ジョック・スターラップ (スターラップ男爵)

スターラップ男爵、グラハム・エリック・「ジョック」・スターラップ: Graham Eric "Jock" Stirrup, Baron Stirrup, KG, GCB, AFC1949年12月4日 - )は、イギリス空軍軍人一代貴族政治家

スターラップ男爵
ジョック・スターラップ
Jock Stirrup
Baron Stirrup
2010年2月4日のスターラップ空軍大将
生誕 (1949-12-04) 1949年12月4日(74歳)
所属組織 王立空軍
軍歴1970年 - 2011年
最終階級名誉空軍元帥
除隊後貴族院議員2011年-現職)
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2003年から2006年にかけて王立空軍参謀総長英語版を務め、2006年から2010年まで統合参謀総長英語版を務めた。軍人としての最終階級は名誉空軍元帥

2011年一代貴族スターラップ男爵に叙され、貴族院議員に列した。

経歴

2005年5月9日アメリカ空軍ウィリアム・フレイザー英語版中将(右)と握手するスターラップ大将(左)。
2006年10月26日イギリス国防省。訪英したアメリカ統合参謀本部議長ピーター・ペース大将(中央)と並んで歩くスターラップ大将(右)。

マーチャント・テイラーズ・スクールを経て王立空軍士官学校英語版に入学[1][2]

1970年7月31日王立空軍飛行士官候補生英語版となった[3]1971年7月31日に同年1月31日に遡って空軍中尉英語版に昇進し[4]。ついで1973年7月31日空軍大尉英語版に昇進した[5]1975年までオマーン空軍飛行免許教官英語版として派遣され、ドファールの反乱鎮圧戦英語版に参加した[2]

1975年にイギリスへ帰国した後、王立空軍第41飛行中隊英語版に配属される[2]1980年1月1日には空軍少佐英語版に昇進した[6]1982年から1984年にかけて作戦転換部隊英語版で訓練機SEPECAT ジャギュアの主任訓練官となった[1][2]1984年7月1日空軍中佐英語版に昇進した[7]

1984年三軍共同国防大学英語版で学ぶ[1][2]1987年まで王立空軍第2飛行中隊英語版の指揮官を務め[1][2]、ついで空軍参謀総長の個人参謀を務める[2]1990年1月1日には空軍大佐英語版に昇進[8]

1990年王立空軍マーカム基地英語版の司令官に就任[2]。1993年には防衛学王立大学英語版のコースをとる[2]1994年1月1日空軍准将英語版に昇進し[9]1994年には空軍の計画立案の責任者となる[2]1997年4月には王立空軍第1飛行連隊英語版の司令官となる[2]1997年7月1日空軍少将英語版に昇進した[10]

1998年空軍参謀総長補佐英語版に就任[2]2000年には王立空軍攻撃部隊英語版最高司令官(C-in-C)英語版副官に就任するとともに北大西洋条約機構(NATO)においても第9連合航空作戦本部英語版ヨーロッパ航空団英語版の司令官を務める[2]2000年11月6日空軍中将英語版に昇進した[11]

2001年ヴェリタス作戦英語版(英軍のアフガニスタン戦争の作戦名)の際にはアメリカ中央軍最高司令官(C-in-C)の英軍首席アドバイザーを務めた[2]

2002年3月に副統合参謀総長英語版に就任[2]2003年3月に勃発したイラク戦争の際には、イラク進軍に必要な装備を兵士たちに与えるべく大臣たちとミーティングを重ねたが、装備の配給が間に合わず、ボディーアーマーやブーツなど砂漠戦闘に必要な装備が全英軍に行き届かないという問題が生じた[12]

2003年8月には空軍大将英語版に昇進するとともに、空軍参謀総長英語版に就任した[2][13]

2006年4月28日には統合参謀総長英語版に就任[2]。4年半ほど勤めた後、2010年10月をもってデイヴィッド・リチャーズ英語版に職責を引き継いで軍人生活を引退した[14]

2011年1月28日一代貴族シティ・オブ・ウェストミンスターにおけるメリルボーンのスターラップ男爵」 (Baron Stirrup, of Marylebone in the City of Westminster)に叙され、貴族院議員に列した[15]

2013年4月23日に女王エリザベス2世よりガーター騎士団ナイト(KG)に叙される[16][17]

2014年女王誕生日叙勲英語版で名誉空軍元帥に昇進した[18]

栄典

爵位

勲章

脚注

注釈

出典

外部リンク

軍職
先代
サー・ピーター・スクワイアー英語版
空軍参謀総長英語版
2003年 - 2006年
次代
サー・グリーン・トーピー英語版
先代
サー・マイケル・ウォーカー英語版
統合参謀総長英語版
2006年 - 2010年
次代
サー・デイヴィッド・リチャーズ英語版