シンガポールの交通

シンガポールの交通(シンガポールのこうつう)では、シンガポール国内での交通事情と、シンガポールと他国を結ぶ交通事情について解説する。

シンガポールの交通は陸上交通が主である。シンガポール内の隅々まで道路が整備されており、シンガポール本島からセントーサ島ジュロン島にも橋で道路がつながっている。また、鉄道も整備されており、マス・ラピッド・トランジットは東西南北に伸び、ライト・レール・トランジットは公共住宅密集地を循環している。その他の島はシンガポール本島からフェリーが出ている。また、国土が小さいため国内の空運は存在しない。

シンガポールは、海路と空路で沢山の国々と繋がっており、マレーシアとは2箇所に橋(コーズウェイ · セカンドリンク)が架かっている他、シンガポール・チャンギ国際空港は国際的なハブ空港、シンガポール港は国際的な積み替え港(トランスシップメント)である。

第二次世界大戦前後

イギリス人看護師が休暇中に自転車タクシーに乗っている(1946年ごろ)

第二次世界大戦以前の重要な都市公共交通は人力車(Rikishaw)であった。戦後自転車タクシー(Trishaw)がこれに取って代わり、1980年まで自転車タクシーが重要な都市公共交通だった。その後人力車タクシーは廃れたものの現在でも観光客向けに残っている。

国内の陸上交通

道路

詳細は「シンガポールでの運転英語版」を参照

シンガポールはロード・プライシングシステムをいち早く取り入れ成功させた。シンガポール・エリア・ライセンシング・スキームを1975年に始め、後に電子料金収受システム(ERP)に置き換えた。

  • 高速道路: 161 km
  • 幹線道路: 645 km
  • 準幹線道路: 557 km
  • 地方道路: 2048 km(2011)[1]
概要

他の多くのコモンウェルスの国々と同じく、左側通行である。なお左ハンドル車の登録・走行は禁止されている。このため日本人には比較的運転しやすい地域であるが、ラウンドアバウトや交差点で右側優先である点など、異なる点も多い。また交通マナーでは、日本と比較して車間距離が短い、ウィンカーを出さない場合がある、歩行者が最優先でない、といった点で異なる。バスなどの公共交通機関の円滑な交通を優先する規則も日本よりも厳しい。また東南アジア特有のスコールなど大雨・雷雨の天候での運転もあり、注意が必要である。飲酒運転携帯電話の使用など、運転手に対する罰則の強化については日本など他国と通じるものがある。

車両

台数: 969,910台 (2012年)[2]

車両は日本車ドイツ車の割合が高い。シンガポールは関税や自動車購入権により、自動車の乗り出し価格が非常に高価であることで知られる。

交通事故

2012年の死亡者数は169名で、2011年の195名から減少した[3]

高速道路

アヤ・ラジャー・エキスプレスウェイ
シンガポールの高速道路ネットワーク

シンガポールの高速道路は陸上交通庁が計画、建設、管理を行なっている。高速道路は地方と中心地を結び、重要な役割を果たしている。シンガポールの高速道路は以下:

  • アヤ・ラジャー・エキスプレスウェイ (AYE: Ayer Rajah Expressway)
  • ブキッ・ティマ・エキスプレスウェイ (BKE: Bukit Timah Expressway)
  • セントラル・エキスプレスウェイ (CTE: Central Expressway)
  • イーストコースト・パークウェイ (ECP:East Coast Parkway)
  • カラン・パヤレバー・エキスプレスウェイ (KPE: Kallang-Paya Lebar Expressway)
  • クランジ・エキスプレスウェイ (KJE:Kranji Expressway)
  • パン・アイランド・エキスプレスウェイ (PIE: Pan Island Expressway)
  • セレター・エキスプレスウェイ (SLE: Seletar Expressway)
  • タンピネス・エキスプレスウェイ (TPE: Tampines Expressway)
  • マリーナ・コースタル・エキスプレスウェイ (MCE: Marina Coastal Expressway)
  • ノース・サウス・エキスプレスウェイ (計画中)[4]

独立後まもなく都市部での交通渋滞を避けるためにそのため高速道路が計画、建設され始めた。また、地方の公共住宅に住人のほとんどの職場が都市部であるために建設される公共住宅街のある地方部と都市部間の交通利便性も考慮された。

ケーブルカー

シンガポール・ケーブルカー(ロープウェイ)はシンガポールで唯一のロープウェイで本島のマウント・フェイバーからセントーサ島を繋いでいる。シンガポール島からセントーサ島には橋がかかっており、タクシー、バスで行ける他、セントーサ・エキスプレス(モノレール)も通っているためケーブルカーは観光アトラクションとして利用されている。2010年8月に改修が終わった。

公共交通

MRT、LRT、バス、タクシーがシンガポールの公共交通

シンガポール独立以前の公共交通はトラム(路面電車)トロリーバス、バスが走っていた。

独立後の公共交通はバス、鉄道、タクシーがある。国土が狭いために自家用車の台数を減らす必要があったために政府が重点を置き開発した。その結果、2008年現在では一日530.8万人が公共交通を利用している[5]

公共交通はシンガポール人の通勤、通学に欠かせないもので、2000年の国勢調査[6] によれば通勤するシンガポール人(外国人を含まず)の52.4%が公共交通機関を利用しており、残りの41.6%が個人所有の車両、6.1%が車両を利用していない。通学は41.5%が公共交通機関、24.9%が個人所有の車両、30.1%が車両を利用していない。

しかし、シンガポール永住者(外国人含む)の公共交通機関の利用率は減少している。1990年には55%だったものが46.3%となった。シンガポール政府はこれを75%まで引き上げようとしている。

鉄道、バス、タクシーは陸上交通庁の管轄である。料金とバスサービスについては陸上交通庁から独立した公共交通会議英語版の管轄である。陸上交通庁の使命は公共交通の発展と浸透であり、特に中心地区での空気汚染に配慮している。

2007年12月に陸上交通庁、シンガポール政府観光局、EZ-linkによって観光客向けのシンガポール・ツーリストパスが発売された[7]。ツーリストパスは8ドルでSBSトランジット、SMRTバス、SMRTトレインズの運行するものが無制限で乗れる。ただし、夜間運行のナイトライダーなどには適用されない。限られたMRTの駅で買うことができる。

バス

詳細は「シンガポールのバス英語版」を参照

SBSトランジット

  • 路線: 300以上 (2013)
  • 台数: 3,000台以上 (2013)

SMRTバス

  • 路線: 100以上 (2013)
  • 台数: 900台以上 (2013)

鉄道

マス・ラピッド・トランジット

マス・ラピッド・トランジット(MRT)は標準軌の都市高速鉄道。総距離は157.9 km (98.11 mi)で計画中も含め、102の駅がある。

1999年に新交通システムのライト・ラピッド・トランジットが公共住宅の多い地域で開業。まずは総距離7.8 kmのLRTブキ・パンジャン線が開業し、その後LRTセンカン線LRTプンゴル線が開業した。

2007年に日立が建設した総距離2.1 kmのセントーサ・エキスプレスシンガポール本島セントーサ島を結んでいる。

シンガポールの鉄道ネットワーク

タクシー

コンフォートデルグロ・タクシー
詳細は「シンガポールのタクシー英語版」を参照

台数: 28,210 (2012)[1][8]

すべてのタクシーに料金メーター、エアコンがついており、ほとんどのタクシーは5人乗りで、無線が搭載されており、ディーゼル車である。法律によりすべての乗客はシートベルト着用の義務がある。

1日の利用者数: 約588,632人

タクシー会社

コンフォートデルグロ・タクシー (11147台)[9]

コンフォートデルグロ・シティキャブ (3835台)[9]

個人タクシー イエロートップキャブ (482台)[9]

SMRTタクシー (3004台)[9]

ユニオン・エナジー・コーポレーション・トランスキャブ (2139台)[9]

プレミアタクシー・シルバーキャブ (1900台)[9]

スマート・オートモービル (781台)[9]

プライムタクシー (198台)[9]

国際交通

陸上交通

マレーシア・シンガポール・セカンドリンク

シンガポールとマレーシアの間には2本の橋が架かっている。ジョホール・シンガポール・コーズウェイは1920年代に建設され、シンガポール北部のウッドランズとマレーシアのジョホールバルを道路と鉄道が結んでいる。マレーシア・シンガポール・セカンドリンクは1996年に完成し、シンガポール西部のトゥアスとジョホール州のタンジュン・クパンを道路が結んでいる。

マレー鉄道のウエストコースト線がシンガポール北部のウッドランズ・トレイン・チェックポイントまで伸びている。2011年までのウエストコースト線の終点はシンガポール南部のタンジョン・パガー駅だったが二国間の取り決めにより廃止された。

海上交通

ケッペル・コンテナターミナル

マレーシア、インドネシアの近場の島々にはボート、フェリーが就航している。クルーズ客船の誘致も積極的に行なっており、マレーシアのスタークルーズもシンガポールを拠点に運行している。政府は2015年までにクルーズ旅客数160万人を目標としている[10]。フェリーターミナルはチャンギ・フェリーターミナル、チャンギ・ポイント・フェリー・ターミナルタナ・メラ・フェリー・ターミナル、シンガポール・クルーズセンターがある。

シンガポールはマラッカ・シンガポール海峡に位置し、今日の海運にとっては欠かせない位置にある。19世紀から海運の要所として発展してきた[10]。港はPSAインターナショナル(シンガポール港湾局の一部を民営化し成立したメガターミナルオペレーター)と、JTCコーポレーションの子会社であるジュロンポートが運営している。ジュロン港は世界で最も忙しい港のうちの一つで2004年には10.4億トンを取り扱った。シンガポール港はコンテナ取り扱い数で世界第二位。2004年には2130万TEUを取り扱った。積み替え港(トランスシップメント)としては世界で一番忙しい港である。また、船燃料販売の世界一のハブでもあり、2004年には2360万トンの燃料を販売した[11]

2007年には香港、上海を抜きコンテナ取り扱い世界一に返り咲いた[12]。またアジア最優秀港にも選ばれた。

港湾データ
Operator種別バース長さ
(m)
クレーン広さ
(m²)
キャパシティ
ブラニ (BT)PSAインターナショナルコンテナ931790,000
Cosco-PSA (CPT)Cosco/PSAインターナショナルコンテナ2720228,000>10億TEU
ジュロンJTCコーポレーション多目的234,4861,200,028
ケッペル (KT)PSAインターナショナルコンテナ1436960,000
パシール・パンジャン (PPT)PSAインターナショナルコンテナ12491,770,000
パシール・パンジャン埠頭PSAインターナショナル通常
センバワンPSAインターナショナル通常
タンジョン・パガー (TPT)PSAインターナショナルコンテナ827840,000
シンガポール港の一部
シンガポール沖に停泊する船舶とシンガポール

航空

詳細は「シンガポールの航空英語版」を参照
シンガポール航空のA380
シンガポール・チャンギ国際空港の管制塔

シンガポール航空シンガポールの経済英語版にとって無くてはならないものとなっている。アジアの中で旅客では6番目、貨物では4番目に忙しい空港であり、アジアの空運のハブである。また、産業は物流のみならず、航空機のメンテナンス、修理、オーバーホールなどにも波及している。

2009年の航空産業は直接的、間接的なものも含めてS$142億の経済効果があり、シンガポールの国内総生産の5.4%を占めている[13]。内訳はS$87億が航空産業の直接的なもの、残りはS$31億が製品・サービスの提供による販売、S$24億が従業員、製品・サービス提供者の購入によるものである。58000人の直接的な雇用があり、間接的な製品・サービスの提供者も含めれば119000人の雇用があり、この内18000人は航空機製造、15000人は航空会社、24000人は空港・グランドサービスである。産業全体のからの税収はS$15億(2009年)にも上る。

上記の通りシンガポールの航空会社は特に経済にとって重要であり、直接的、間接的なものも含め、S$55億の経済効果をもたらし、34000人の雇用を創出している。

歴史

サロンケバヤの制服を纏った女性キャビンアテンダント (2004年2月)

1937年オーストラリア人のワーン・ブラザーズが始めたワーン・エア・サービスが8人乗りのデ・ハビランド DH.89 ドラゴン・ラピードに首長のラッフルズを載せマラヤのクアラルンプールペナンに初めてのフライト(試験飛行)を行った[14]7月28日から[15]、この3都市間で商業運行を続けていたが、第二次世界大戦でマラヤ、シンガポールは日本に占領され休止。世界大戦後に運行が再開されることはなかった。

1947年5月1日にオーシャン・スチームシップ・カンパニー・オブ・リバプール、ストレーツ・スチームシップ・カンパニー・オブ・シンガポール、インペリアル・エアウェイズによってマラヤ航空が設立された。初めてのフライトは設立直前の1947年4月2日で、シンガポールからクアラルンプールまで、2発機のエアスピード AS.65 コンサル英語版が使用された。定期便はシンガポールとクアラルンプール、イポーペナンを結んだ。その後も拡大を続け、技術的な支援を他のコモンウェルス諸国の航空会社(英国海外航空やカンタス帝国航空など)が担った他、IATAにも加盟した。1955年には多くのDC-3を運行し、その他の機体にはDC-4ビッカース バイカウント、ロッキード 1049 スーパーコンステレーション、ブリストル ブリタニアデ・ハビランド DH.106 コメット4フォッカー F27があった。1957年に州営の株式会社となった。

1963年マラヤシンガポールサバサラワクマレーシア連邦を結成したのを機にマラヤ航空(Malayan Airways)からマレーシア航空(Malaysian Airways)に社名を変更。ボルネオ航空も吸収した。シンガポールの独立後の翌年1966年にマレーシア・シンガポール航空に社名を変更。マレーシア・シンガポール航空はすぐに拡大し、1967年には初めてとなるボーイング機、ボーイング707を導入した。本部もシンガポールに高層の本社ビルを作り、移転した。ボーイング 737もその後すぐに導入された。

1972年にマレーシア・シンガポール航空はシンガポールとマレーシアの政治的な決裂によってシンガポール航空とマレーシア航空(Malaysian Airlines System)に分割された。シンガポール航空は10機あったボーイング707と737のすべて、シンガポール発着の国際便のすべて、シンガポールの本社、J・Y・ピレイ(チーフ)を獲得した。女性キャビンアテンダントもサロンケバヤの制服を変わらず着用することとなった。サロンケバヤの制服は1968年に地元広告社のベイテイ・アッズ(Batey Ads)が民族衣装であるサロンケバヤから作り出し、シンガポールガールとして売り込んだのが始まりである。

市場

オープンスカイ協定をシンガポールと結んでいる国

国土が狭く、国内線市場が存在しないシンガポールにとって自国の航空会社の国際線市場の拡大、他国の航空会社のシンガポールの空港利用の促進は急務であった。シンガポールは90以上の国・地域と航空業務提携を結んでおり[16]、東南アジアの中でも最も自由な航空自由化政策を採っている[17]。オープンスカイ協定の推進者でもあり、30以上の国とオープンスカイ協定を結んでいる。

2006年6月に欧州連合にとってアジアで初となる航空協定を結び[18][19]、2007年10月2日にはイギリスにとって二国目の航空完全自由化を実現[20]。1997年にアメリカにとってアジアで初となるオープンスカイ協定を結び[21]、アラブ首長国連邦とも航空自由化協定を結んだ。

オープンスカイ協定
締結日発効日概要出典
オーストリア
バーレーン2005年4月7日第1から第6までの自由、貨物は第7の自由。[22]
ベルギー
ブルネイ・ダルサラーム2001年5月1日
2004年12月27日
2001年12月21日第1から第6までの自由、貨物は第7の自由。[23]
[24]
ブルガリア2009年10月22日第1から第6までの自由[25]
チリ2001年5月1日2002年4月9日第1から第6までの自由、貨物は第7の自由。[23]
クック諸島2006年7月23日第1から第6までの自由、貨物は第7の自由。[26]
チェコ2009年1月19日第1から第6までの自由[27]
デンマーク2008年1月29日第1から第6までの自由、貨物は第7の自由。[28]
フィンランド
ドイツ
アイスランド2009年1月23日第1から第7までの自由[29]
アイルランド2006年12月13日第1から第6までの自由[30]
クウェート2008年11月4日第1から第6までの自由[31]
リトアニア2009年10月20日第1から第7までの自由[32]
ルクセンブルク
マルタ2008年8月8日2010年12月1日第1から第7までの自由[33]
ニュージーランド2001年5月1日2001年12月21日第1から第6までの自由、貨物は第7の自由。[23]
ノルウェイ2008年1月29日第1から第6までの自由、貨物は第7の自由。[28]
オマーン2009年1月20日第1から第6までの自由[34]
ペルー2009年8月27日第1から第6までの自由、貨物は第7の自由。[35]
ポルトガル2008年2月27日2010年第1から第6までの自由[36]
カタール1988年
ルーマニア2008年2月27日第1から第6までの自由[37]
サモア2002年11月9日第1から第6までの自由、貨物は第7の自由。[26]
スロバキア2007年11月22日2007年11月22日第1から第6までの自由[38]
スロベニア
スペイン
スリランカ2003年10月1日
2005年8月4日
第1から第7までの自由[39]
[40][41]
スウェーデン2008年1月29日第1から第6までの自由、貨物は第7の自由。[28]
タイ王国2004年12月27日第1から第6までの自由[24]
トンガ2004年1月20日第1から第6までの自由、貨物は第7の自由。[26]
アラブ首長国連邦2004年2月26日第1から第9までの自由[42]
イギリス2007年10月2日2008年3月第1から第9までの自由[43]
アメリカ2001年5月1日2001年12月21日第1から第6までの自由、貨物は第7の自由。[23][44]
ザンビア2008年11月27日第1から第6までの自由[37]

括弧内は週あたりの最大便数

航空会社

シンガポールには定期便を運行している航空会社が6社ある。これらの航空会社で約70都市を繋いでいる。

空港

詳細は「シンガポールの空港の一覧」を参照

シンガポール・チャンギ国際空港は東南アジアで重要なハブ空港である。空港はシンガポールの東部に位置しており、約60カ国、185都市を繋いでいる[45]。年間6400万人の旅客を扱う事ができる。

セレター空港はシンガポールで初めての民間空港であり、現在もプライベートジェトが使っている。また、定期便としてベルジャヤ航空マレーシアティオマン島レダン島を結んでいる。

空港と空軍基地のデータ
空港ICAOIATA種別滑走路長さ
(ft)
長さ
(m)
備考
パヤ・レバー空軍基地WSAPQPG軍用舗装124003800 m以前は民間
セレター空港WSSLXSP民間/軍用舗装53001615チャーター便が主
センバワン空軍基地WSAG軍用舗装3000914
シンガポール・チャンギ国際空港WSSSSIN民間舗装132004000
テンガー空軍基地WSATTGA軍用舗装89002713

ヘリポート

詳細は「シンガポールのヘリポートの一覧」を参照

脚注

外部リンク