ジョージ・クロフォード(英語: George Crawfurd、1695年またはそれ以前 – 1748年12月24日)は、スコットランド出身の系譜学者。妻の父ジェームズ・アンダーソン(英語版)の後押しを受けて[1]、1716年に『スコットランド貴族名鑑』(The Peerage of Scotland)を著した[2]。
トマス・クロフォード(Thomas Crawfurd、1669年またはそれ以前 – 1695年、レンフルーシャーの地主)の三男として生まれた[1]。
1716年6月にメアリー・アンダーソン(Mary Anderson、1748年またはそれ以降に没、ジェームズ・アンダーソン(英語版)の娘)と結婚、1男4女をもうけたが、唯一の息子は早世した[1]。
1710年に『1034年から1710年までのステュアート王家系譜史』(Genealogical History of the Royal and Illustrious Family of the Stewarts from the year 1034 to the year 1710、エディンバラ、1710年)を著し、1716年に『スコットランド貴族名鑑』(The Peerage of Scotland、エディンバラ、1716年)を著した[2]。このうち、後者は妻の父の後押しを受けて書いた著作である[1]。
1720年代末にサイモン・フレイザーがラヴァト卿位を回復するために訴訟を起こしたとき、フレイザーはラヴァト卿位の調査にクロフォードを雇い、クロフォードは裁判所に提出するための資料をフレイザーに提供した[2]。クロフォードの調査結果がフレイザーの勝訴をもたらしたとされるが、クロフォードが資金難に陥っていたにもかかわらずフレイザーが支払いを拒否したため、クロフォードはフレイザーを大悪党と呼び、次に会ったら全身の骨を折ると述べた[1][2]。