ジャマール・ウィルクス

アメリカのバスケットボール選手 (1953 - )

ジャマール・ウィルクス (Jamaal Wilkes) ことジャマール・アブドゥル=ラティーフ (Jamaal Abdul-Lateef, 1953年5月2日 - ) は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。身長198cm、体重86kg。ポジションはスモールフォワードNBAゴールデンステート・ウォリアーズロサンゼルス・レイカーズで4度のリーグ制覇を経験し、自身も新人王や3度のオールスターに輝いた名選手であった。2012年にバスケットボール殿堂入りを果たしている。

ジャマール・ウィルクス
Jamaal Wilkes
引退
ポジションSF
基本情報
愛称Silk
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1953-05-02) 1953年5月2日(71歳)
出身地カリフォルニア州バークレー
身長(現役時)198cm (6 ft 6 in)
体重(現役時)86kg (190 lb)
キャリア情報
出身UCLA
ドラフト1974年 11位
永久欠番レイカーズ  52 
選手経歴
1974-1977
1977-1985
1985
ゴールデンステート・ウォリアーズ
ロサンゼルス・レイカーズ
ロサンゼルス・クリッパーズ
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

出生名はジャクソン・キース・ウィルクス (Jackson Keith Wilkes) である。1975年にイスラム教に改宗したことに伴い改名した。

経歴

生い立ちと学生時代

ウィルクスはカリフォルニア州バークレーで生れ、ベンチュラで少年期を過ごした。彼が高校生のとき、父の転勤により一家はサンタバーバラに移った。サンタバーバラ高校に転入したウィルクスは、後にNBA入りするドン・フォードとともにチームを26連勝に導き、カンファレンス年間最優秀選手に選ばれた。

高校卒業後、ウィルクスは当時NCAAトーナメント4連覇中だったUCLAに進学した。UCLAではビル・ウォルトンとともにチームの主力として活躍し、1972年・73年と2年連続で全米制覇を果たしたほか、NCAA史上空前絶後となる公式戦88連勝に大きく貢献した。自身はオールアメリカ1stチームに2度選ばれている。カレッジにおける3年間の成績は平均15.0得点7.4リバウンドであった。また学業でも優秀な成績を修め、経済学の学士号を修得した。2013年にウィルクスの背番号『52』がUCLAの永久欠番に指定されている。

プロキャリア

大学を卒業したウィルクスは、1974年のNBAドラフトにおいてゴールデンステート・ウォリアーズから全体11位指名を受け入団すると、1年目からチーム2位となる平均14.2得点をあげて新人王を受賞した。ウォリアーズはこの年48勝の成績であったが、絶対的エースのリック・バリーに率いられてプレーオフを勝ち抜き、ファイナルでリーグ首位のワシントン・ブレッツを破る大金星をあげて19年ぶり3度目の優勝を果たした。ウィルクスはプレーオフ平均15.0得点の活躍で優勝に貢献し、1年目にして早くもチャンピオンリングを手に入れた。

ウィルクスはその後2シーズンをウォリアーズでプレーし、2年連続でオールディフェンシブ2ndチームに選ばれた。また1976年には自身初となるオールスター選出を果たしている。1976-77シーズン終了後、ウィルクスはロサンゼルス・レイカーズに移籍した。

レイカーズではカリーム・アブドゥル=ジャバーらとともにチームの中心を担った。1979-80シーズン、大物新人マジック・ジョンソンを迎えたレイカーズは60勝を記録してファイナルに進出した。ファイナル第6戦では、負傷で欠場したアブドゥル=ジャバーに代ってマジックが42得点、ウィルクスが37得点の大活躍でレイカーズの優勝を決定づけた。

1980-81シーズン、ウィルクスはキャリアハイとなる平均22.6得点をあげて2度目のオールスターに選ばれた。翌1981-82シーズンも平均21.1得点の好成績を残し、レイカーズはファイナルでフィラデルフィア・76ersを退けて2年ぶりのリーグ制覇を達成した。ウィルクスはチームトップとなるファイナル平均19.7得点を記録して自身3度目の優勝に花を添えた。1982-83シーズンは平均19.6得点で3度目のオールスター選出を果たし、チームは2年連続でファイナルに進んだが76ersに4連敗してシーズンを終えた。

これ以降、ウィルクスの個人成績は徐々に後退していった。1984-85シーズンには先発の座をジェームズ・ウォージーに奪われ、さらに左膝の靭帯断裂で40試合を欠場し、プレーオフも全休した。レイカーズはこのシーズンにファイナルでボストン・セルティックスを破って優勝している。シーズン終了後にレイカーズから解雇されたウィルクスは、リーグ最低年俸でロサンゼルス・クリッパーズと契約した。1985-86シーズン、ウィルクスはクリッパーズで13試合に出場した後現役引退を表明した。

NBAでの成績は、828試合に出場して通算14,644得点5,117リバウンド(平均17.7得点6.2リバウンド)であった。

引退後

ウィルクスはNBAを離れた後、20年以上にわたって不動産や金融サービス業に携わる傍ら、モチベーショナル・スピーカーとしても活動した。2003年にはウェルスマネジメントを専門とするジャマール・ウィルクス・ファイナンシャル・アドバイザーズを設立している。またバスケットボールにも関わっており、2000年に発足したばかりのセミプロリーグABAのロサンゼルス・スターズから要請を受け、バスケットボール事業部の副部長に就任した。

2012年、ウィルクスはバスケットボール殿堂入りを果たし、その3ヶ月後に背番号『52』がレイカーズの永久欠番となることが発表された。

個人成績

NBAチャンピオン
太字キャリアハイ

レギュラーシーズン

SeasonTeamGPGSMPGFG%3P%FT%RPGAPGSPGBPGPPG
1974-75GSW8230.7.442.7348.22.21.30.314.2
1975-768233.1.463.7728.82.01.20.417.8
1976-777633.9.478.7977.62.81.70.217.7
1977-78LAL5129.2.440.7167.53.61.50.412.9
1978-798235.5.504.7517.42.81.60.318.6
1979-808237.9.535.176.8086.43.01.60.320.0
1980-818137.4.526.077.7585.42.91.50.422.6
1981-82828235.4.525.000.7324.81.71.10.321.1
1982-83808031.9.530.000.7574.32.30.80.219.6
1983-84757433.4.514.250.7434.52.91.00.517.3
1984-8542818.1.488.000.7732.21.00.50.18.3
1985-86LAC13115.0.400.333.8152.21.20.50.25.8
Career82824532.9.499.135.7596.22.51.30.317.7
All-Star3018.0.4811.0004.72.31.30.011.0

プレーオフ

YearTeamGPGSMPGFG%3P%FT%RPGAPGSPGBPGPPG
1975GSW1729.6.446.7027.01.61.50.815.0
19761334.6.430.7787.92.20.90.615.9
19771034.6.429.8218.01.61.60.615.5
1978LAL336.0.469.5458.72.71.00.312.0
1979838.4.477.6768.52.01.90.318.4
19801640.8.476.000.8158.03.01.50.320.3
1981337.7.438.000.6672.71.30.30.318.0
19821438.2.502.000.7765.02.61.10.220.0
19831539.3.498.000.6146.03.41.30.719.9
19841414.0.400.000.6361.90.60.30.14.5
Career11333.6.465.000.7276.42.21.20.516.1

外部リンク