 現代哲学 |
地域 | 西洋哲学 |
学派 | 分析哲学 |
研究分野 | ゴットフリート・ライプニッツ、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン |
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石黒 ひで(いしぐろ ひで、Hidé Ishiguro、1931年[1] - )は、日本出身の女性哲学者。ロンドン大学Ph.D.。ロンドン大学名誉教授、慶應義塾大学名誉教授、上野学園大学名誉教授。夫は哲学者のデイヴィッド・ウィギンズ。
本名の石黒英子(Hideko Ishiguro)名義も使用することがある[2]。
東京大学教養学部の卒業論文テーマはシャルル・ルヌーヴィエの認識論[注釈 1]。同大学を卒業後、フランスとイギリスに留学。オックスフォード大学では、ギルバート・ライルが指導教官(スーパーヴァイザー)となり、ピーター・ストローソンに論文指導を受ける。併せて、毎週マイケル・ダメットの研究室で開かれていた数理哲学の少人数ゼミに参加し、エリザベス・アンスコムから個人教授(チューター)として指導を受けた[3][4]。また、同時期にイギリス留学していた地球科学者で東京大学名誉教授の上田誠也とも交流を結んでいる[5]。
1958年にはフランスのパリ郊外ロワイモヨンで開催された国際コロキウムに参加し、現象学を知的背景に持つフランスの哲学者モーリス・メルロー=ポンティと分析哲学者ギルバート・ライルの間で起きた「全く非生産的」な討論を目撃している[6]。
英語で書かれた著書『ライプニッツの哲学』の初版は1972年にケンブリッジ大学出版局から出版され、ライプニッツ研究者のほか、バス・ファン・フラーセン、ヤーッコ・ヒンティッカ、ヘクター=ネリ・カスタニェーダ(英語版)など現代の哲学者からも高く評価された[7]。
ロンドン大学での同僚にマイルズ・バーニェトがいる[8]。ロンドン大学での指導学生には倫理学者・政治哲学者のジョナサン・ウルフ[9]や、『Radical Philosophy(英語版)』誌の編集委員を務めたアンドリュー・コリアー(英語版)[10]がおり、慶応義塾大学での指導学生には河野哲也[11]などがいる。
2007年には石黒ひでに関する記念学術会議「Reading Wittgenstein: Conference in Honour of Hidé Ishiguro」がロンドンで開催され、ブライアン・マクギネス(英語版)、マリー・マッギン(英語版)などがスピーカーを務めた[12]。