ウィリアム・スタージス・ビゲロー(英: William Sturgis Bigelow、1850年4月4日-1926年10月6日)は、アメリカ合衆国の医師で日本美術の研究家、仏教研究者。ボストン市出身。ジェーコブ・ビゲローの孫。
著名な外科医の一人息子としてボストンに生まれる。1874年ハーバード大学医学部卒。1881年、エドワード・モースの講演を聞いて日本に興味を持ち、1882年来日、先に来日していたアーネスト・フェノロサとともに岡倉天心らをはじめ、日本各地の寺などを援助する。日本美術の収集家として知られ、帰国後の1890年ボストン美術館理事に就任。同年父親が死去し、莫大な遺産を相続する。フェノロサ死去の翌年の1909年には、公務に対する褒賞である勲三等旭日章を受勲する。1911年にビゲローの収集品は正式にボストン美術館に寄贈された。
来日がきっかけで仏教に傾倒し、滋賀県大津市にある園城寺の子院・法明院の住職だった桜井敬徳を導師に授戒。戒名は月心であり、授戒後の彼が書いた手紙には"Gessin"とサインしている。ビゲローは帰国後も法明院に寄進を行っている。法明院には、ビゲローやフェノロサが過ごした茶室や遺品が残されている他、墓所もフェノロサの墓[1]と並んである。
ビゲローの膨大な版画(浮世絵)コレクションは33,264枚という膨大な数量を誇り、ボストン美術館全体の約64パーセントを占める。ビゲローが最も多く所蔵する版画作品は歌川国貞の浮世絵で、その数は9,088枚にも上り、全体の約3分の1を占める。次に歌川国芳の3,340枚、歌川広重の1,736枚と続く。さらにビゲローは、歌舞伎番付のコレクションを1,215点も収集し、浮世絵に加えて珍しい摺物や番付、重要な役者絵と符合する歌舞伎番付を数多く所有している[2]。